13話 観測開始:2年253日目-1 / 小さな濡れ衣
ゆっくりと上下に揺れながら、アリシアの目の前をシャボン玉のような薄い水膜で作られた水球が泳いでいく。
アリシアはにんまりと笑うと、両手で水球を叩いた。
「えいっ!」
「アリシア様!?」
「いいのよ。まだたくさんあるから」
大小さまざまな大きさの水球が、窓から入る光を反射して虹色にキラキラと輝いている。アリシアは目を輝かせながら、近づいてきた水球に「ふーっ」と息を吹きかけると、風にあおられた水球はキッチンの方に飛んで行ってしまう。
「それじゃあエデンちゃん、魔法について学んでいきましょう」
「はい。お願いします」
姿勢を正すように首を伸ばした小鳥に、レイラは指を2本立てた。
「まず魔法は、主に2つの要素で成り立っていると言われているわ」
「2つですか? 1つは魔力だというのは、理解していますが」
「そうね。それとイメージ。どのような魔法を使いたいかを頭の中で思い浮かべるの。そして、イメージの補助として呪文を唱える」
レイラは手をかざすと、呪文を口にした。
「クリエイト・ウォーター」
すると青白い光と共にレイラの手の上に水球が出来上がる。
「魔力を増やせばよりたくさんの水が作れるし、イメージを変えることで形や色、質感も変えられるわ」
「ですが、ママ様は普段呪文を口にされません。必要なのですか?」
「呪文を口にすることで、頭の中でイメージしやすくなるの。だから、魔法の腕が上がれば呪文は必要なくなるわ」
なるほどと納得しつつ、エデンは記録の中から浮かんだ疑問を口にする。
「そういえば一度だけ、ママ様が呪文を口にされていました。『ミスト・サーチ』でしたか」
初めて魔法を観測したとき、確かに口にしていた。
「あー……それはね、魔法じゃなくてスキルなのよ」
「スキル? 魔法とは違うのですか?」
「ええ。『ギフトスキル』は分かるわよね?人は皆、生まれた時に祝福として『ギフトスキル』を授かるの」
「はい。アリシア様の『ギフトスキル』が、私だと理解しています」
エデンも『ギフトスキル』として『マナ・ボディ』を持っている。
「スキルは、『ギフトスキル』が成長した時に授かる事ができる力ね。『ギフトスキル』は人によって違うから、スキルも人それぞれ。でも魔法は練度によって違いはあれど、基本皆同じ原理で発動しているの」
「ということは、私もママ様と同じ魔法が使えるようになる、ということですか?」
「そういうことね」
レイラはそう言って笑った。
「それで、私がスキル名を口にした理由なんだけど、スキルは発動条件がそれぞれ違うのよ。口にしないと発動しないものや、構えを取ったり、逆に常に発動しているものもある」
「……そういえば、私の体も2つスキルがありました」
「あら、そうなの?」
「はい。『可変構造』と『光学迷彩』というスキルを有しています」
「そう……聞いた事ないわね……」
レイラはそう呟くと、「んー」と悩む素振りをして目を閉じた。
「……まあ、スキルについては、追々ね。今は魔法に集中しましょう」
そう言って身振りで次に進むよう促すと、エデンは思考の中で水をイメージする。そして小鳥の目を見開き、呪文を唱えた。
「クリエイト・ウォーター」
だが何も起こらない。
「……何もおきません。」
テーブルの上できょろきょろと辺りを見渡す姿を見ながら、レイラは「焦らずいきましょう」と指を立てた。
「まずは魔力ね。魔法を発現したい場所に集めるの。私はさっき手のひらに集めたけれど、エデンちゃんはそうね……嘴に魔力を集めてみたら?」
「分かりました」
エデンのアバターの中にある魔力。それを、嘴の先端に集めていく。「では、もう一度」とエデンは嘴を高く上げた。
「クリエイト・ウォーター」
エデンの声だけが響き、何も起こらない。
「変ね。エデンちゃんの魔力操作なら、出来てもおかしくないのだけど。イメージがうまくできていないのかしら?」
「イメージ……具体的には、どのようなことでしょうか?」
「そうねえ……。結局、想像力なのだけど。水の量や形、温度とかを明確に頭の中で思い浮かべるの」
「……分子の立体構造図ではだめなのでしょうか」
「……ごめんね、いまなんて言ったの?」
聞きなれない言葉にレイラがエデンを覗き込むと、ドアがノックされる音が聞こえた。
「あら、エバさんが来たわね」
そうだった。エデンは振り返り、アリシアを見上げる。水球を楽しそうにつついて遊んでるのを見ると、その勢いでアバターを割ってしまうだろうか。
「……私は、アリシア様の中でイメージを整理いたします」
「そうね。それじゃあ、エバさんが帰ったらまた続きをやりましょう」
エデンのアバターが魔力の粒子に分解され、アリシアへと還っていく。それと入れ違うように、エバがリビングに顔を出した。
「レイラ、お邪魔するよ。おぉ? なんだい、綺麗じゃないか」
「あら、エバさん。こんにちは」
レイラはエバを笑顔で迎えると、差し出されたカゴを受け取った。
「これは?」
「コパの両親からだよ。迷惑かけたって持たされてね。まったく、わしを便利屋か何かと勘違いしとる。アリシアちゃん、楽しそうじゃねえ」
「お、エバーバ! おはよう!」
アリシアはエバに挨拶をするも、椅子から降りると両手を上げてリビング中にある水球を追いかけ始めた。
エバはその様子を見て笑っているが、レイラは苦笑いしながらかごにかけられた布を捲る。すると、真っ赤な艶のある果実が、カゴいっぱいに詰められていた。
「まあ、ルルがこんなに?」
「遠慮せんと受け取りな。子供を助けてもらったんだ」
エバはアリシアを視線で追いながらそう言うと、返事のないレイラを振り返った。
すると、レイラが頬を緩ませてかごをじっと見つめている。
「なんじゃお前さん、ルルの実が好きだったんか?」
「え? あ、はい。顔に出てましたか?」
「がっはっは! じゃあ、またたんまりと貰わんといかんの!」
「い、いえ。これだけでも、とてもうれしいです」
レイラがパタパタと手を振りながら椅子に座ると、エバが「そういえばの」と困ったように口を開いた。
「コパのやつ、一度村の外に出たからか、見回り組に入りたいとか騒ぎ出してな。ほら、あの子の父親も見回り組じゃろ? 子供が危ない事をしようというのに、嬉しそうにしおって……まだ幼いだろうに」
「まあ、それは……」
いつも通りの和やかな会話が交わされるのを眺めながら、エデンは黙々とイメージについて考えていた。
イメージとはなんだろう。映像データでも流しながら呪文を唱えれば、それで魔法が発動するだろうか。いや、imageであれば静止画の方がいいか。数字の羅列で思考するエデンにとって、人のイメージというものがいまいちピンと来ない。
そう思っていると、思考の中に突然アリシアの声が響いた。
(エレおねえちゃん! きいてる!?)
