聖地巡礼
「教団」の保養所は「修道院」の名目で、グレゴールから馬車で二日程離れたコロンという街に位置していた。
コロンは「教団」の聖地としても有名で、信仰の厚い者が訪れる巡礼先としてもしばしば名前が上がるほどである。
休暇を決めてから数日後、リズと一時的な別れをした私は、そのコロン行きの馬車に揺られていた。
馬車の中は私と老婆が一人、はす向かいに座っている。フード付きの外套に身を包み、髪は灰色に染まっていた。年齢は五十を超えているだろうか。老婆は俯きながら、舟を漕ぐように前後に揺れていた。
私は服装も普段の鎧ではなく、ケープ付きコートを羽織り、その下はダブレットとスカート、それにストッキングにブーツという動きやすいいで立ちだった。旅をする巡礼者としては一般的なスタイルで、下手に冒険者と思われるよりはトラブルに巻き込まれるリスクが低い、というノアのアドバイスだった。戦闘目的ではないため槍も持ってきておらず、護身用として腰にナイフを忍ばせているのみである。
私は手元の本から顔を上げ、馬車の車窓から外を眺める。外は温かい日差しが差しており、天気は良い。旅の日和としては絶好の日取りだと言えた。
思えば、ここしばらく一人で過ごす時間は少なかったと言える。旅の行く先ではリズと同行していたし、パンダスで療養していた時も傍には常にルーチェやルイズがいた。このように一人の時間を持て余すのは久し振りかもしれない。
もっとも、本格的に持て余すのはこれからと言えるのだが。
私自身、この少しだけ物足りない気持ちには慣れておかないといけない。
「ほれ、そこの若いのや」
ふと声を掛けられて思考を現実に戻す。いつの間にか目を覚ましていた老婆がこちらを見ていた。
「お前さんも巡礼かえ?」
「はい。ご婦人もコロンへ?」
「いやだよぉ、ご婦人だなんて。あたしなんてババアで十分さね」
私が応じると、老婆は手をひらひらさせながらおほほと笑った。とても朗らかに笑う、気立ての良い老人だと思った。
「せっかくの神のお導きさね。ちょいとばかりこのババアの暇つぶしに付き合ってもらえんかね?」
「ええ、構いませんよ」
私は本を閉じて肩に背負った荷物袋に仕舞った。それから老婆に目を向けると、老婆はにっこりと笑った。
「私はカノンと申します。あなたのお名前は?」
「ほっほっほ。カノンかえ。神々しくてええ名前じゃのう」
「ありがとうございます。『神々しい』は初めて言われましたが……」
「謙遜するこたぁないさね。お前さんの生まれと名付け親に感謝するといい」
私は笑顔を浮かべつつ、内心で苦笑する。私の名前が生まれにも親にも関係ないと知ったら、どんな顔をするだろうか。
「……あの、それであなたのお名前は……?」
「あたしかえ? そうさねぇ……」
老婆は両手で持った杖を馬車の床に何度か打ち付けながら、少し考えるように唸った。
「うむむ。とりあえず、あたしのことはガロ婆とでも呼ぶとええ」
「わかりました。ですが、とりあえず、とは?」
「あたしぐらいの歳になると、色々あるもんさね。そう、色々ね」
そう言って、老婆は口角を上げて面白そうに笑った。正直なところ胡散臭さしか感じなかったが、その意図があまり読めなかったこともあり、私は「そういうものですか……」と呟くに留めた。
「それでは、ガロ婆様」
「これ。様は余計じゃ」
老婆は少しだけ渋い顔をしながら、口を尖らせて言った。
「しかし……」
「お前さんは若いんじゃから、今のうちにあたしのような胡散臭いババアをぞんざいに扱う訓練もしておいた方が良いぞよ?」
老婆は杖を両手を重ねて持ちながら、かっかっかと笑った。正直、そんなことをする訓練がいつ役に立つかはわからなかったが、この手の老人は一度頑固になると相手の言うことを聞かなくなりがちだ。それに、こんな呼び方一つでいちいち他人と揉めていては先が思いやられる。
私は一つ溜め息を吐いた。それは何かを諦めるのに必要な間だった。
