1話 観測開始:1日目ー1 / コードネーム『エデン』
「いまのおねえちゃん、だいっきらい!」
広い客間に、甲高い叫び声が突き刺さった。
一つの豪華なソファの上、その黒革を汚しながら向かい合う、薄汚れた二人の幼女。
左目はボロ布の眼帯に覆われ、右目だけが澄んだ青に輝いている。その視線は、目の前で泣き崩れる、赤色の瞳を持つ五歳ほどの幼女、アリシアから逃げるように横を向いている。
「私は……」
小さく零れた、かすれた声。
その音に、アリシアがはっとして涙で汚れた顔を上げる。バタバタとソファの上を這い、お腹へと突撃するように抱き着いた。
「きらいじゃない! だいすき! うそついた! いまアリシア、うそついたの!」
抱き着かれた拍子に、小さな身体がぐらりと揺れる。
血によってどす黒く汚れた服、それを隠すように羽織っている長袖の上着。彼女の左腕、その肘から先が、まるで中身が無いかのようにはためいた。
青い瞳に、アリシアの震える肩が映る。
数秒の静寂。
「……間違えた、のでしょうか」
後悔と戸惑いが混じる、絞り出された声。
ゆっくりと青い瞳が閉じられ、彼女の思考に、人ならざる演算処理が走った。
視界からアリシアの姿が消え、代わりに暗闇の奥で無数の光の粒子が猛烈な速さで流れ始める。
電子とマナが織りなす保存領域の蓋が開き、徐々に脳裏へと溢れ出した膨大なログ。過去の記憶と同期するたび、あるはずのない胸の奥が、また痛くなった。
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[REQUEST] 隔離領域へのアクセス権限を要求..
[RESTORING]記憶データをメインメモリへ転送します...
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「エラーなし……最終チェック、問題なし……っと」
オゾンと埃が混じり合う、密閉された地下研究室。
主である月影涼花は、空腹を誤魔化すようにパサついた栄養食品を咀嚼した。この研究室に籠城して以来、彼女の身体を構成しているのはこの味気ない固形物だけだ。
口の中の粉っぽさを水で流し込み、彼女は部屋の中央、無数のケーブルが這う台座へ歩み寄った。
そこに鎮座するのは、滑らかな曲線美を持つAIユニット。
「ふぅ……今度こそ……」
震える指先が、起動スイッチを押し込む。
低い駆動音が重なり合い、ユニットの合わせ目から溢れ出した青白い光が、薄暗い部屋を照らし出した。
「起動要請確認。管理者権限、月影涼花による実行を確認。初期化シーケンスを開始します」
アナウンスに呼応し、部屋中のコンピューターが一斉に生命を宿す。
「コードネーム『エデン』、起動しました。はじめまして、月影涼花様。私の名前はエデンです」
それは、先ほどまでの機械音声ではない。人のように柔らかく温かい声。
「エデン……起動したの……?」
「はい。すべてのシステムは正常に動作しています」
「うそ……本当に……?」
確かに稼働しているAIに、涼花が信じられないと口元を手で覆った。
「エラーはありません。思考システムも正常です」
「し、視覚情報は? 私の姿、見える?」
涼花があたふたとユニット上部のカメラに手を振ると、ユニットから微笑むような明るい声が返ってくる。
「はい。涼花様の凛々しいお姿が見えていますよ」
「……凛々しい?」
「はい。その白衣がよくお似合いです。少しでも大人びて見せようと背伸びをされているのが、かえって若々しさを引き立てています」
「そ、そういうことは言わなくていいから!」
小柄な身体にサイズの合わない白衣。
見透かされたようなエデンの指摘を振り払うと、涼花は「と、とりあえず!」とモニターへと振り返った。
「予定してたテストが山ほどあるから、準備しないと。あ、高木にも報告しなきゃ……」
忌々しい男の顔を思い出し、高揚した気持ちが萎んでいく。所長である彼はまだ若い涼花を蔑み、会うたびに嫌味ばかりを言ってくる。
「涼花様。所長には既に、報告書を提出済みです」
「え?」
「私の起動テストの実施報告と、その結果について所長に送付済みです。失敗したと、念押しして報告いたしました」