(はっ!?)
そのまだ慣れない呼び方に驚きつつ視界を確認すると、アリシアが小さな足をバタバタと動かしながら、口を少しとがらせてレイラとエバを見つめていた。
(つまんない!)
訴えるその声はエデンに響くが、レイラとエバには聞こえていないようで笑いながら会話を続けていた。
(アリシア様、これはいったい……)
(ママとエバーバ、むつかしいおはなしばっか!)
エデンが狼狽していると、アリシアの声がまた響いた。するといたずらっぽく笑い、頭を下げて歩き出した。
(アリシア様? どちらに行かれるのです?)
(ママのおへや!)
それを聞いて、エデンの魔力粒子が飛び上がった。アリシアの足の向かう先は、レイラから入ってはいけないと繰り返し言われている仕事部屋だ。
(アリシア様! いけません、ママ様から止められています!)
(いいの! だってママ、おはなしばっか!)
アリシアはエデンの呼びかけを笑って流すと、背伸びして仕事部屋のドアノブをつかんだ。開いた隙間からさっと身体をすべりこませると、部屋の中に満たされたえぐみのある臭いがアリシアの鼻腔を刺激した。
「くしゃい!」
思わずこぼれてしまった言葉に、アリシアが慌てて口に手をあてる。
(エレおねえちゃん! しーっ!)
(私ですか!?)
大きなテーブルからは植物の葉がこぼれ、見た事のない器具にガラス瓶が乗せられている。壁に備え付けられた台にはざるやボウルが重ねて置かれている。天井にはフックで物がかけられるようになっており、そこには得体のしれない果物が何房もかけられていた。
するとアリシアが目を輝かせて、こっそりとした足取りで部屋の中を進んでいく。
(アリシア様! 戻りましょう!)
(もうちょっと!)
エデンの静止を笑顔で拒絶し、アリシアは身近にあった箱を背伸びして覗き込む。そこにはガラスや金属で出来た器具が無造作に放り込まれていた。冷たい金属がうっすらと部屋に差し込む光を反射し、鈍く光っている。
(おー! これなに!?)
(アリシア様! お触りにならないほうが)
アリシアの小さな手が伸び、器具に触れようとしたその時。
「はい、そこまで」
横から伸びた手が、アリシアの手をつかんだ。振り返ると、そこには困ったような顔をしたレイラが立っている。
「ぎゃあ! ママ!」
「アリシアちゃん。ここには入っちゃダメって言ったでしょう? めっ!」
「おやぁ、アリシアちゃん、ママのお部屋が気になっちゃったのかい?」
エバはそう言って笑っているが、レイラは困り顔だ。
「危ない物もあるんだから。入っちゃだめよ? 良い?」
その言葉を聞き、エデンがアリシアに怪我がなくてよかったと安堵していると、アリシアがぷいとレイラから視線を逸らした。
「エレおねえちゃんが……いいよって」
(アリシア様!?)
その言葉に、エデンの音にならない声が響く。しかしアリシアから返事はなく、その言葉を聞いたレイラが眉を吊り上げた。
「アリシア、エレお姉ちゃんはそんな事いわないでしょ!」
「い、いった、もん!」
「アリシア、ちゃんとママの顏を見なさい」
そう言ってアリシアの頬に手を当て、顔を上げさせる。
「嘘は駄目。ママ、分かるんだから」
「……そうなの?」
「うん。だからほら、エレお姉ちゃんにごめんなさいしないと」
「うん……ごめんなさい」
(アリシア様……)
しょんぼりとしてしまったアリシアに、エバが笑いながら明るく語り掛けた。
「そういえば、エレちゃんは今日はおらんのだねえ。また会いたかったんじゃが」
「ええ。時々餌を取りにどこかへ行ってしまうんです」
レイラは苦笑しながらそう答えると、アリシアを抱き上げた。
「ちゃんとごめんなさい出来たから、エバさんが持ってきた果物食べましょう」
「え!? たべる!」
リビングに戻りアリシアを椅子に座らせると、上機嫌になった様子を見てエバが笑った。
それをしり目に、レイラはキッチンに入ると愁いを帯びた表情で小さくため息をついた。




