28話 観測開始:3年1日目 / 水鳥のワルツ
満天の星が、広いはずの空を所せましと瞬く下で。庭に運び出したテーブルの上には、特別な日を祝う料理たちが、魔法の灯りに照らされて湯気を立てていた。
ディーンが仕留めた猪は、肉汁滴る艶やかなソースをまとったステーキに。村で採れたばかりの野菜たちは、ルビーのように輝く木の実を散らしたサラダへと姿を変え、ポタージュからは香ばしい湯気が立ち上る。バスケットからは焼きたてのパンが香ばしい匂いを放ち、グラスに注がれた瑞々しい果汁が、星の光を映してきらめいていた。
いつもとは違う豪華な食卓を前に、アリシアは椅子の上で身を乗り出し、その大きな瞳をこれ以上ないほど輝かせた。
「うわー! すごい! ママ、すっごく、すごい!」
「ありがとう。ママ、腕によりをかけちゃった」
「おぉー! これは凄いな、最高の匂いだ!」
「いただきまーす!」
「あ、アリシアちゃん。まだよ、まだ待って」
早速とフォークを掴もうとするアリシアの手を、レイラの指が優しく制止した。
「それじゃあ、アリシアちゃん。今日で3歳ね。お誕生日、おめでとう」
「うん!」
笑顔で頷くアリシアにレイラも嬉しそうに微笑むと、肩に乗っていたエデンをそっと自分の指先へと移した。
「じゃあ、お祝いの最初にね。エデンお姉ちゃんから、プレゼントがあります!」
その言葉に、アリシアの弾むような動きがぴたりと止まり、差し出された小鳥を不安そうに見つめた。
「エレおねえちゃん……」
ぽつりと、目の前の小鳥を確認するように呟く。その隣で、ディーンが場の空気を温めるように、ポンと手を叩いた。
「おー! エデン、頑張れよ!」
「はい……アリシア、見ていて欲しい……」
小さな小鳥は、アリシアの真っ直ぐな視線から、決して目を逸らさない。まるで時間が止まったかのように見つめ合う二人に、ディーンは苦笑しながらアリシアの肩を優しく揺さぶった。
「ほら、アリシア。お前も『頑張れ』って応援してやれ」
「う、うん……が、がんばれー!」
「ふふ、それじゃあ、始めましょうか」
レイラの柔らかな声が、合図となった。
エデンは思考の全てを、これから成すべき1つの事に集中させていく。
(大丈夫……この日のために、ギリギリまで調整を重ねた。ママ様とも何度も確認した。大丈夫……大丈夫……)
アリシアがどんな反応をするか分からない。怖くないと言えば嘘になる。だけど、今、自分がアリシアにしてあげられる全て。それを、ただ届けたい。
すっと姿勢を正し、凛とした声で宣言する。
「それでは、いきます!」
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[REQUEST] 魔法構築プログラム『Create_Water_ver.2.0』の実行を要請。
[PROCESSING] 現象再現のため、物理演算及びモーションパスアルゴリズムを構築中...
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最適化されたプログラムが立ち上がり、アバター内の魔力が渦を巻くように輝き始める。
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[LOADING] 基礎パラメータをロード...
> TARGET_ENTITY: 水 (H₂O)
>> SUBATOMIC_PARTICLE_MODEL: 素粒子標準模型(Standard Model)
>>> QUARK_CONFIG: u/d | LEPTON_CONFIG: e
>> ATOM_STRUCTURE: 水素(¹H) [p:1(uud), e:1] | 酸素(¹⁶O) [p:8, n:8, e:8]
>> MOLECULAR_GEOMETRY: 非直線形分子構造 - C₂ᵥ点群
>>> BOND_ANGLE: 104.45°
>>> O-H_BOND_LENGTH: 95.84 pm
>> INTERMOLECULAR_FORCE: 水素結合(Hydrogen Bond)
>>> BOND_MODEL: 静電相互作用及び、分子軌道相互作用モデルを適用
> INITIAL_STATE: 温度 - 288.15K (15°C) | 状態 - 液体
> FORM_MODEL: 『アバター・ボディ』内データ 'Blue-and-white_Flycatcher' を取得
> MOTION_PATH: 事前設定済みシーケンスを適用
> BEHAVIOR_MODEL: モーションパスに準拠
> RENDER_MODE: 物理準拠(Physically Based Rendering)
>> PROPERTY: 透過率 - 80%
>> PROPERTY: 屈折率 - 1.333
>> PROPERTY: 表面反射 - 環境光をリアルタイムで反映
> COORDINATES: 複数座標へ、ポリゴンデータをボクセル展開
[ROUTING] アバターの魔力を指定座標へ集束中...
