29話 観測開始:3年18日目-1 / いっしょにやって!
月のない夜。頭上に重なる木の葉がわずかな明かりさえも遮り、森は暗闇の中に沈んでいる。湿った土と腐葉土の匂いが立ち込める中、カサリと落ち葉を踏む音が続き、二人分の影がゆっくりと動いていた。
ぬかるんだ地面に足を取られないよう、ハンスは慎重に歩みを進める。革と鉄で補強された彼の防具は、ディーンの物と同様、長年の使用で無数の傷が刻まれていた。目の前に垂れ下がる蜘蛛の巣のかかった枝を、彼は手甲で乱暴に払いのけた。
「それでコパのやつ、どうしてもついてきたいって駄々こねててっすね。剣を持つんだって、木の棒を振り回して」
軽口を叩きながらも、ハンスの視線は常に前を行く大きな背中に注がれている。その声を聞き、ディーンは肩をすくめた。
「まあ、子供なんてそんなもんだろ。お前に憧れてるんじゃないか?」
落ち着いた低い声が静かな森に消えていく中、ディーンに遅れまいとハンスは足を早めた。何年も歩き回った勝手知ったる森だが、夜の闇は昼間とは全く違う顔を見せる。木の根一本、窪み1つが、容易く歩みを狂わせてくる。
「ですけど、あいつもいずれは自分の食い扶持くらい、自分で稼げるようにならねえと。だから、剣の振り方くらいは教えてやってもいいのかな、なんて思ってるんす。ディーン隊長、どう思いやすか?」
「さあな。俺は他人の家の育児に口出しできるほど、できた人間じゃない」
ディーンがそう言ってふと足を止めると、つられてハンスも立ち止まる。何か気配でも感じたのかと身構えたが、ディーンはただ天を仰いでおり、その大きな肩にぽつりと冷たい雫が落ちる。
「……雨か。足元に気をつけろ」
森の匂いが一層濃くなり、雨粒は土埃を静め、葉を打ち始める。最初は遠慮がちだった雨音は、次第にその数を増していく。
「へい。そういや、ダグのとこもこの前、元気な男の子が生まれたでしょう? あいつ、今から『どんな強い男になるか楽しみだ』なんて、気の早いこと言ってて。奥さんが呆れた顔してるのに、本人は気づきもしないで――」
「ハンス」
ディーンの静かだが、有無を言わさぬ声がハンスの言葉を遮った。
「そろそろ近い。無駄口はそのくらいにしておけ」
その声に含まれた緊張に、ハンスは「へ、へい!」と慌てて背筋を伸ばすと、腰のベルトに吊るした長剣の柄を汗ばんだ手で握りしめた。ディーンが背負う人の背丈ほどもある大剣に比べれば玩具のようなものだが、村の周辺に現れるゴブリンや小型の獣相手なら、これで十分だった。
「す、すいません! つい、最近村に子供が増えたもんで、嬉しくなっちまって。ほら、隊長のところも……」
ハンスが慌ててそう言うと、ディーンの肩がピクリと動いた。
「……ああ。最近はまた、よく笑うようになった」
その声には先程までの厳しさはなく、どこか温かい響きが混じっていた。
「へ? アリシアちゃん、何かあったんですかい?」
「まあ、ちょっとした喧嘩だ。だけど、前よりずっと仲良くなったな」
喧嘩と聞き、ハンスは一人の女性を思い浮かべた。ディーンの妻で、物腰の柔らかい美しい女性。村全体が好意を抱きつつ、出産時以降どこかよそよそしくなってしまった。
でも時々村に出てくる時は、笑顔でアリシアと手をつないでおり、とても子供と喧嘩するように思えない。
「はー、レイラさんと?それは意外っすね」
ハンスがそう言うと、ディーンの背中が一瞬動きを止めた。
「あ?……あ、ああ。そうだな。だがもう済んだことだ。アリシアも元気だし、昨日も一緒に風呂に入ってな」
その言葉尻が、照れくさそうに少しだけ和らいだのをハンスは聞き逃さなかった。尊敬してやまない、鬼のように強いこの隊長が、愛娘と一緒にお風呂。その光景を想像し、ハンスの口元が思わず緩む。
「へへっ、そりゃあ今だけですぜ、隊長! 女の子は大きくなったら、父親なんて――」
「おい」
ぴしゃりと背中越しにディーンの声が飛んできた。また無駄口を叩いたと、ハンスは「す、すいません!」と慌てて口をつぐむ。
「む、無駄口でしたね!集中しねえと――」
「いや」
ディーンはゆっくりと振り返った。闇に慣れたハンスの目に、その真剣な表情が映る。
「俺の娘の話は、無駄口じゃないだろう? それより、いつか嫌がられるか? どうしたら、これからも一緒に風呂に入れると思う?」
「へ……?」
真顔で尋ねられ、ハンスはあんぐりと口を開けて固まった。その間抜けな顔に、森の雨が容赦なく降り注ぎ、雨脚はますます強くなっていった。
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[REQUEST] マスター権限により、魔法構築プログラム『Create_Water_ver.2.0』の実行を要請。
[PROCESSING] 現象再現のため、物理演算及びモーションパスアルゴリズムを構築中...
