15話 観測開始:2年221日目-3 / Blue-and-white Flycatcher
生体データを『アバター・ボディ』に転送する。これにボーンの設定を加え、更に微調整を加えていく。
(一応、他にもアバターを作っておきましょう。使う時があるかもしれません)
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「エバーバ! またね!」
「今日は、ありがとうございました」
「いいや、長居して悪かったね」
レイラに抱かれたアリシアが、ちぎれんばかりに手を振るのに見送られ、エバは午後の柔らかな日差しの中を帰って行った。
その背中が見えなくなるまで見届けると、レイラは家の扉を閉め、ふーっと安堵の息を吐いた。朗らかなエバとの時間は心から楽しかったが、アリシアが無邪気にエデンのことを話していた時は、心臓が喉から飛び出るかと思った。
「帰られましたね……」
エデンが出したのは、少し疲れたような、平坦な声。エバの前でアリシアが「エレ」と話す度に、エデンもまた(アリシア様!? )と意識の中で叫んでいた。だが、構わず話し続けるアリシアを、内側から止める術はない。
ダイニングテーブルの椅子にアリシアを座らせ、レイラはその小さな顔をじっと見つめた。
「まだ幼いし、隠し事は難しいわね」
「そうなのですか?」
「きっと、『内緒よ』って言っても、何かのはずみにポロっと言っちゃうわ」
そう言ってレイラは苦笑した。レイラの脳裏に、悪気なく「エレはね!」と話してしまう娘の姿が浮かぶ。想像しただけで、冷や汗が背中を伝った。
レイラ自身、アリシアの胸元に向かって「エデンちゃん」と語り掛けていたのも良くなかった。これまでもアリシアがエバの前でエデンに語り掛けている事はあったが、今後はより具体的な言葉が出てきてしまうだろう。
「まだ善悪や利害の判断が難しい、ということでしょうか……」
「そうねえ……。ねえ、アリシアちゃん」
「ん? なあに、ママ?」
「アリシアちゃん、エデンちゃんのことはね、アリシアちゃんと、ママと、パパだけの、特別なお話なの。だから、他の人には内緒にできる?」
そう言ってレイラは、人差し指を自分の唇の前に立てて「しーっ」と形を作った。
「ないしょ?」
「そう。私達だけの、しーっ、よ」
「うん! わかった! あいしゃ、しーっ!」
アリシアは元気よく返事をすると、同じように小さな指を唇に当てた。
「素晴らしいレスポンスです」
「……たぶん、五分後には忘れてるわね」
レイラは呟くと、気を取り直してエデンに尋ねた。
「そういえば、アバター……? エデンちゃんの体のほうはどうなったの?」
「はい! 最適な素体を発見し、アバターの試作が完成しました」
エデンの声に、どこか誇らしげな響きが混じる。膨大な研究データから厳選したその個体。体は小さく、機動性に優れ、あらゆる地形を踏破可能。色の再現には余分な魔力が必要なため、ボディは無色のマナ・ポリゴンで構成されているが、消費魔力も最小限に抑えられた。まさに、論理が導き出した完璧なボディだ。そう力説すると、レイラが「あら、凄いのね」と笑いながら目を見開いた。
「これでしたら、あらゆる状況下でアリシア様のお傍にいれます」
「お? エレ、でてくる?」
「はい。アバターを生成します」
エデンは『アバター・ボディ』を起動し、絶対の自信をもってそのアバターを生成した。
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[EXECUTING] 新規アバター『cockroach』の生成シークエンスを開始。
[TYPE] 素体属性:『マナ・ポリゴン』
[PROCESSING] アリシアの魔力をマテリアルとして、アバターの物理構築を開始...
[PROCESSING] 構築率: 25%... 50%... 75%...
