ガロ婆の正体
「ぎゃあああああ!!」
男が叫び声を上げる直前、ガロ婆がふわりと宙に浮いたのが見えた。
そして次の瞬間には、男の腕が飛んでいた。
男の叫び声と、ガロ婆の着地はほぼ同時だった。
私は咄嗟に立ち上がり、ナイフを抜いて近くの男に斬りかかった。男は未だ呆気に取られていて、反応は鈍かった。その隙を付いて、男の胸にナイフを突き立てると、男は声を上げる間もなく大量の血飛沫と共に崩れ落ちた。
私は視線を動かし、次の標的に狙いを定める。
「て、てめぇら!」
残った男が叫ぶのと同時に、私は駆け出していた。男は混乱しながらも私に狙いを付け、手に持った剣を振り下ろす。見え見えの一撃は空を斬り、私のコートを僅かに撫でるのみだった。
私は姿勢を低くしながら、男の横を通り抜け際に横腹を斬りつけた。男の鮮血が雨のように飛び散って地面を濡らした。
私は体勢を整えながら男に対して向き直った。その直後、ずきりと傷んだ脇腹を押さえながら、思わず顔が歪んだ。
――やはり、浅い。
思うように力が入らず、仕留め切るにはあと一押しが足りない。最初の一撃で倒し切れない詰めの甘さはツケとなり、後々の戦いに響いてくる。この場には目の前の男が最後だが、騒ぎを聞き付けた奴らの仲間がすぐに押し寄せるだろう。
「てめぇ! ぶっ殺して――」
男は、それ以上の言葉を喋ることができなかった。
目にも留まらぬ剣閃が空を撫でると、男の首は胴体から切り離されていた。
いつの間にか男の背後に立っていたガロ婆が刃を杖に戻し、かちんと音を立てるのと同時に、男の首が地面に落ちた。
「ほっほっほ。いい反応じゃわい」
ガロ婆は、それまでと同じくゆっくりとした口調で笑った。周囲に目を遣ると、先程ガロ婆が腕を斬り落とした男も首が飛んだ状態で地面に転がっていた。
「……ガロ婆、やはりあなたも……」
「ああ、そうじゃよナンバー十三」
ガロ婆はにやりと笑って言った。
「あたしはナンバー四じゃて。もっとも、あたしは聖女の指示で動く隠居ババアじゃがね」
「聖女の……?」
「そう、たとえばケガをしたナンバーズの道中の護衛、とかねぇ」
「……なるほど。監視役ということですか。私が逃げないようにするための」
「最近の若いもんは疑り深いのう」
ガロ婆はほっほっほと笑いながら、杖を突いて歩き始めた。
「お前さんはちょっと休んでおれ。残りはあたしが掃除してくるわい」
「そうは参りません」
ガロ婆の言葉を否定して、私は一歩前に出た。
「敵はまだ多勢です。ご隠居お一人に全て任せるわけにはいきません」
私が言うと、ガロ婆は足を止め、私に背を向けたままで言った。
「そのケガじゃと足手まといだとしてもかえ?」
「そうだとしても、囮と陽動ぐらいはできます」
背を向けたままのガロ婆に、続けて言葉を投げかける。
「あなたも高齢ですので、動いている的よりは止まっている的の方が狙いやすいでしょう?」
「かっかっか。言ってくれるのう」
そこでようやくガロ婆は私の方を振り返り、にやりと口角を上げた。
「それならちょいと手伝ってもらおうかえ。じゃが無理はいかんぞ?」
「心配は無用です。自分の身ぐらい自分で守ります」
「その向こう見ずさはあたしの若い頃そっくりじゃて」
「光栄ですよ。……そう言っている傍から、来たようです」
「ほっほっほ。このババアにも聞こえるほどのでかい足音じゃな」
周囲に視線を遣ると、馬車の進行方向の前方から三人、後方から四人の男たちがこちらに向かって駆けているのが見えた。足音の乱雑さを聞く限り、相当焦っているようだった。
「さて、作戦はどうするかえ?」
「ひとまず私が先行します。ガロ婆は自由に狙って下さい」
「ひゃっひゃっ。あたしのような耄碌ババアでもわかりやすい単純な作戦じゃて」
ガロ婆が高笑いしたのを受けて、私は前方の三人に向かって駆け出した。少し遅れて、ガロ婆のゆったりとした足取りが続いたのが聞こえた。
