カノンと子守り①
ローゼンバーグ家の「お茶会」から数日、私はアーミテージ卿の邸宅を訪れていた。最近は何かと貴族に縁が深いような気がする。
邸宅に着くと、前回同様、燕尾服姿の執事が出迎えてくれた。
「カノン様でございますね。こちらへどうぞ」
案内されるまま、執事の後ろに続いて歩く。前回はノアと一緒だったが、今日は私一人。石畳の床を鳴らしながら、少しだけ気持ちが落ち着かない感じがあった。一応リズからも「あたしも行った方がいいかしら?」と言ってもらえたのだが、今回ばかりは彼女の力は役に立たなそうなので固辞させてもらった。
服装はなんでも良いとのことだったので、今日は普段着——白いウール製の胴着に茶色のスカートという服装だった。以前マリーと食事に行った時と同じ服装で、我ながら面白味がないなと呆れる。また今回戦闘の予定はないが、念のためナイフだけは忍ばせてあった。
服装の指定が無いことで、少なくとも前回のような晒し者のような扱いは無さそうなので、その点だけは安心だった。
「あ! チキンのお姉さん!」
声がした方向を見上げると、二階のベランダから一人の少女が手を振っていた。白を基調としたローブ状のゆとりのあるドレスに、膨らみのあるピンクのスカートからペティコートの白みが少し覗いていた。頭はフリル装飾が施された室内用キャップで覆われており、以前迎賓館で見かけた時のような華やかさは薄いが、アクセントが利いていてかわいらしい姿だった。
彼女——クラリアはアーミテージ家の長女であり、今回の私の依頼主だった。
私が手を振り返すと、一度にっと笑って家の中に駆けて行った。
「旦那様は夕刻頃にはお戻りになる予定です。それまで、クラリアお嬢様をよろしくお願いします」
執事は目を伏せて軽くお辞儀をした後で、玄関のドアを開いた。
今回の私の仕事は、子守りだった。
正確にはクラリアの身辺警護なのだが、邸宅の敷地内で過ごす予定のため、護衛としての役割を発揮することはないという見込みだった。
それなら私でなくても良いと思うのだが、どうもクラリアたっての希望らしい。
——それだけ好かれているってことさ。良いことじゃないか。
私への依頼内容を伝える時にどこぞのギルドマスター殿はそんな能天気なことを言っていたが、自分で身に覚えのない好意を受けるのはなかなか恐ろしいことだ。
表があれば裏がある。
知らない内に、その人の期待を裏切ってしまうこともあるのだから。
「よく来たわね!」
邸宅に足を踏み入れた私を、クラリアが両手を腰に当てながら迎えた。
「ええ、今日はよろしくお願いしますね。お嬢様」
「何よそんな他人行儀に。クラリアで良いわよ!」
どうやら、本人としては前回会った時にすっかり打ち解けたつもりでいるらしい。あの時「気安く呼ぶな」と怒られたのは何だったのだろうか。
「では、改めてよろしくお願いします。クラリア様」
「うん、よろしく!」
クラリアはにっこり笑うと、おもむろに私の手を取り、そのまま引っ張り始めた。どうやら、彼女の中で今日のプランは決まっているらしい。
しばらくクラリアに手を引かれながら歩いていると、廊下の角にある部屋の前に到着した。
「ここはね、衣装室なの」
簡単に紹介すると、クラリアはおもむろにドアを開けると、我が物顔で中に私を招き入れた。いや、ここは彼女の家なのだから、彼女のものであるというのは間違いではないのだが。
それにしても、服を置くだけの部屋があるとは、さすがお金持ちの貴族は違うなと思った。
部屋の中は、文字通りの「衣装室」だった。広さ自体は大人が二人、両手を広げたら壁に付く程の広さしかなかったが、その中にはクローゼットや衣装ケースなどが所狭しと並べられており、それぞれに衣服がぎっしりと詰められていた。その衣服はいずれも女性用で、さながらお店の中に入ったような感覚だった。
部屋に入ると、クラリアは手を離すと、私に向かって宣言した。
「さあ、まずはそのみすぼらしい恰好をどうにかするわよ!」
「み、みすぼらしい……」
はっきりとした口調に、私は自身の服装を顧みて溜め息をついた。否定する材料はないのだが、面と向かって言われると少し傷つく。
「……まさかこの中から私の着る服を?」
「そうよ! さあ、一緒に探して!」
そう告げると、クラリアはクローゼットの戸を開けて中を物色し始めた。仕方なく私も手近にあるケースから覗いている上着を一枚手に取ってみるが、軽さといい手触りといい、かなり質の良いものであることが窺えた。もちろん、冒険者は基本的に決まった住処を持たず、僅かな荷物で各地を放浪する立場なので、衣服の品質については当て推量で答えるしかないのだが。
「ほら、これなんか似合うんじゃない?」
そう言って取り出したのは、きれいな花の装飾が施された真っ赤なドレスだった。胸元が大きく空いており、いかにも私に似合いそうもない服だというのは直感的にわかった。
「いや、さすがに派手過ぎると思うのですが……」
「そうかしら? チキンのお姉さんも素材は良いんだから、ちゃんと自分を着飾らないと駄目よ!」