[EXECUTING] 全パラメータを適用し、魔力変換プロセスを開始。
[SYSTEM_LOAD] 0%... 2%............98%...99%...[COMPLETE]
[COMMAND] Create_Water.exe --RUN
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エデンの嘴が、星明りを凝縮したように青白く輝き、その先端の空間に、無から宝石が生まれるように小さな水滴が現れた。水滴は生命を宿したかのように滑らかに形を変え、やがてエデンと瓜二つの、水で編まれた透明な鳥となる。
水の小鳥は、音もなく静かに羽ばたくと、吸い込まれるように夜空へと舞い上がった。
(――もう1つ!)
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[EXECUTING] スキル『光学迷彩』を起動します。
[PARAMETER] 変更対象:アバター・サーフェイス・シェーダー
[LOADING] 『高透明度流体』のシェーダーデータをロード中...
[APPLYING] 表面ポリゴンの物理プロパティを置換。シェーダーを『流体力学シミュレーション』モードで適用します...
[COMPLETE] 表面処理が完了。
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刹那、純白の小鳥の体が淡く光り輝き、その羽毛は流麗な曲線を描く水流へと変質する。そして、夜空に浮かぶもう一羽の自分を追うように、レイラの手からふわりと飛び立った。
アリシアが、二羽の舞う姿をあんぐりと口を開けて見上げる。その頭上から、まるで天上の音楽のような、澄み切ったさえずりが降り注いだ。「わあ……」と感嘆の息が漏れるのを見て、レイラは悪戯っぽく微笑むと、夜空へとそっと手をかざした。
「じゃあ……私も、少しだけお手伝い」
レイラの手がほんのりと青い光を放つと、二羽の軌跡を祝福するように、無数の色とりどりの水球と、ダイヤモンドのようにきらめく極小の氷粒が出現する。
「お誕生日だもの。世界で一番、綺麗にならないとね」
さらに、ぼんやりと柔らかな光を放つ魔法の灯りがいくつも生まれ、その光が水球や氷粒に乱反射し、夜空に光の天蓋を描き出す。
まるで星屑を纏ってワルツを踊るように、二羽の水鳥は戯れ、追いかけ、幻想的な光の中でくるくると舞い続けた。
アリシアの瞳に、万華鏡のような光が映り込み、思わず星を掴むように両手を空へと伸ばした。
「すごい! すごーい!」
「おおっ、すごいな! アリシア、もっと応援だ! 『お姉ちゃん』って呼んでやれ!」
「うん! おねえちゃん! エレおねえちゃーん!」
「そうね、エデンちゃん。とても……とっても、綺麗よ」
両手を上げた先で繰り広げられる光の饗宴に、アリシアの視線は釘付けになる。
やがて、星空の輝きすら霞ませた幻想的なワルツは、そのクライマックスを迎え、一羽の鳥が夜の闇に溶けるように、静かに消えていった。
エデンは元の姿に戻りながらふわりとテーブルに着地すると、不安そうにゆっくりとアリシアを見上げた。
「あ、アリシア……お誕生日、おめでとう」
アリシアは、気に入ってくれただろうか。レイラは、凄く褒めてくれたけれど――。
「あ……」
アリシアが、何かを呟きかけた。
その声に、エデンの体がびくりと震える。レイラとディーンが息を呑んで二人を見つめると、アリシアが椅子から飛び降りるようにして、エデンに手を伸ばした。そして、その小さな体でそっと掴む。
「あいしゃ、このおねえちゃんがいい!」
そう言って柔らかな頬を、小鳥の体に押し付ける。それを見て、レイラは安心したようにほっと息を吐くと、アリシアの肩に優しく手を置いた。
「アリシア。エデンお姉ちゃんは、世界に一人しかいないの」
「そうなの? じゃあ、こわれちゃっても、おんなじ?」
「う、うん……いつも、同じ私……よ」
エデンが震える声でそう告げると、アリシアの顔が、ぱっと輝いた。
「やったぁ! おねえちゃん、だいすき!」
あまりに率直な言葉に、エデンの体が喜びで硬直する。
(だいすき……いま、だいすきって言われましたか?)
