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マリエル・ローゼンバーグ

 拍手の中現れたのは、黒い物体とも言うべき()()だった。

 夜の闇を彷彿とさせる真っ黒なドレスに真っ黒な髪、それに顔を覆う黒のヴェールが、華やかな迎賓館の中で一人だけ葬式のような印象をより強く与えていた。

 私はリズと顔を見合わせた後、アーミテージ卿に目を遣る。アーミテージ卿は何とも言えない渋い顔で、小さく頷いた。

 マリエル・ローゼンバーグ。

 グレゴールの有力貴族にして、都市を束ねる評議会の議長。

——マリエル・ローゼンバーグは()()()()さ。見ればわかると思うよ。

 彼女の印象を聞かれた時の、ノアの()()()が思い出される。

「ローゼンバーグ女史は気難しい性格故、こういう場には滅多に姿を現さないのだが、今回は珍しい」

 気難しさであればアーミテージ卿自身も大差ないと思うのだが、その気持ちは胸の中に押し留めた。

「何か理由でもあったのかしら」

「さあな。ただ本人たっての希望と聞いておる」

 そうなのね、と言いながら、リズは周囲を人に囲まれてローゼンバーグ女史を眺めた。

「貴様らが何をしようとしているかはわからぬが」

 アーミテージ卿は自慢の髭を指で摘まみながら言った。

「もし彼女に取り入るつもりなら、ダンスだけはやめておくのだ」

「ふぅん、嫌いなのかしら」

「逆だ。彼女はああ見えて、酒とダンスには目が無い。素人が踏み込めば確実に火傷するぞ」

「それなら大丈夫よ」

「大丈夫?」

 思わず、私が口に出していた。

「だって、剣術もダンスも似たようなものじゃない?」

「絶対に違うと思いますが……」

「……まあとにかく、忠告はしたからな」

「ええありがとう。それじゃあカノン、あたしたちも行くわよ」

「承知しました」

 リズに続いて、私もローゼンバーグ女史の元に向けて歩き出した。

 彼女の周りには、献上品を渡そうとする者、挨拶を交わそうとする者、もしくは社交界に滅多に顔を出さないという彼女の表情を一目見ようとする者などで溢れていた。

 そんな人だかりの間を、リズは時に「ごめんあそばせ」と優しく声掛けをし、時に強引に身体をねじ込んで人の前に出た。その背中は「こういうのは遠慮したら負けなのよ」と語っているようだった。

 最前列にまで出たところで、ローゼンバーグ女史がリズの姿に気付いた。

「あなた……誰?」

「初めまして、ローゼンバーグ女史」

 リズは恭しく、頭を下げた。

「ミズレット・ウェインフィールドと申します。どうかミズレットとお呼び下さい」

「それならわたしもマリエルでいいわ。家の名前で呼ばれるの、あまり好きじゃないから」

「承知しました。それでは、マリエル様」

 そう言って、リズはにっこりと微笑みを投げかけた。それをローゼンバーグ女史――マリエルは訝しげに見ていた。

「それで、わたしに何の用?」

「この度はマリエル様にお目通りが叶った記念に、献上品を用意しました」

 リズが目で合図をしたのを受けて、私は一歩歩み出てケースの蓋を開けた。リズはその中に入っていたワインボトルを手に取り、マリエルに向き直った。

「ふん、随分殊勝な心掛けね」

 言葉とは裏腹に少しも嬉しそうではない顔で、マリエルは傍にいた使用人に顎で合図を送った。使用人はリズからワインを両手で丁寧に受け取ると、ゆっくりとマリエルの後ろに下がった。

「ところで、ミズレットはギルドマスターの紹介だったかしら?」

「その通りでございます」

「その、ノア様は今回いらっしゃってないので?」

「はい。残念ながら、どうしても外せない用事があるとのことで、代わりに私が参りました」

「ふーん、そうなのね……」

 マリエルはどこか残念そうに呟いた。ただでさえ真っ黒な瞳から、余計に光が失われたように見えた。

 ひとまず、マリエル・ローゼンバーグに顔と名前を覚えてもらうというミッションはクリアした。

 あとは、怪しまれる前にこの場から退散すれば——

「用はそれだけかしら? それならわたしは他の者を待たせてるから——」

「いえマリエル様、もう一つお願いがございます」

 リズの言葉に、マリエルだけでなく私も目を丸くした。

()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……へぇ」

 周囲でどよめきが上がると同時に、マリエルの口角が少し上がる。どうやら目の前の挑戦的な女に興味を持ったようだった。

 一方の私は、気が気ではなかった。何故事前聞いていた罠に自ら飛び込むのかわからなかった。

「聞き間違いかしら。今、このわたしと踊りたいと言ったように聞こえたけれど?」

「ええ。曲はメヌエットで如何でしょう?」

 挑戦的に睨むマリエルに対し、リズも応じる。そこでマリエルは初めて、面白そうに笑った。

「……ミズレット様」

 私はリズの背中に顔を近付け、小声で呼び掛ける。今の私は使用人の立場なので、あまり表立ってのフォローができない。

「……大丈夫よ。任せて」

 リズは振り返らないまま、同じく小声で応じた。

 本人が大丈夫だと言っているから大丈夫、とはならないのだが、何か考えがあってのことだというのはわかった。

 いずれにしてもこれ以上私にできることはない。私は軽くなったケースを手に、数歩後ろに下がった。

 マリエルは傍に控える使用人に何やら声を掛ける。使用人が頷くのを見て、マリエルはリズに向き直った。

「それじゃあ、行きましょうか。わたしをエスコートしてご覧なさい」

 そう言って、マリエルはリズに向かって手を差し出した。

「ふふっ、お任せ下さい」

 リズはにやりと笑って、マリエルの手を取った。二人の行く先に立つ人だかりが二つに分かれると、その道をリズがマリエルの手を引いて通り抜ける。部屋の中央に立ったところで、部屋の角に控えていた楽器隊が曲を奏で始めた。それを受けて、他の人々も手近な人物とペアを組み、それぞれの場所に散っていく。

 私はその様子を見届けながら、広間の壁際まで下がる。こうなればあとは見守るしかなかった。

 ケースを握る手に力を入れたところで、アーミテージ卿が歩み寄ってきた。

「どうだカノンよ。わしと踊らぬか?」

「お貴族様が使用人と踊ってどうするんですか……」

「ふん、それもそうだな。では、貴様とはまたの機会にさせてもらうとしよう」

 そう言って、アーミテージ卿は私の傍を離れ、別の相手を探しに行った。

 私としては、もうこんな胃が痛くなるような機会などそうそう無い方が良いのだが。

 そんな会話をしているうちに、広間内の人たちが配置に付いた。


 まもなく、ダンスが始まる。

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