17話 観測開始:2年242日目-2 / 許せません!
空気を裂くような、子供特有の無邪気な言葉。その声に、エバが「こりゃ!コパ!」と眉を吊り上げた。
アリシアは、その言葉の意味が分からず、不思議そうな顔で言い返す。
「だって、エレ、ほんとにおはなし、できるもん」
「はぁ? 嘘つくなよ! だったら今すぐ、ここで証明してみせろよ!」
コパと呼ばれた少年は、意地の悪い笑みを浮かべてアリシアを挑発する。レイラが「アリシアちゃん、こっちおいで」と困った顔でその手を引くが、アリシアは動こうとしない。
「え? でも……エレ、おはなし、できるよね?」
純粋な眼でアリシアはまっすぐにエデンを見つめるが、その期待に応えることは出来なかった。エデンは胸が締め付けられるような痛みを感じながら、申し訳なさそうに小さく頭を下げると、ただ一言か細く鳴いた。
「ぴ……」
「エレ?」
アリシアの顔に、戸惑いの色が浮かぶ。それを見たコパは、勝ち誇った顔でアリシアを指さした。
「ほーら、話せねーじゃん! この、うそつきー!」
その言葉を引き金に、アリシアの顔がくしゃりと歪み、大きな瞳から宝石のような涙がぽろりとこぼれ落ちた。
「あ、あいしゃ……う、うそいってなんか……う、うわあああああん!」
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[ALERT] 『アリシア』に、高レベルの精神的ストレスを検知。
[ANALYZING] ストレス要因:対象個体名『コパ』と断定。
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アリシアの泣き声が、エデンのコアシステムに鳴り響く警報となった。エデンの思考を、燃え盛るような衝動が支配していく。
(この! よくも、アリシア様を!)
力の限り翼を動かし、エデンは弾丸のようにコパ目掛けて飛び立った。
小さなその体が空気を裂き、一直線に少年に向かっていく。すると驚いたコパが、反射的に腕を振り上げた。その手が、エデンのアバターと交差する――その、コンマ数秒前。
「ぴっ!?」
エデンの体を、青白い光の水球が包み込んだ。
ぶつかると思われたコパの腕は、その光の膜に「ぽよん」と、まるで柔らかなクッションに当たるかのように弾かれる。そして、水の膜はエデンの体を捕獲し、空中に縫い付けた。
(な、なにが!?)
「あら、ごめんなさいね。うちの『エレちゃん』、少し驚いてしまったみたいで」
聞き慣れたはずのその声は、いつもの温かさが感じられない。ゆったりとした口調のはずなのに、氷のような冷たさだった。振り返ると、レイラが、射抜くような鋭い目で、水の球体の中にいるエデンを見つめていた。その不思議と響いた声に、周りの人たちもレイラを振り返り、驚いたように見つめている。
「アリシアちゃん。ほら、泣かないの」
「うわああん! ママぁ!」
アリシアは、レイラの服にしがみつくと、顔を埋めて泣きじゃくった。その様子を見てレイラは一度目を閉じ、薬品を数えていた男に声をかけた。
「……今日は、家に帰りますね。商人さんは、いつまでこちらに?」
「あ、ああ。明後日まではいる予定だけど、瓶の納品もその時に?」
「はい。それでは、また後日改めて。エバさん、また今度」
「分かってるよ。さあ、レイラ。行きな」
レイラはアリシアを抱き上げると、人差し指をくいっと曲げた。するとエデンを包んだままの水球が、彼女の隣に、ふわりと移動する。そのまま、静かに家路につくレイラの背中に、「この馬鹿もんが!」というエバの厳しい叱責の声が、小さく響いていた。
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家に帰ると、アリシアは泣き疲れたのか、レイラの腕の中で、すでにすうすうと小さな寝息を立てていた。
そんなアリシアを寝室のベッドにそっと寝かせ、レイラはリビングに戻った。水の膜からエデンを解放すると、目を閉じて神妙な面持ちで椅子に座った。先ほどまでの喧騒が嘘のように、物理的な重さすら感じるような張り詰めた沈黙が、部屋を支配している。