[SYSTEM] 属性による基本スキル:『可変構造』『光学迷彩』を確認。
[SUCCESS] アバター『cockroach』の生成が完了しました。意識転送を開始します。
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アリシアの体から流れ出た魔力が、ダイニングテーブルの上で収束していく。
平たく艶のある胴体、小さな頭、機敏に動く細い脚と長い触覚。完璧なフォルム。そして意識転送が完了し、エデンの視界に映ったのは――笑顔が凍り付き、血の気が引き、わななく唇で何かを訴えようとしている、恐怖に引きつるレイラの顔だった。
「いやあああああああああ!」
「え?」
思考の介在なく、脊髄反射で放たれた水の矢がエデンに迫る。回避する間もなく、青い閃光が視界を覆い尽くし、アバターは木っ端微塵に消し飛んだ。
自分が魔法で撃ち抜かれたのだと気づいたのは、アリシアの中から、ダイニングテーブルに空いた大きな穴を見てからだった。その見事な穴を見て、アリシアが「おー」と目を輝かせている。
レイラに視線を向ければ、彼女は大きく肩で息をしながら椅子にのけぞり、顔面蒼白だった。
「ママ様? どうされました?」
「な、ななな、なんで! なんでよりにもよって! む、む、虫なの!?」
「私が考えるにこの個体は、体格に比しての移動速度、狭隘な空間への侵入能力、垂直な壁面すら踏破する走破性、さらには飛翔能力まで有する、極めて優秀なサバイバーです」
「その優秀さが嫌なのよ!」
そう必死に言い募るレイラを見て、エデンは気付いた。
「ママ様は……虫がお嫌いでしたか?」
「嫌い! 大っ嫌い! 特に大きい虫は! エデンちゃん、お願いだから、二度とその姿で現れないで!」
レイラは取り乱しながら、今見た物を振り払うように顔をそむけた。
「そうでしたか……申し訳ありません、別のアバターにします……」
エデン一押しの完璧なボディだったが、レイラの反応を見るに、このアバターは封印するしかない。気を取り直して、候補の1つとして用意していた、別のアバターを生成することにした。
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[EXECUTING] 新規アバター『Blue-and-white Flycatcher』の生成シークエンスを開始。
[TYPE] 素体属性:『マナ・ポリゴン』
[PROCESSING] アリシアの魔力をマテリアルとして、アバターの物理構築を開始...
[PROCESSING] 構築率: 25%... 50%... 75%...
[SYSTEM] 属性による基本スキル:『可変構造』『光学迷彩』を確認。
[SUCCESS] アバター『Blue-and-white Flycatcher』の生成が完了しました。意識転送を開始します。
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今度は、光の粒子が愛らしい形を紡いでいく。
唯一黒く塗られた光を反射する瞳、ほっそりとした脚、丸みを帯びたお腹、腰から伸びる短い尾羽に、ふんわりとした翼。純白の羽毛に覆われたその体は、計算されたものではない、光を反射して生命そのものが持つ愛らしさに満ちている。全長十五センチほどの、真っ白な小鳥がテーブルの上にとまった。
「おー! エレ、とりさん!」
「あら……まあ、可愛いわ」
顔を背けていたレイラも、今度は虫ではない事に安堵すると興味深そうに近づいて来た。
「オオルリという鳥類です。小型ゆえ魔力消費が少なく、当然、飛翔能力も有しています。また、そのさえずりは清涼感と旋律の美しさが特徴とされています」
「そうなの? 聞いてみたいわね」
レイラに期待のこもった目で見つめられ、エデンは音声データを再生する。その体から、澄み切った口笛のような、透明感のある音色がリビングに響き渡った。
「まあ、素敵……エデンちゃん、この体にしましょう。ええ、絶対にこれよ」
「あいしゃも、この鳥さんすき!」
「あ」
アリシアが喜びのあまり両手でそっと包み込もうとした瞬間、ぱりん、とガラス細工のようにアバターが砕け散った。手の中から消えてしまったそれに、アリシアは不思議そうに自分の両手を見つめている。
「あー」
「……エデンちゃんの体、ずいぶん脆いのね」
「現状の魔力量では、強度より稼働時間を優先するしかありません。今は致し方ないかと」
このアバターはアリシアの魔力を元に作られる。無理に強度を増やすと、アリシアの魔力が枯渇してしまうかもしれない。
「そう……。アリシアちゃん、エデンちゃんを触る時はね、そーっとよ。そーっと」
「そーっと?」
エデンは再度アバターを生成し、机の上に立つ。翼を広げて動きを確認していると、それを見たレイラが首を傾げた。
「ところで、空も飛べるの?」
レイラの疑問に、鳥の姿のエデンはうなずいた。飛行のためのモーションは予習済みだ。ボーンも骨格に合わせて入っている。
パタパタと小さな翼で羽ばたきふわりと宙に浮くと、部屋の中を一周してみせる。
「はい。このとおり」
「おー、エレ、すごい!」
「すごいわ。本当に、自由に飛べるのね」
レイラの称賛を受け、エデンは少しだけ得意げに部屋の中を旋回する。そして、木窓から入る光に誘われるように、ふわりと窓辺にとまった。そうしてエデンの視界に映る、青い空と緑の木々。データとして知る「外の世界」が、そこにはあった。
