お母さん
リズがノアとルーチェを連れて馬車で出発して以降、私はルイズと共に宿の部屋で時間を過ごしていた。
一応、ルイズには自由に過ごして良いと伝えているのだが、ルイズは「わかった!」と元気良く答えたものの、私の部屋に銃の一式を持ち込み、目の前で整備を始めてしまった。ルーチェではないが、せっかく異国の地に来たのだからもう少し外を出歩いて色々見て回った方が良いと思うのだが、まあ「自由に過ごして良い」と言ったのは私の方なので、本人が良いのならそれで良いかと思い直すことにした。
私は療養中の身ということもあり、ベッドの上で新聞を広げていた。
ふと顔を上げて目を遣ると、ルイズは床の上に座り込み、無言で銃の整備を続けているのが見えた。先程までは棒の先に付いた布で銃身の内部を突いて黒いすすを落としていたが、今は銃の持ち手や引き金の部分を分解し、各所の汚れを布で拭き取ったり、油を差したりしている。銃についての知識がないので、それらがどういった意味を持つ行為なのかはわからなかったが、とにかく銃というのは繊細な武器だということはよくわかった。
私はルイズから視線を戻し、手元の新聞に目を移した。
新聞を発行する主体には様々ある。国家などの権力者から、商人、ギルドなどが、それぞれの目的で記事を書いている。私が読んでいるのはギルドが発行している新聞で、主に周辺地域の治安状況や直近の魔物討伐結果、冒険者募集中などの広告が記載されている。
ちなみに私が所属する「教団」も表の活動として新聞を発行しているが、あまり庶民の目の届くところには置かれていない。紙自体が高価というのもあるが、そもそも庶民には文字が読めない人間も多いため、新聞は主に教会や公園などで修道士が読み聞かせをする媒体として活用されていた。また「教団」は一般の人にあるべき振る舞いを教示することを目的としているため、内容は道徳的なものが多く、自分の力で社会を生きる商人などからすると「説教臭い」として忌避されがちなものとなっている。
新聞の中で、私は一つの記事に目を留めた。
『海洋国家フータン、隣国オライリーとの国境に部隊を配置。戦争準備か』
フータンは海上交易で栄える国家で、銃を主軸とした部隊を持つ軍事大国でもある。
もちろん、部隊を配置したからと言って即座に戦争に突入することを意味するものではない。もし本当に侵攻しようとしているのなら既にやっている。新聞に載っている時点で、隣国や周辺国に対する威嚇の意味が込められているのは明白だった。
新聞は情報の収集から発行し流通するまでに時間を要する都合上、どうしても少し古い情報が掲載されがちである。まして異国のニュースであるため、おそらく数週間から一ヶ月程度のラグがある情報なのだろう。
国家間での戦争は私のような冒険者の行動選択にも大きく影響するので、情報の伝達はより早くなる。現時点で何の話も聞いていないということは、つまりそういうことだったのだろう。
そう言えば、ルイズやルーチェの所属する平和な海賊団は、国家所属の冒険者パーティーだったか。
「……ルイズ、ちょっといいですか?」
「なぁに?」
私の呼びかけに対し、ルイズは整備の手を動かしたまま応じた。
「平和な海賊団は国家の戦争に参加することはあるんですか?」
「ない。あたしたちは海の治安維持専門のパーティーだから、悪い人以外の人殺しはしない主義なの」
ルイズは即答した後で、ふと手を止めた。
「……でも、国家に所属する以上あたしたちも参戦するべき、という声があるのも事実」
ルイズは銃身を見つめながら、どこか寂しそうに言った。
平和な海賊団も一枚岩ではないということなのだろう。
私は新聞を折りたたみ、サイドテーブルの上に置いた。
「センパイ、どこか行くの?」
「ええ。ちょっと風に当たりに」
「待って、あたしも行くっ」
私がベッドから降りたのを見て、ルイズも手に持っていたライフル銃を床に置いた。
「その前に、一度顔を洗って来たらどうですか? せっかくのきれいな顔が真っ黒ですよ?」
「えー、大丈夫だよー?」
「大丈夫じゃないから言ってるんですよ。外で待ってますから、早く洗って来て下さい」
「ちぇー、はーい」
ルイズは口を尖らせながら、ばたばたと足音を立てて部屋を出て行った。こういうところは、まさに年相応の子供という感じがした。
「ところで、ルイズは平和な海賊団の頭領ですけど、こんなに長く国を離れていて大丈夫なんですか?」
宿の外で合流した後、道沿いに歩きながらルイズに尋ねた。
「大丈夫。あたしたちは普段海の巡回警備をするのが仕事だから、頭領のあたしがいなくても問題なく回る。それに、お母さんもいるし」
「お母さん?」
「あ、お母さんってのは先代の頭領のことね。とっても怖い、アクマババアなの」
そう言って、ルイズはいたずらっぽく笑った。本人がいないのを良いことに好き放題言っているな。
「そう言えば、センパイのお母さんってどんな人なの?」
「そうですね……」
私は少し時間を稼ぐように、空を見上げた。それは、私にとって答えにくい質問の一つだった。
はっきり言って、誤魔化すことは容易い。答えたくないと拒否するのはもっと簡単だ。
「……センパイ?」
それでも、彼女になら本当のことを言っても良いのではないか。
この時の私は、そう思った。
「実は私、両親の顔を知らないんですよ。いわゆる、孤児というやつですね」
「あっ……」
私が答えると、ルイズは「しまった」という顔をした。
「ごめんなさい……」
「ああ、気にしないで下さい。私も大人ですから、自分の境遇にはもう慣れていますよ」
「でも……」
私は努めて明るく言ったつもりだったが、ルイズの表情は暗かった。
やはり失敗だったか、と思いながら、私は話を続ける。
「物心付いた時から一人で生きてきたので、あまり親のことを考えることも無かったんですよね。なので、寂しいと思ったこともありません」
「…………」
「でも、ルイズの話を聞いて、少しだけ興味が出てきました」
「あたしの……?」
ルイズは身を縮こまらせながら、上目でこちらを見た。
「私は冒険者の付き人として、色々な場所を旅してきました。そのいずれも、主人の目的に付き従うもので、私自身の目的は何もありませんでした。ただ、もしそこに自分の意思を入れ込む余地があるのだとしたら、私の両親を探してみるのも面白いと、そう思いました」
「センパイ……」
「それに――」
そこで私はルイズに向き直り、片目を閉じてみせた。
「――もしかしたら、私の母親もアクマババアかもしれませんしね」
ルイズは少しの間ぽかんとしていた。
だが、次の瞬間にふっと吹き出した。
「はははっ、それなら、あたしのお母さんとアクマババア対決ができるねっ」
そう言って、ルイズは笑った。
アクマババア対決というのが何なのかはわからなかったが、とにかく元気になってくれたのは良かった。
「では、そろそろ戻りましょうか」
「うん!」
ルイズは元気に応じると、来た道を回れ右して戻り始めた。
――両親を探してみるのも面白い、か。
私は、先程自分で言った言葉を思い返していた。
元々は、目的の無い人生だった。
強いて言えば、生きることそれ自体が目的だった。
だが、もしその人生に目的があるのだとしたら――
「……センパイ?」
「ルイズ、」
意外そうに振り返ったルイズに向かって、私は声を掛けていた。
「以前、ギルド経由で私に平和な海賊団への協力要請を出していましたよね?」
「うん、そうだけど……」
突然の質問に戸惑いながらも、ルイズは答えた。
それから、私自身も意外なことを口走っていた。
「あの依頼、まだ有効だったりしますか?」




