カノンと子守り②
クラリアとの「お茶会」を楽しんだ後、私は彼女のダンスレッスンに同行していた。
部屋は板張りの広い空間で、軽く十人ぐらいは横になれるだけの広さがあり、その中には一台のチェンバロが置かれていた。
「これはピアノという楽器でございます。カノン様」
私の間違いを訂正したのは、ミラと名乗った女性だった。背は高めで、ボディラインの見える紺のボディスに、同じ紺色のホットパンツ、それにやや薄手のタイツと動きやすい恰好をしていた。彼女はクラリア専属の家庭教師で、週に何回かこのアーミテージ邸を訪れているということだった。
私はクラリアの言いつけ通り部屋の隅に立って見学していると、二人は準備運動としていくらかの柔軟体操を行った後で、レッスンを開始した。
「では、まずは基本的なステップの確認からです」
「えー、前回もそうだったでしょ?」
「文句を仰らないで下さい。ダンスにおいてステップは基本中の基本でございますよ?」
「ちぇー」
口を尖らせながらも、クラリアはスカートの裾を掴み、ミラが手拍子で刻むテンポに合わせてゆっくりと足を動かし始めた。最初につま先を伸ばした後、身体を沈めるようにして三歩歩き、四歩目で再びつま先を伸ばす。これがワンセットで、この動きを繰り返す。
動作自体はゆっくりとしたものだったが、身体は早く動かすより遅く動かす方が大変だ。まして、ダンスのステップは手の指先からつま先に至るまで全ての神経を研ぎ澄ませて行うものであるため、その疲労度は見た目以上のものだろう。実際、練習を始めて間もないクラリアの額には軽く汗が浮かんでいた。
ステップの基礎練習をたっぷり十五分はやっただろうか。少しだけ休憩を挟んだ後、今度は手の動きも加えたステップの練習が始まった。まずは教師のミラがお手本として、両腕を大きく使ったダンスのステップを披露していた。
クラリアはその様子を真剣な目で観察していた――と思ったらふと私の方に顔を向け、小さく手を振った。私が苦笑いしながら手を振り返すと、クラリアはにっこり微笑んだ。直後、「お嬢様。集中して下さい」とお叱りが飛んだ。
足のステップに手の動きを加えた練習をやはり十五分ほどみっちりやった後、ようやく休憩時間に入った。休憩開始の声が掛かった瞬間、クラリアが私のところに駆け寄ってくる。
「ねぇ! あたしのダンスどうだった!?」
「ええ。とても素晴らしかったですよ」
期待の眼差しを向けるクラリアに素直な感想を伝えると、勝気なお嬢様は「ふふん、そうでしょ!」と満足気に頷いた。その様子を、私も微笑ましく見守った。
「カノン様」
その時、横から声が掛けられた。先程までレッスンを指導していたミラである。
「よろしければ、カノン様もやってみませんか? 黙って見ているのも退屈でしょう」
「いや、私は……」
「いいわね! あたしもカノンのダンス見たい!」
ミラの提案に、クラリアは目を輝かせた。そんな顔をされては、断るに断れない。
私はミラに案内されるがまま部屋の中央に進み、ミラと相対した。
「カノン様。ダンスのご経験は?」
「舞踏会で他人が踊っているのを見たぐらいで、自分では一度も……」
「でしたら、一度思う通りにやってみましょう。カノン様は冒険者でいらっしゃいますから、きっと吸収も早いはずですわ」
そういうものだろうか。
ミラの理屈には少々疑問が残ったが、自分が動かなければこの場はやり過ごせそうにない。
覚悟を決めた私は、先程見ていたクラリアの動きを思い出しつつ、両手を伸ばして頭の上で合わせながら、一歩足を踏み出した。
「――はい。もう結構でございます」
瞬間、ミラから声が掛かった。
私は苦笑するしかなかった。私の初めてのダンスはものの数秒で打ち切りとなってしまった。
「……すみません、あまりに下手で……」
「いえ、そうではなく。その、カノン様?」
ミラは少しだけ言いにくそうに一度口をつぐんだ後、思い直したように続けた。
「……もしかして、どこかお怪我をされてますか?」
「えっ」
思わず声が出る。身体を動かした際、どこも痛みは感じなかった。何か違和感を感じさせるような動きがあったとは思えなかった。
「そのご様子だと当たりのようですね。そしてお怪我の箇所はおそらく肋骨、ですか?」
「そんなことまでわかるんですか?」
「少し脇腹を庇われているような動きに見えました。一応これでも、他人の動きを観察するのは慣れておりますので」
ミラは少しだけ恐縮しながら、頬を指で掻いた。
「カノン! ケガしてるの!?」
横で聞いていたクラリアが悲しそうな声を上げる。
「大丈夫!? 今日は無理せず休んでていいのよ!?」
「大丈夫ですよ。無理に動かなければ、痛みはほとんどありませんから」
「そう。それならいいけど……」
納得しつつも、クラリアはどこか心配そうな目で私を見ていた。つくづく、ケガをしている自分の現状がもどかしいと感じた。早く治したいが、こればかりは自分ではどうしようもない。
「それはそうと、カノン様」
少しばかり気持ちが沈んでいたところに、ミラが小声で言った。
「今日のお嬢様はいつになく真剣でした。きっと、カノン様がご覧になっておられたおかげでしょうね」
ミラの言葉に、何故かクラリアが「ふふん」と鼻を鳴らしていた。
「……私はただ見ていただけですが……」
「それが大事なのです。わたくしとしては、毎回いらして頂きたいぐらいです」
「それいいわね! カノンもうちで雇っちゃえばいいのよ!」
良いアイディアだと言わんばかりに、クラリアが笑顔で親指を立てた。ミラも笑っていたが、私としては苦笑いするしかなかった。
それにしても。
マリエルの時もそうだったが、やはりダンスに長けている人間は観察眼も目を見張るものがある。
「あの、ミラ先生?」
まさかと思い、私はミラに問いかけた。
「何でしょうか?」
「先生も、『ダンスも短刀術も似たようなもの』と仰られるのでしょうか?」
「……仰る意味がよくわかりませんが、おそらく違うと思いますよ?」
その言葉を聞いて、私は安堵した。
ようやく、自分の仲間を見つけられたような気分だった。




