舞踏、その後
「随分楽しそうにしているわね」
わがままお嬢様からの大変名誉ある呼び名に苦笑していたところ、リズから声を掛けられた。
「……見ていたのなら助けて下さいよ……」
「途中からよ。それに、子守りはカノンの方が得意でしょう?」
そう言って、リズはいたずらっぽく笑った。そんなものまで得意になったつもりはないのだが。
「ともあれ、お疲れ様でした」
主人の戯れは一旦無視して、私は腰の小物入れからハンカチを取り出し、リズに手渡した。
「それと、お見事でした。以前どこかで習われていたんですか?」
「昔、ちょっとね」
リズは額に浮かんだ汗を拭いながら、短く言った。リズにしては歯切れの悪い口調で、あまり追及して欲しくないようにも見えた。
そう言えば、リズの過去について私は何も知らない。
私自身も過去のことをリズに伝えていないのでその点は同じと言えるのだが、何でもあっけらかんに語るリズには珍しい反応だった。
とはいえ、大事なのは今のリズだ。
彼女が語りたくないことを掘り返してまで、過去のことを知りたいとは思わない。
「でも、やっぱり全然駄目ね」
話を変えるように、リズは明るい調子で言った。
「やっぱり、得意と豪語するだけのことはあったわね。相手の方が一枚も二枚も上だったわ」
「そんなことは」
「——ええ、その通りね」
突然声を掛けられて、思わず声が出そうになった。声の先に振り向くと、そこには真っ黒なドレスとヴェールをまとった女性——マリエルが立っていた。
私は内心の動揺を悟られないようにしながら、全身の神経を臨戦態勢に移行させていた。
私たちの会話を聞かれていたとは、迂闊だった。人込みの中とはいえ、自分たちに接近する人物の存在を察知できなかった自分に内心舌打ちをした。
「そんなに驚かなくてもいいでしょう?」
こちらの気持ちを知ってか知らずか、マリエルは穏やかな口調で話し始めた。
「わたしはただ、ご挨拶に来ただけよ」
そう言って、マリエルはヴェールを持ち上げて、わざとらしくにっこりと笑って見せた。こちらはあれだけ踊ったのに汗一つかいていなかった。
「ミズレット、だったかしら。あなたは単純に練習不足ね。普段ダンスなんてしていないでしょう?」
「やはり、わかりますか」
リズは肩を竦めながら、苦笑を隠さなかった。
一方のマリエルは怒っているとも取れるような冷めた表情をしていたが、おそらくこれが彼女の自然体なのだろう。
「でも、あなたのその度胸は悪くなかったわ。普通ならそんな実力でわたしと踊ろうなんて言わないもの」
「ふふっ、ありがとうございます」
「褒めたつもりはなかったのだけど……まあいいわ」
マリエルは少しだけ渋い表情をしたが、すぐに表情を元に戻した。
「あなたはもう踊らないのかしら?」
「はい。久し振りに踊ったら少々疲れてしまいまして」
「そうなのね。わたしもそろそろ引き上げるわ。気まぐれで別の方とも踊ってみたけど、やっぱり駄目ね。技術ばっかりあっても気持ちが感じられないもの。それに——」
マリエルはそう吐き捨てた後で、少しだけ名残惜しそうに付け加えた。
「——ノア様がいらっしゃらないのなら、もうここに用はないわ」
「それだけ、マリエル様にとって、大事なお方なのですね」
「ふん。少しだけ、ね」
リズの指摘に、マリエルは強がるように言った。
「あの方は、このわたしにもまったく臆することなく、色々な話をして下さいました。もしあの方に会うことがあれば、マリエルが会いたがっていたとお伝え頂けるかしら?」
「そういう話は、ご自身の口から伝えるのがよろしいかと思いますわ」
「……言ってくれるじゃない。そういうところ、好きよ」
そう言って、マリエルはにやりと笑った。言葉とは裏腹に、あまり気を悪くした様子は感じられなかった。
横で聞いているしかない私としては冷や冷やものなのだが。
「また、会えるかしら?」
「マリエル様がお望みになるのであれば」
リズが応じると、マリエルは満足したようにヴェールを下ろし、踵を返した。
「……あなたに会えて良かったわ」
去り際、マリエルは捨て台詞のように言った後で、そのまま振り返らずに離れていった。
その後ろ姿を、リズと私はしばらく見送っていた。
「……後でノアに伝えなきゃね」
しばらくした後で、リズがぽつりと呟いた。
「文句を、ですかね」
「そうね。せめてお駄賃ぐらいはふんだくってやらないとね」
私が小さく肩を竦めながら言うと、リズもにやりと笑いながら応じた。
そもそも、私たちはノアの代理としてこのパーティーに参加している身分である。
——定期的に開催されている社交界さ。一応ボクも誘われているんだけど、あまり気が乗らなくてね。
だったら欠席すればいいだけの話だろうとも思うのだが、この街の有力者との付き合い上、無下に断ることもできないらしい。
「そもそも、あたしは休暇のつもりだって聞いて来たのだけど……」
必要以上に貴族の役に入り込み、勝手にハードルを上げてダンスまで始めたのはリズ自身だと思うのだが、それはともかく。
——会場に入ったら、マリエル・ローゼンバーグのことは気にしておいて欲しい。
帰り際、ノアは付け加えるように言っていた。
——一応、彼女を誘拐する計画があるという噂があるんだよ。
とはいえ、彼女のような貴族にそうした計画が持ち上がるのは日常茶飯事だという。根も葉もない放言であることもしばしばなので、それらにいちいち構っていては生活が成り立たない。以前のアーミテージ卿の時のように実際に実行されるケースもあるが、大概はそういった計画があったことすら忘れられることの方が数としては圧倒的に多い。
とはいえ、ローゼンバーグ家の調査によると、今回の噂はかなり確度が高いということだった。
だが、アーミテージ卿とは違い、マリエルは過剰に反応しなかった。
正確には、少しも反応しなかった。
——やりたければ、やればいいわ。わたしは死ぬことなんて怖くない。
今回の件も、ローゼンバーグ家の執事からギルドに助けを求めたのが始まりだ。そうでなければ、そもそもそうした誘拐計画があるということ自体、外部に露見しなかっただろう。
「ともかく、ターゲットが帰るならあたしたちも用済みね。撤収しましょう」
「いいんですか? 見たところ、豪華な食事なども用意されているようですが」
「興味ないわ。それに、あたしだけ食べても意味ないでしょ」
そう言って、リズは私に片目を閉じてみせた。こういった社交界での食事は参加者が各々取って食べる形式ではなく、係の者が待機して、その者が取り分けて渡す形式である。もちろんそれは主役である貴族たちのものであり、付き人や使用人の分は用意されていない。私は事前にそれがわかっていたので未練はないのだが、どうやらリズも最初からそのつもりだったようだ。
思った以上に肩が凝る仕事となってしまったが、目的も果たせて、無事に終わったのなら何よりだった。
——そう思った、直後だった。
会場中に、パリンとガラスが割れる音が響き渡った。




