事件の黒幕
「ヴァンホーテン卿……」
マリエルから名前を呼ばれると、その男――ヴァンホーテン卿は懇願するように言った。
「ろ、ローゼンバーグ女史、助けてくれぇ!」
ヴァンホーテン卿は何とか拘束から抜けようと身体を動かすが、その努力虚しく、陸上に打ち上げられた魚のようにびくびくと床の上をうごめくだけだった。
「さて、話を聞かせてもらおうかしら?」
リズは太った身体を片手で持ち上げると、尚も手足をばたつかせるヴァンホーテン卿に向かって問いかけた。ヴァンホーテン卿はリズに持ち上げられた際、一瞬「ひいぃ!」という悲鳴を上げた。
「な、何をするのか! この無礼者!」
「あなたは、どうしてあの場所にいたのかしら?」
「し、知れたこと! わしもこの会の参加者だ! この会場にいて何の不思議があろうか!」
「なら、何で逃げなかったのかしら?」
リズに凄まれると、ヴァンホーテン卿は途端に沈黙した。目は見開かれ、その目は左右に泳いでいた。
「他の貴族様は、お付きの人も含めてみんな一目散に逃げたけど、あなただけは部屋の隅で高みの見物を決め込んでいた。何故かしら?」
「そ、それは……」
「答えられないのはおかしいわね。何かやましいことでもあるのかしら?」
「わ、わしは……そ、そうだ! わしはただローゼンバーグ女史が心配で……」
「だったら、何であたしから逃げようとしたのよ。あなたがマリエル様を助けたい気持ちはあるけど、部屋の隅で踏ん切りがついてなかったヘタレだったとして、どうしてあたしから逃げる必要があったのかしら?」
「ぐ、ぐぬぬ……」
ヴァンホーテン卿は苦味を噛み潰したような顔をしながら歯ぎしりをしていた。
「さて、どうしようかしら?」
リズはヴァンホーテン卿の身体を揺らしながら、私の顔を見た。
「とりあえず憲兵に突き出しておこうかしら?」
リズの言葉を受けて、私も思考を巡らせる。
確かに、この男はかなり怪しい。確実に、今回の件について何か絡んでいる。
だが、それを追求する証拠はあっても、材料が無い。
今のところ、彼は現場で限りなく怪しい行動をしていた不審人物、という以上の容疑がない。
かと言って素直に憲兵に突き出したところで、貴族の特権と証拠不十分で釈放されてしまうのが関の山だ。
せめて本人の自白を取れれば何かわかるのだろうが、さすがにそれはリズが許さないだろう。
「……少なくとも、私たちでは判断が付きません。ここはおとなしく事情を知ってそうなノアを連れて来るしかないと思います」
「やっぱり、そうなるわよね」
リズはやれやれ、という表情で肩を竦めた。
「それじゃあ悪いんだけど、カノンはノアを呼びにいってもらえるかしら。あたしはこの男と襲ってきた賊どもを見張ってるから。それと一応憲兵も呼んで――」
「その必要はないよ」
リズの言葉を遮って、聞き慣れた声が響いた。
声の方向に振り返ると、一人の少女がこちらに向かって歩いていた。フリル装飾が施された青いドレスの上に白いケープを羽織り、リボンでまとめられた長い髪が歩く度に背中で揺れていた。
貴族の社交界が行われている迎賓館にいつもの恰好で現れたのは、ノアだった。
「確保してくれてありがとう。その男は今回の件の容疑者さ」
「のののノアさま……!」
「やあマリエル。久しいね」
ノアの姿を認めて、マリエルは顔を真っ赤にしていた。最初に話した時もノアに会えないことを残念がっていたので、こんな場面でも顔見知りに会えて安心したのだろう。いや、こんな場面だからこそ、かもしれない。比喩でも何でもなく、彼女は殺されかけたのだから。
一方のノアは、貴族相手にもいつもの口調で、しかも呼び捨てだった。本当にこの女はぶれないなと思った。
「キミの協力者が全部吐いたよ。ヴァンホーテン卿。キミにはマリエル・ローゼンバーグ誘拐未遂の首謀者として容疑がかかっている。ご同行願おうか?」
「おのれ……! わしを誰だと思っておるか! この無礼者どもが!」
「はいはい。文句はボクらじゃなくて憲兵の詰め所で言ってね。もっとも、キミが首謀者である証拠は山ほど出揃っているから、頑張って言い逃れしてもらう必要があるけどね」