クラリアはひとしきり熱弁すると、そのドレスを私の手に押し込んで、また別の服を探し始めた。
「あ、あの……」
熱心に服を選ぶクラリアの背中に向かって、恐る恐る声を掛けた。
「これは、全部クラリアお嬢様の持ち物なのですか?」
「ううん。ここにあるのはママの服よ。あたしの分は別の部屋があるの」
衣服を探す手を動かしながら、クラリアはさらりととんでもないことを言った。わかっていたことだが、やはり住んでいる世界が違う。
「だって、チキンのお姉さんもさすがにあたしの服じゃ小さすぎるでしょう?」
「それはそうですが、その、お母様の許可は……?」
「そんなの取ってないわよ。帰って来るまでに元に戻せば良いし、どうせ一着ぐらい無くなっても気付かないし」
そう言うと、クラリアはぶつぶつと「こういうのも捨てがたいわねぇ」などと呟きながら、次から次へと整理された衣服をひっくり返していた。
——このままでは、私は彼女の着せ替え人形にされてしまう。
そう思った私は、静かにクラリアの腰に手を回し、ゆっくりと持ち上げた。そのまま室内の空いた場所に着地させると、両肩を掴んで私に向き直させた。
「お嬢様。今回はお気持ちだけ頂いておきます」
「そう? 遠慮しなくて良いのよ?」
私が言うと、クラリアは首を捻った。
「クラリア様も、自分の服を知らない人間に勝手に着られるのは嫌だと思います」
「……確かに、あたしの服をパパに着られたら絶交しちゃうかも」
クラリアは自分で最悪の想像をしてしまったのか、少し間を置いた後でひどく渋い顔をした。私はそういう話をしたかったわけではないのだが、彼女が納得してくれたのは良かった。
「それでクラリア様。この後は?」
衣装室を後にしながら、私は未だに渋い顔が抜けていないクラリアに問いかけた。
「うーん、できれば遊んでいたいんだけど、あたしも忙しいのよねぇ」
そう言って、クラリアは顎に手を当てて少し考えるような仕草をした。
「今日はこの後、ダンスの練習をして、乗馬をして、お昼寝して、それからお勉強をしてパパやママと晩ご飯を食べたら終わり!」
「はあ。随分お忙しいんですね」
私は素直に関心した。てっきり貴族の子供は気ままに遊んでばかりなのかと思っていたが、高貴な者の役割を果たすために、幼い頃から教育に打ち込んでいるのだろう。少しだけ、違うものも交じっていたようだが。
「その間、私は何をしていれば?」
「あたしと、一緒にいて欲しい」
クラリアは、私の目をまっすぐ見ながら言った。
「練習もお勉強も大変だけど、チキンのお姉さんが見てくれたら、頑張れると思う」
「仰せのままに。お嬢様」
私は、胸に手を当てながら言った。
「今日は、お嬢様の忠実な僕ですから」
「うん、期待しているわよ!」
そう言って、クラリアはぽんぽんと私の腕を叩いた。期待されても何をしたら良いのかはさておき。
「それはそうと、クラリア様」
「何かしら?」
「その、『チキンのお姉さん』というのはやめて頂けませんか?」
私が言うと、クラリアは首を傾げながら目を丸くした。
「どうして?」
「第一に、前にもお話ししましたが『チキン』というのは骨が無い臆病者のこと、つまりあまり良い意味ではないのです」
私の説明に、クラリアは「ふーん、そうなのね」という、何とも言えない反応をした。
「第二に、私にはカノンという名前があります。クラリア様も、名前があるのに『チビ』とか『ガキ』と呼ばれたら嫌ですよね?」
「むっ、それは確かに……」
そこでようやく、クラリアは明確に顔をしかめた。彼女も、不名誉なあだ名で呼ばれることがどういうことか理解が及んだようだった。
「わかった。それじゃあ、あたしはあなたのことをカノンって呼ぶわ。それでいい?」
「ふふっ、ありがとうございます」
私が笑うと、クラリアも釣られるように笑った。
そういうところは、年相応の女の子という感じでかわいらしいなと思った。
「それじゃあカノン。まずはお茶にしましょう。あたしの予定はそれからね」
「はい。クラリア様」
クラリアは衣装室のドアを閉めると、私の横を通って歩き始めた。少し遅れて、私もその後に続く。
「あと、それと……」
少し歩いたところで、唐突にクラリアが立ち止まった。
「もし……カノンが嫌じゃなかったらでいいんだけど……」
クラリアは私に背を向けたまま、何やら手をもじもじさせながら言った。
「あたし、この家の長女で、年上のお姉さんに憧れてたの。だから、たまに、たまにで良いんだけど、その、カノンのこと、お姉ちゃんって呼んでもいい?」
「クラリア様……」
私はゆっくりとクラリアの背中に歩み寄ると、しゃがんで両肩に手を置いた。瞬間、小さく「ひっ」という悲鳴が聞こえた。
私はクラリアの耳元に顔を近付け、ささやくように言った。
「そういう話は、相手の目を見ながら言うものですよ?」
「もうっ!」
クラリアは跳ねるように私から離れると、顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「お姉ちゃんのバカっ!」