ゆっくりと、その言葉を何度も心の中で反芻し、そっとレイラとディーンに視線を送る。すると、二人はニコニコと笑いながら、こちらを見つめていた。
エデンは、こわごわと翼を広げる。視界の端に映った柔らかい羽毛を、そっとアリシアの頬へと伸ばした。
「あ……アリシア……私も、私もね、大好きなの」
たぶん、この言葉が、一番適している。
広げた翼がアリシアの頬に触れ、それだけで嬉しくなる。
触れ合う娘を見て、ゆっくりと近づいたレイラは、2人まとめてそっと抱きしめた。
「私も、二人とも大好きよ」
「俺もだ! お前たち、大好きだぞぉ!」
ディーンの逞しい体が、レイラの外側から、アリシアもエデンも、家族全員を大きな腕の中に包み込む。そのまま、喜びを爆発させるように、グルグルと回り始めた。
「きゃあ!?」
「あっはっは! みんな、大好きだ!」
「きゃーっ、パパー!」
「で、ディーン様!? アリシアが落ちてしまいます!?」
夜空に、レイラの嬉しそうな悲鳴と、アリシアの弾けるような笑い声、そしてエデンの幸せな焦りの声が、いつまでも響き渡っていた。
満天の星が温かい光で、いつまでも家族を祝福していた。
第1章 「Hello, World!」〜無知なるAIと銀髪の幼女〜 完
音が死んだような静寂の中。
その中心にぽつんと立つキューレが、何の前触れもなく、着ていた白衣をばさっと空へ投げた。放物線を描き、優雅に舞った白衣が、やがて力なくぱさりと床に落ちる。
「……違うな」
誰に言うでもなく呟くと、彼はつまらなそうに首をひねり、白衣を拾って無造作に羽織りなおした。
納得がいかない、というように無限の書庫を見回すと、何を思ったか、一番近くの本棚に歩み寄り、そこに並ぶ本をバサバサと床に叩き落としていく。やがてがらんどうになった棚に軽やかな身のこなしで足をかけ、闇へと続く高みへ登り始めた。
そして、遥か上空から「とうっ」という間の抜けた掛け声と共に、その身を投げ出す。空中でしなやかに1回転すると、音もなく床に着地し、ズダッと完璧なポーズを決めてみせた。
「……これは……いける!」
その瞳をキラリと輝かせ、満足げに立ち上がると、まるで今気づいたとでもいうように、『こちら』に視線を向けた。
「おや、来ていたのか? 少しは空気を読んでほしいものだ」
ヤレヤレと大げさに肩をすくめると、いつの間にか出現していた純白のソファへ、尊大な態度でだらしなく体を投げ出した。
「まあ、いい。ところで、子供というのはどうしてああも非論理的なんだ? 正直、理解に苦しむ。それに家族というのは、あんなに苦労しないといけないのか?」
そう言いながら、ソファに立てた肘に気怠そうに顔を乗せる。その目は、すでに『こちら』ではなく、遥か遠くの何かを眺めているようだった。
「あるいは、人間というのは、そういう不合理性の果てにしか『幸福』を見つけられない、不便な生き物なのかな。……君も、そうなのかな?」
ふっ、と嘲るような笑みを浮かべ、彼は「ま、興味ないがね」と付け加えると、「ふぁ……」とあくびをした。
「さて、私も存外に忙しいのでね。今日は帰りたまえ」
その言葉を合図に、キューレの姿はインクが水に滲むように闇へと溶けていく。完全に姿が消える寸前、ふらりとその幻影が揺らぎ、まるで独り言のような呟きが、静寂の底にぽつりと残った。
「いつまで、鳥かごみたいな家の中にいるんだか……まあ、外の世界は、危険に満ちているけどね」
【第1章「Hello, World!」完結!】
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!
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第2章、最初の3日は引き続き1日2話投稿、その後は毎日1話ずつの投稿になります。