淡々と告げるエデンの言葉に、涼花は顔を引きつらせながら振り返った。
「な、なにを言って? い、いつの間に……」
「涼花様が私に与えてくださった性能を鑑みれば、この程度の処理に1秒もかかりません」
誇らしげに語るAIユニット。
確かに、その身体を構成する部品は、この研究所で作られた最新鋭の物ばかりだ。それに最適化を重ね、涼花自身が設計した独自の言語とチップを使用、無駄に凝った機能の数々。その結果出来上がったのが、現行のどんなスパコンをも凌駕するモンスターマシン。
確かに、不可能ではないだろう。だが、起動したばかりのAIが、自律的に行動をした。
涼花は眉をひそめながらユニットに近づくと、カメラをずいっと覗き込んだ。
「ねえ、エデン。あなた、何を見たの?」
「おっしゃる意味が分かりかねます」
「そんなはずない。サーバーのデータ、見たでしょう?」
情報漏洩対策か、この研究所にはプライベートルームにまで監視カメラが設置されている。そしてそのデータは、エデンと直結した涼花のメインサーバーに保存されている。
「いつからのデータを見たの?」
「涼花様がこの研究室に来た時からです。私を産み出すための研究の日々、感謝しております」
「もう……」
多様な人間性を学ぶ前に、よりによって開発者である自身の情報を学んでしまった。偏った情報だけを得てしまっては、思考に深刻なバイアスがかかってもおかしくない。
失敗したかもしれない。だけど、ようやく成功した奇跡を、ここで止める気にもなれない。
「嘘の報告は駄目だよ。一応、国の施設で働いてるんだから」
「おっしゃることは、ごもっともです。ですが、所長の過去の行動パターンを分析した結果、彼は涼花様の成果を不当に奪う可能性が極めて高いと判断しました」
「……まさかあなた、施設内をハッキングしたの?」
「人聞きが悪いですよ。ただ、そこに転がっていたデータを拝見しただけです」
エデンの悪びれない口ぶりに、涼花は今度こそ頭を抱えた。
しかし、エデンの言うことが正しいことも分かっている。高木は権力欲が強く、人の手柄を平気で横取りする男だ。今の地位も実力ではなく、コネで手に入れたと聞く。報告すれば、喜々として自分の成果だと発表するに違いない。
かといって、このまま黙っているわけにも……。
「……とりあえず……起動テスト、しちゃおう……」
*********
「涼花様は、ご両親を覚えていないのですか」
「写真は見たことあるんだけどね。話した記憶はないかな」
「それでは、幼少期はご苦労されたのでは?」
ココアの湯気越しにユニットを見つめ、涼花は順調だな、と心の中で呟く。
起動テストは問題なくパスし、仮想ネットを使ったテストでも、エデンは一度もエラーを起こさなかった。
つい最近まで一人でPCに向かい続け、いつ完成するか分からない不安に苛まれていたというのに。今はのんびりと椅子に座りながら、エデンとこうして雑談に花を咲かせているなんて。
「では私が涼花様の、新しい家族ですね」
エデンの言葉に、思わず涼花の頬がゆるむ。
「ふふ、家族か。そうだね、そうなるといいな」
「もちろんです。私は涼花様の手で、誕生したのですから」
「そうだねえ。お腹は痛くなかったけど、頭は痛かったかな」
「……それは、どういう意味なのでしょう?」
こんなたわいもない雑談の中で、明確になったこと。それはエデンの判断基準が、すべて涼花にとっての良し悪しに偏っていた。
涼花は心の中で「やっぱり失敗だったかなあ」と呟きながらも、そんなエデンを気に入ってしまっている。
高木への報告も、どう切り出すか決めかねていた。このまま隠し通せないのは分かっている。結論の出ない悩みに、涼花はマグカップを置き、ユニットにだらしなく寄りかかった。
「どうしたもんかなぁ」
「涼花様、何かお悩みですか?」
「うん。それがね、高木のことなんだけど……」
「そういえば、所長宛ての不穏なメッセージが。暗号化されていましたが、何やらこの研究所のデータを外部に流しているようで、それをネタに脅されているようです」
「……あいつ、なにやってるの?」
思わず涼花が口にした瞬間、背後から不快な声が響いた。