「……わかりました。それでは、ガロ婆」
「うむうむ。それでええ」
老婆——ガロ婆は満足そうに頷いた。
「それで、ガロ婆もコロンへ?」
「そうじゃ。あたしはこう見えて敬虔な教徒でな。毎年欠かさず巡礼しておるのじゃ」
「それは素晴らしい」
私は素直に賞賛した。「教団」所属のナンバーズでありながら、今回初めて聖地に赴く誰かさんとは大違いだと思った。
「我らが父もお喜びになられていることでしょう」
「ほっほっほ。これも老い先短い婆ができる数少ない功徳じゃて」
ガロ婆は目を細くしながら高笑いをした。さっきから話の主導権を取られてしまっているようで、どうにも落ち着かない。リズがいる場面では一歩引きながら会話に参加していることが多いので、その分少し鈍っているのかもしれない。
こんな世間話で主導権を取ったところで何になる、という意見はもっともなのだが。
「それでカノン、お主はどうなんじゃ?」
唐突に、ガロ婆は私に話の矢印を向けてきた。
「まさかその歳で巡礼だけして終わり、ということもあるまいて」
「私は療養ですね」
私は正直に、旅の目的を話した。隠すようなことでもないし、隠さなくてどうにかなるようなものでもないと思ったからである。
「お恥ずかしながら、少々ケガをしてしまいまして」
「恥ずかしいことなんぞあるものかいね」
ガロ婆は即座に、私の発言を否定した。
「冒険者にとってケガは勲章みたいなものさね。誰かを守って負った傷なら、それは誇って良いものじゃて」
「そうだったら良かったんですけどね……」
実際のところ、私のケガは情けない自損事故だ。
勝手に先行した挙句、相手の実力を見誤った。そのことでさらに頭に血が上り、引き際すら誤った。
今思い返しても、あれは惨めで恥ずかしい経験だった。
「それはそうと、どうして私が冒険者だとわかったんですか?」
私の今の外見は旅をする巡礼者のもので、普段の鎧や槍といった武装は身に付けていない。また冒険者の証であるタグは荷物袋の中で、身分を表すものは何もない。
それなのに、この老婆は事も無さげに私が冒険者であることを見抜いた。
これは偶然なのか。それとも。
「特に難しいことでもあるまいて」
ガロ婆は笑いながら言った。
「お前さん、巡礼には慣れてなさそうじゃが、旅には随分慣れておるように見える。落ち着き払った振る舞いもそうじゃが、女が一人で旅をするには荷物があまりにも少な過ぎる」
「…………」
「それに、お前さんが馬車に乗る時、足音を全く立てなかった。旅をするのに慣れていてそんな動きができるような者と言ったら、真っ先に浮かぶのは冒険者じゃろうて」
「……あなたは、何者ですか?」
「そんなに警戒せんでも、あたしはただのババアじゃよ。もうとっくに引退した、ねぇ」
そう言って、ガロ婆はエッヘッヘと不気味に笑った。
「だから、そのコートの下でナイフの感触を確かめるのはやめてくれんかのう?」
「……なるほど」
私はナイフから手を放し、コートの外に出して両手を挙げた。
「それで、あなたは私の敵ですか? それとも味方ですか?」
「おお怖い怖い。最近の若い者は怒ると怖いからねぇ」
「……質問に答えて下さい」
「どちらでもないさね。まあ、少なくともお前さんと敵対はしたくないねぇ」
私は一度息を飲んだ。思考を巡らせながら、目の前の老婆を観察する。
見たところ敵対の意思がないのは本当だろう。もしその意思があるのなら既にやっているはずだからだ。しかし、この老婆の言うこと全てを信じられない自分もいる。
一度、こちらから仕掛けてみるか?
いや、相手の実力が知れない以上、迂闊なことをするのは却って危険だ。
少なくとも現状、目の前の老婆は敵ではないのだから。
「やれやれ。すっかり警戒させちまったねぇ」
「すみません。冒険者は警戒するのが仕事なもので」
「あたしは道中楽しくお喋りしたかっただけなんだがねぇ」
そう言って、ガロ婆はイッヒッヒ、と笑った。
——その瞬間、馬車が急停車した。