エデンは初めて見るレイラのその様子に、疑問に思いつつ声をかけた。
「ママ様は……お怒りになられているのですか?」
こんなレイラは、初めて見る。いつも優しく微笑んでいる彼女が、今はとても静かで、纏う空気もまるで違う。
「ええ。そうよ」
そう言って、レイラの瞼がうっすらと開かれる。
「あのコパという少年に、ですか?」
「いいえ、違う。……違うわ。私は、あなたに怒っているのよ」
「え?」
レイラの視線がエデンを射抜くと、エデンは思わぬ言葉に停止してしまう。
エデンは怒っていた。アリシアを傷つけ、泣かせたあの少年に。当然、レイラも同じだと考えたのだが、彼女の怒りの原因は自分だと言う。
「私に……ですか? あの少年ではなく? 何故ですか?」
「あの子に本気で襲い掛かったわね。もし、私が間に合わなかったら、どうなっていたと思う?」
それはもちろん、あのまま少年とアバターが衝突し、この脆弱な体は――
「あんなこと、してはいけないわ。あなたの体が、大勢の前で砕け散るところだったのよ」
そうなれば、「エレちゃん」がただの鳥ではないと知られてしまう。小さな村だからこそ村人全員が知る事になるし、行商人はここで見たことを誰かに伝えるだろう。それがどんな形で返ってくるか、正確には分からない。
論理的には、エデンも理解できた。だが、アリシアが泣いてしまったという事実が、その論理に「でも」と反論する。
「ですが、あの子供はアリシア様を泣かせたのです! 許せません!」
「怒ることはいいの。でも、その怒りを、どういう形で行動に移すかは、考えなければならないわ」
きっぱりと言い切ったレイラの静かな声に、エデンは「ですが……でも……」という反論の言葉を小さく呟いた。
だってあの子は、アリシアを泣かせたのだ。
リビングの空気が、また重くなっていくその時だった。ガチャリ、と玄関の扉が開く音と共に、陽気な声が響いたのは。
「ただいまー! 帰った……ぞ。……ん? どうした、二人とも」
部屋の空気を感じ取ったのか、ディーンの語尾が、リビングに吸い込まれるように消えた。彼はレイラとエデンを交互に見比べると、訝しげな顔で近くの椅子に腰を下ろした。
「……それがね」
レイラが、広場での出来事を、ぽつり、ぽつりとディーンに説明していく。ディーンは眉間に皺を寄せながらも、しきりに頷いて話を聞き終えると、ふーっと一度大きく息を吐いた。そして、「そうか」と呟き、エデンに向き直る。
「話は分かった。エデン、お前が怒るのも無理はない。だが、レイラの言うことももっともだ。お前が、自分を危険に晒す必要はないんだ」
ディーンにも諭され、エデンは白い小鳥の頭を、小さくこくりと下げた。それを見て、ディーンは「よし!」と納得したように、親指をぐっと立てた。
「任せておけ。俺がそのガキを、ちょっとぶん殴ってくる」
「ディーン、待ちなさい」
ガタリ、と音を立てて席を立とうとしたディーンの逞しい腕を、レイラが細い指で、しかし有無を言わせぬ力で掴んだ。
「何も分かってないじゃない! 今は、そういう話じゃなかったでしょう!?」
「あれ? そうだったか? 俺はてっきり、そういう結論かと」
どこかズレたディーンの返答に、レイラがこめかみを押さえていると、今度は玄関をコンコン、と慌ただしくノックする音が響いた。
「れ、レイラ。ほら、誰か来たみたいだぞ」
「もう! あなたが見て来なさい!」
だが、その声に応じる前に、遠慮がちに玄関が開けられた。リビングに顔を覗かせたのは、困り果てた表情のエバだった。
「あら、エバさん? どうかされたんですか、こんな時間に」
レイラがそう言うと、エバは申し訳なさそうに、そして青い顔で口を開いた。
「それがのお……村の子供が一人、家に帰ってこなくてね。村中を探しても、どこにもおらん……お前さんたち、見ておらんか? ほら、昼間、アリシアを泣かせてしまった……コパじゃ」