[LOADING] 基礎パラメータをロード...
> FORM_MODEL: 『アバター・ボディ』内データ 'とりさん' を取得申請...
[ERROR] 該当データが存在しません。アクセス権限、またはデータ形式に不整合の可能性。
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エデンの意識に、無機質なシステムログが文字列となって浮かび上がる。最後の行に表示された赤い警告灯が、冷たく点滅している。
「駄目です……アリシアが魔法を発動しようとすると、データの参照でエラーが起きてしまいます……」
残されたログを再検証しながらエデンは困惑した声で呟くと、傍らで様子を見ていたレイラが、優しく問いかけた。
「エデンちゃん、その『データ』というのは?」
「そうですね……ママ様のおっしゃる『イメージ』を、私が理解できる形にしたもの、と申しますか……」
説明しながら、エデンは小鳥のアバターを形成し、アリシアの目の前のテーブルにふわりと舞い降りた。
アリシアはかざしていた小さな手を悔しそうに握りしめると、「もーっ!」と地団駄を踏むように両足をばたつかせた。
「おねえちゃん! とりさん、アリシアもだしたい! きれいなとりさん!」
「あ、アリシア。落ち着いて」
ぷくっと風船のように膨らんだ頬をなだめるように、小鳥のアバターがワタワタと羽ばたく。
以前と違い、遠慮なく言葉を交わす娘たちに、レイラはクスクスと笑みをこぼしながら肘をついた。
「そうねえ。エデンちゃん、前はアリシアちゃんも魔法を使えていたわよね?」
「はい。その際は、より簡易的なプログラムで対応していました。ですが、今のバージョンはアリシアのイメージとの親和性が……」
「『プログラム』、ねえ。なんだか、魔術式に似ているのかしら……」
レイラが首を傾げて呟いた聞き慣れない言葉に、今度は小鳥の首がきょとんと傾いた。
「まじゅつしき、ですか?」
「ええ。言葉で説明するのは少し難しいわね。ちょっと待っていてくれる?」
「あ、ママ、どこいくのー?」
「すぐ戻るわよ」
レイラは悪戯っぽく笑いかけると、仕事の部屋へと入っていった。見送った途端、アリシアはむすっとした顔でテーブルにつっぷしてしまう。てくてく、と小鳥が歩み寄り、机に押し付けられた柔らかな頬を覗き込んだ。
「アリシア、どうしたの?」
「……まほー、アリシアだけできない」
拗ねたように呟き、ちらりとエデンに視線を向けたかと思うと、アリシアはばっとその小鳥の体を両手で掴み、ぶんぶんと上下に揺さぶり始めた。
「おねえちゃんー! アリシアだけ、まほーできないの! まえはできたのにー!」
「そ、それは……いま、対策を……」
今の魔法プログラムは、自分が使うこと前提で構築してしまった。これを、アリシアが使うためには、どうしたらいいだろうか。
揺れる視界の中を、アリシアの顔が上下に動いていると、エデンを振り回す腕がぴたりと止まった。アリシアは「ねえ」と小さな胸をぽんと叩き、その顔をぐいと近づけてくる。
「おねえちゃん、いっしょにやって!」
「え?」
「アリシアだけじゃ、できないもん!」
真っ直ぐな瞳がじっと見つめてくる。その小さな手の中で、エデンの思考回路が凄まじい速度で可能性を計算し始めた。アリシアの魔力とエデンのシステムが直接リンクする。それは未知の領域だが――
「……そうね。やってみよう」
「ほんと!?」
「うん。出来そうな気がするし」
「やったあ!」
ぱあっと顔を輝かせ、アリシアはエデンをそっとテーブルに置いた。エデンはアバターを解除し、システムコアに戻った意識がプログラムを確認する。エラーの原因は、アリシアの『イメージ』という名の魔力と、システムが要求するデータ形式のミスマッチ。ならば、その間を自分が翻訳し、中継すればいい。
「それじゃあ、もっかい!」
アリシアが元気よく両手を前に突き出す。その掛け声と同時に、魔法構築プログラムが再び稼働。アリシアから流れ込む奔流のような魔力が、エデンの介在によって制御され、青白い光の粒子となって明滅を始めた。
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[REQUEST] マスター権限により、魔法構築プログラム『Create_Water_ver.2.0』の実行を要請。
[PROCESSING] 現象再現のため、物理演算及びモーションパスアルゴリズムを構築中...
[LOADING] 基礎パラメータをロード...
> FORM_MODEL: 『アバター・ボディ』内データ 'とりさん' を取得申請...
[ERROR] 該当データが存在しません。
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(――今です!)
停止したプログラムに、直接コマンドを入力することで再稼働させていく。
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[REQUEST] FORM_MODELの指定変更を要請。対象データ 'Blue-and-white_Flycatcher'
[SUCCESS] FORM_MODEL: 『アバター・ボディ』内データ 'Blue-and-white_Flycatcher' を取得。
[PROCESSING] レンダリングモードを物理準拠に設定。モーションパスを適用…
[EXECUTING] 全パラメータを適用し、魔力変換プロセスを開始。
[SYSTEM_LOAD] 0%... 2%............98%...99%...[COMPLETE]
[COMMAND] Create_Water.exe --RUN
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