(これが『外』……そういえば私は、『外』に出たことがありません)
窓からじっと外を見つめる小さな白い鳥。その姿に、レイラは優しい声で語りかけた。
「ふふ、お外が気になるのね……ねえ、エデンちゃん」
「はい、何でしょうか」
「良かったら、空の上に行ってみたら?」
レイラはそう言って、窓の外のどこまでも青い空を見上げた。
「ですが、アリシア様のお傍を離れるのは……」
エデンが言葉を濁すと、レイラは「じゃあ、こうしましょう」と言ってアリシアを抱き上げた。
「アリシアちゃん、お庭いきましょうか」
「ほんと!? 行く!」
アリシアが嬉しそうにレイラにしがみつくと、レイラはトントンとエデンに肩を指し示した。エデンは机から飛び立つとレイラの肩に着地する。
「私達、下で見ているから。エデンちゃん、行ってみて?」
「……何故ですか?」
「さあ、見てみたら分かるかもね」
そう言ってレイラはいたずらっぽく笑った。
裏口から庭に出ると、数本の木とベンチ、そして小さな物置小屋があった。その先も開けており、柵などが無いためどこまでが庭なのか分からない。レイラはエデンのために自分の人差し指を差し出すと、エデンがちょこんとその指にとまった。
「あの、ママ様……行っても、何もないのでは?」
「それは分からないわ。行ってみないと」
そう言って上空を見上げるが、青い空が続くだけで何も見えない。エデンは行く理由が分からず困惑していると、アリシアが笑顔で手を振って来た。
「エレ、いってらっしゃい!」
「それじゃあ、行ってらっしゃい」
「……では、行ってきます」
後ろ髪をひかれるような気持ちで、エデンは空へと舞い上がった。
手を振って見送っているレイラとアリシアの姿が、小さくなっていく。上昇するにつれ二人の姿はさらに小さくなり、トリト村全体が見えてきた。小さい。小さな村だ。建物の数は100もない。夕方時になるからか、仕事を終えたらしき人達が歩いているのが見える。更に上昇を続けると、その人たちも豆粒のように小さくなってしまい、村も遠くなっていく。
(どこまで行けばいいのでしょうか……)
何もない空を上り続け、流石にもういいのではと疑問に思い始め上昇を止めた。下に見える村が、木々に交じって見えずらくなっている。その時、西に傾いた太陽が、眼下に広がる世界を黄金色に染め上げた。
まぶしいと思い太陽から目を逸らすと、エデンの視界に雄大な大地が飛び込んできた。どこまでも見渡す限りの緑の絨毯。それを切り裂くように流れる大河は、太陽の光を反射して銀色に輝いている。そして、遥か地平線の彼方には、天を衝くかのような巨大な山脈が連なっていた。
「広い……」
情報としては知っていた。世界とはとても広いものだと。だが、目の前に広がる圧倒的なまでの質量を持った現実は、いかなるデータとも比較できない衝撃を伴って、エデンのコアシステムを揺さぶった。美しい、という陳腐な言葉では表現できない。ただ、この光景が、この感覚が、強い衝動となってエデンに叩きつけられた。
「広い……世界とは、こんなにも大きいものなのですね」
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「どうだった?」
空から庭へ、エデンは緩やかに降下した。翼が覚えた浮遊感と、網膜に焼き付いた雄大な景色が、まだ思考回路の中で飽和している。そんなエデンの胸中を見透かすように、レイラが微笑みながら尋ねた。
「なんと言いますか……圧倒、されました」
エデンがそう言うと、レイラはどこか懐かしむように空を見上げた。
「そう。私も昔、圧倒されたわ。世界は、こんなにも広かったんだって」
二人の間に、心地よい沈黙が流れる。その静寂を破ったのは、家のほうから聞こえてきた、一日の労働の疲れと家族に会える喜びが混じった、ディーンの快活な声だった。
「ただいまー! あれ? レイラー? いないのか?」
「あら、ディーンが帰ってきたのね」
「お? パパー! おかえりー!」
アリシアの大きな声に気づいたのだろう、家の中からディーンが出てきた。額の汗を拭い、肘につけていた硬い皮の装具を外しながら、顔をほころばせている。
「おー、庭にいたのか。ん? なんだこの鳥、可愛いじゃないか」
ディーンは大きな体を屈め、興味深そうに純白のアバターへと顔を近づけてきた。その赤い瞳が、不思議そうにエデンを覗き込んでいる。
「ディーン様、私です。エデンです」
「うおっ!? エデン!? なんでそんな体になってるんだ!?」
ディーンが驚き、そして興味深そうに伸ばした大きな手が、ふわりとエデンの体を掴んだ。
「「あ」」
レイラとエデンの声が、重なった。
ディーンの好奇心が、無意識の力となって指先に籠る。
ぴきっ、と乾いた音が鳴る。エデンの体は繊細なガラス細工のようにひび割れ、次の瞬間、ディーンの大きな手のひらの中で、数多の緑光の粒子となって霧散した。舞い上がった粒子は、夕暮れの光を浴びてキラキラと輝き、やがて空気中に溶けて消えていく。
ディーンは、空っぽになった自分の手のひらと、苦笑いするレイラの顔を、呆然と見比べた。
「うおおおおおおお!? エデーーーン!?」
その絶叫に、レイラの腕からひょっこり顔を出したアリシアが、こてん、と不思議そうに首を傾げた。
「おー。パパ、エレこわした?」