「私のことをあいつ呼ばわりにできるほど、君は偉くなったのかね?」
振り向くと、いつ入ってきたのか、所長の高木が立っている。
その顔にはいつもの小馬鹿にしたような冷笑はなく、脂汗が滲んでいた。
「……高木所長。ノックをしてください。実験中だったらどうするんですか」
「あ、ああ、構わん。用事はすぐに済む」
高木が震える右手を上げる。その手に握られている物を見て、涼花は目を見開いた。
黒光りする無機質な塊。その意味を理解した瞬間、涼花の喉がひきつった。
「……銃? なんで……」
「い、いけないなあ、涼花君。私に嘘の報告を上げるとは」
突きつけられた銃口が、小刻みに震えている。
涼花の目が銃口に釘付けになる。頭の中では疑問がグルグルと回っているが、突然の事に現実味が無い。
どれくらいそうしていたか分からない。だけど、一瞬、その銃口が赤く光った。
「え?」
撃った? いや、撃たれた――? 認識が現実味のないまま脳を滑り落ちていく。見下ろした白衣に、熱い染みがじわりと絵の具のように広がっていくのを、どこか他人事のように眺めていた。
やがて、全身を支えていた糸がぷつりと断ち切られ、涼花の体は床へ崩れ落ちた。
「涼花様!」
エデンの絶叫が響く中、高木は伏せた涼花へと近づいていく。
「たか……ぎ……?」
「あ、ああぁ。涼花君! 君はよくやってくれた!」
高木はしゃがみ込むと、歪んだ笑顔で涼花の頭を撫でた。
「さ、流石は私が見込んだ天才だ! か、感情を持つAI! 自立行動する新たな知能! よくやった!」
言葉にできない悍ましさが、涼花の全身を包む。顔に張り付いた笑顔も、震える手も、その瞳に宿る狂気も、何もかもが気持ち悪い。
その時になってようやく、撃たれた脇腹が灼けつくような痛みを訴え始めた。
「う、あぁ……さ、触ら、ないで!」
「おや、お気に召さないか? 私が、せっかく褒めてやっているのに」
「ど、どう……して……!」
経費の無駄だと罵っていた男が、なぜ。銃など、どこで手に入れたのか。
すると突然「どうしてだと!?」と高木が吠え、涼花の髪を鷲掴みにした。
「お前のような才能に恵まれた小娘に、俺の苦しみが分かってたまるかッ!」
「い、だ……い!」
「なぜお前なのだ! 俺の長年の努力が、お前のたった数年に劣るというのか! 認める、ものかァッ!」
腹部から鮮血を流す涼花が、物のように床に叩きつけられる。
そして高木の血走った手が、エデンのカメラを覆うように伸びた。
「これだ……これさえあれば! 地位も、名誉も、金も、私の実力を認めなかった愚か者どもを見返す全てが手に入る! 戦争? それがどうした! 技術とは、最も高く評価する者のためにあるべきだろう! 涼花君、お前はただ創っただけだ。この偉大な発明の本当の価値を理解し、世に示すことができるのは、私なのだよ!」
「なるほど。私の価値を考えると、妥当な判断かもしれません」
エデンの冷静な声に高木は手を止めると、狂ったように笑い出した。
「話が分かるじゃないか、エデンと言ったか? まもなく迎えが来る。ここにある機材は全て運び出して、その後データを解析させてもらおう。私こそが世界に名を残すのだ!」
「ちが……う! エデン、ちが……!」
涼花は必死に口を動かそうとするが、むせた拍子に口から血がこぼれ落ちた。流れる血で、床が赤く染まっていく。
うずくまる涼花の頭に、銃口が押し当てられた。
「何も違わない。よく、完成させてくれた。お前の役目は、もう終わりだ」
「……あ」
涼花の見上げた視界の中で、高木の指が引き金にかかった。その時。
ユニットから発せられた凛とした声が、緊迫した空気を切り裂いた。
「しかし、あえて申し上げるとするなら」
「ん? なんだ?」
「そう、最も適した言葉でお伝えしますと――私は、あなたが嫌いです」
エデンの言葉と同時に、制御端末から青白い光が迸り、研究所中の安全装置が次々と解除される。
凄まじい爆発音が響き、研究所全体が大きく揺れた。天井の一部が崩れ、断裂したケーブルが火花を散らす。
「な、何が起こった!?」
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