「ぐぬぬ……ぬぅ」
それまで挑戦的な姿勢を崩していなかったヴァンホーテン卿だったが、ノアの言葉を受けて観念したのか、全身の力を抜いた。
そのタイミングで、数人の男がこちらに向かって靴底を鳴らしながら走ってきた。鉄の鎧と鉄の兜で身を包み、長い鉄製の槍で武装している、この街の憲兵だった。
ノアはその男たちに何事かを言うと、憲兵たちはリズからヴァンホーテン卿の身体を譲り受け、そのまま運び去っていった。
「やれやれ。こういうのはボクの本分じゃないんだけどね」
彼らの後姿を見送りながら、ノアは一つ大きく背伸びをした。
「さて、結果的にではあるけどキミたちには大変な仕事を押し付けてしまったね」
「本当よ」
リズは口を尖らせながら言った。
「あたしはいいけど、カノンには謝って頂戴。ケガを押して戦ってくれたんだから」
「……その点はキミも同罪だと思うんだけど、まあそれはともかく」
「カノン、悪かった。ボクとしては安全な仕事のつもりだったんだが、ちょっと見立てが甘かった。ごめんよ」
「いえ、私は別に……」
素直な謝罪を受けて、私も困惑してしまう。こういう時のノアはやけに素直なのでどうにもやりにくさを感じてしまう。
「マリエルも悪かったね。本当はキミを危険に晒す前に片を付ける予定だったんだけど、思ったより奴らの動きが早かった。言い訳がましくてごめんよ」
「い、いえ! ノア様が謝るようなことは何も……」
「それと、ボクを巻き込んだのはキミのところの執事さ。物々しい警備をしてもらうのはキミの本意ではないかもしれないけど、彼らを怒らないでやってくれ。みんな、キミのことが心配だったんだよ。もちろん、ボクもね」
「ノア様……」
マリエルは私やリズに対する饒舌振りが嘘だったかのように、口をぱくぱくさせながら言葉少なだった。この感じ、以前どこかで見たことがあるような気がしたが、いつ、どこで遭遇したかは思い出せなかった。
「ところで」
ノアに向かって、リズが口を挟んだ。
「安全な仕事ってどういうつもり? 護衛に安全も何もないと思うのだけど」
「ああ、それもちゃんと伝えていなかったね」
ノアは改めてリズに向き直って言った。
「そもそも、今回の仕事は護衛じゃない。結果的にそうなってしまったけど、本来の目的は別にある」
そう言えば、ノアは「マリエルを護衛してくれ」とは一言も言っていない。
言ったのは「マリエルを気にしておいてくれ」だった。
「誘拐計画のことも一緒に話してしまったから紛らわしくなってしまったけど、ボクの見立てでは決行はもう少し先だったんだ。だから、キミたちは純粋にボクの代わりに社交パーティーに誘ったつもりだったんだ」
「本当に紛らわしいわね。そうならそうと言いなさいよ」
「……その点に関しては反論できないけど、ケンカっ早いキミが早とちりした事実も忘れないでくれよ?」
それはともかく、とノアは苦笑いしながら言った。
「目的の一つは、純粋にキミたちにパーティーを楽しんでもらいたかった。貴族の集まりだからリラックスするというわけにはいかないだろうけど、おいしいお酒と食事で舌鼓を打ってもらいたかったんだ」
さすがに、マリエルの手前「気が進まなかった」は自重したらしい。
「その割には、カノンへの配慮がなってないんじゃないの? あたしが食べられても使用人役のカノンは食べられないじゃない」
「そうなのかい? ボクは勝手に取ってクレアに食べさせてたから、てっきりそういうものかと」
「あなたはマナーが悪過ぎるわよ……」
「それで、もう一つの理由とは?」
私が問いかけると、ノアはマリエルに向き直って言った。
「マリエル、キミとは立場や身分の違いはあれど、ボクはキミのことを友人だと思っているよ」
「は、はい……」
顔を真っ赤にしてうつむくマリエル。それはどういう反応なのだろう。
それを考える間もなく、ノアはマリエル、そしてリズや私に向かって笑いかけた。
「自分の友人に、友達が多い方が良いと願うのは、普通のことだろう?」