前方に目を遣ると、男たちは私が突撃してきたことに少し驚きつつも、各々の得物を構えた。私は相手の様子を窺いつつも、走る足を止めなかった。間もなくお互いの得物が届く距離に入ろうかというところで、男の一人が剣を水平に構えるのが見えた。
繰り出された横薙ぎの一撃を、私はしゃがんでやり過ごすと、続けて別の男が振り下ろした剣を横に跳んでかわす。左手を付いて回転しながら着地すると、すぐさま立ち上がって男たちの背後に回るように駆け出した。反射的に、男たちの視線が私の方向に向く。
それが、彼らの命取りだった。
男たちの背後から急加速して一気に距離を詰めてきたガロ婆が目の前で止まると、杖の中に仕込まれた刀を抜いた。そう思った直後には、男の首が宙を舞っていた。
「このババア!」
その言葉に特に意味はなかった。彼らも何が起こったのかわからず、咄嗟に、ただ目の前にいた者を指して言っただけなのだろう。だが、戦いにおいてはその隙こそが命運を左右する。
男が言い終わるや否やのところで、ガロ婆は抜いた刀を男の喉に突き刺していた。一瞬の迷いもなく、相手の命を刈り取る一撃だった。
最後に残った男は、目の前で二人の仲間がやられた時間を利用して、ガロ婆から距離を取ることに成功していた。手は震えながらも、構えた剣は降ろさなかった。ただし腰は引けており、ガロ婆が踏み出す足に合わせて男は一歩、また一歩と退いていた。
その背後から、私が足音を消しつつ近寄ると、男の背中にくっついた。男が私に気付いた刹那、喉をナイフで切り裂く。声を上げる間もなく、男は血の雨を降らせた後、その場にくずおれた。
あとの作業はひどく簡単なものだった。
あっという間に三人の仲間がやられたのを受けて、まず残った四人の内二人が剣を捨てて脱兎のごとく逃げ出した。残った男たちは逃げるわけでもなく、だからと言って積極的に戦うわけでもなく、ただただその場に留まって右往左往していた。
「逃げなくてええんかえ?」
男たちに向かって歩を進めながら、ガロ婆はにやりと笑った。錯乱した彼らにとって、目の前の老婆は余程恐ろしく見えただろう。全身をがたがたと震えさせながら、持っていた剣を取り落とした。
その瞬間、ガロ婆は駆け出し、一気に距離を詰める。
男たちには既に戦う意思はなかった。迫りくるガロ婆が目に入った途端、背中を見せて逃げようとした。
だが、その背中を容赦なくガロ婆の刀が襲う。
まず一人目の背中を突き刺すと、続けてもう一人の首を斬り飛ばした。命を失ったその身体は力なく崩れ落ち、それ以降動かなくなった。
「……何か、言いたげじゃな?」
ガロ婆は刃を杖に戻しながら、彼女の後ろに立つ私に向かって言った。
「やり過ぎですよ。ガロ婆」
私は小さく肩を竦めながら、苦笑いした。
「残った彼らは既に戦う意思はありませんでした。何も殺す必要はなかったかと」
「命は、限りあるものじゃよ」
ガロ婆は杖を突きながら、私の方に向き直った。
「じゃが、彼らはその時間内に決断できなかった。つまり、彼らは時間切れじゃて」
「…………」
「不満かえ? ナンバー十三」
「……いえ、あなたの言うことはよくわかります」
私はナイフを腰に差しながら言った。
「私も、以前はそうでしたから」
「今は丸くなったのかえ?」
「今の私は冒険者の付き人ですからね」
「ほっほっほ。そうかえ」
ガロ婆は高笑いすると、「よっこらせ」と言ってその場に腰を下ろした。
「あいたたたた。久し振りに動くとやはり腕が鈍っておるのう」
「いえ。素晴らしい腕前でした」
「お前さんもな、カノン。見事なサポートじゃったわい」
「……それはそうと、ガロ婆」
機嫌が良さそうに笑うガロ婆に向かって、私は言った。
「あなたは言いました。自分が彼らと話を付ける、と。結果的にこうなったのは止むを得ないにせよ、どこまでがあなたの予定だったのですか?」
「ああ、そのことかえ。あれは、最初からじゃ」
「最初から?」
私が聞き返すと、ガロ婆は事も無さげに笑って言った。
「最初から、ずっと予定外れじゃったよ。あたしは話をすると言ったが、話が得意とは言っとおらんからな」
そう言って、ガロ婆はひっひっひと笑った。




