夕暮れの和解
「さっきの話は、ボクの中だけに収めておくよ」
ノアは座り込んでいた床から立ち上がり、スカートの裾に付いた埃を払いながら言った。
「セルナ・カービンの話は、伝えたければキミ自身の口から伝えるといい」
「伝えませんよ。今の彼女に、過去の話は必要ありませんから」
私の言葉に、ノアは少し笑いながら「それもそうか」と同意した。
「あなたこそ、てっきり聖女には報告するものだと思っていましたが」
「聖女になんか伝えるものか。『教団』がボクらナンバーズの個人的な話なんて興味持たないだろうし」
「その割に、私の結構な情報があなた経由で聖女に行き渡っているようですが?」
「……さて、ボクとの話はこれで終わりだが、キミにはまだやることが残っているだろう?」
ノアは明後日の方向を見ながら、露骨に話を逸らした。
先程まで饒舌に語っていたのと同じ人物の振る舞いとも思えなかったが、彼女の言うことも一理あった。
私には、まだ後始末が残っている。
自分が蒔いた、不手際の片付けが。
「わかったんならさっさと行くんだ。みんなキミのことを待っているだろうよ」
「……あなたはどうするんですか?」
「ボクはもう寝るよ。ギルドの業務とここまでの長旅でボクは疲れているんだ」
そう言って、ノアはもう一方のベッドの上に身を投げた。
私は部屋のドアに手をかけながら、振り返って言った。
「ノア」
「ん、なんだい?」
「……ありがとう」
私が言うと、ノアは呆気に取られたような顔をした。
そして、すぐにふっと笑った。
「……どういたしまして」
私も笑い返すと、そのままドアを開けて部屋を後にした。
ランプで照らされた廊下を歩きながら、仲間である彼女たちの顔を思い浮かべる。
思えば、ここに至るまでだいぶ遠回りをした。その過程で、多くの迷惑や心配、不安を与えてしまった。
それらを全て清算することはできないが、それでも前に進めることはできる。
——人は誰も、後ろ向きには歩けない。
宿の建物を出ると、辺りは暗くなり始めていた。人の通りはまばらとなり、誰もが家路を急いでいた。
「あっ、センパイ……!」
ルイズの声に気付いて振り向くと、建物の影に佇む三人の姿があった。
ルイズは私を心配そうな目で見据え、ルーチェは私の姿を認めると少々気まずそうに目を逸らし、リズは腕を腕を組みながら一瞬こちらに目を遣ったが、すぐに目を閉じた。
「……お待たせ、しました」
私は恐る恐る口を開いた。何故だか、久しぶりに対面したような、そんな気分だった。
「センパイっ、大丈夫?」
真っ先にルイズが駆け寄ってきて、私の顔を見上げる。
「ええ。大丈夫です。心配してくれてありがとう」
そう言ってルイズの頭を撫でてやると、ルイズは少し戸惑った後で「えへへっ」と笑った。
「ルーチェ」
私はルイズの頭を撫でながら、苦い顔で私から顔を背けている人物に声を掛けた。
「……先輩、すまねぇ……アタシは」
「いいんです。あなたの気持ちはよくわかりました。私こそ、申し訳ありませんでした」
「いや、アタシが先輩を傷つけたのは事実だ。その落とし前は付けねェと……」
「それより、ルーチェ。私はあなたにお礼を言わないといけません」
「……お礼?」
ルーチェは呆気に取られたような顔で、首を捻った。
「あなたが助けてくれなければ、私はトロール共にやられていたと思います。遅くなりましたが、その節はありがとうございました」
「な、何だよ急に。へへっ、そンなの当たり前じゃねェか!」
ルーチェは驚きながらも、どこかまんざらでもないような表情を浮かべた。
「その点ではルイズ、あなたにもお礼を言わないといけませんね」
「えへへっ、それほどでもあるよ……」
「おいルイズ、欲望がダダ漏れてンぞ……」
ルイズの言い間違いを指摘しながら、ルーチェもようやく笑った。それにつられて私も笑ってしまう。
——あと、話を付けないといけない人物は一人だった。
「……リズ様」
私はルイズの頭を撫でる手を止め、一歩、二歩と前に出た。それまで無言だったリズがこちらをちらりと見た。
「……どうやら、ノアはうまくやってくれたみたいね」
「はい。お手数をおかけしました」
「ええ、まったくよ」
そう言って、リズは小さく笑った。私も釣られて微笑みを返す。
「……さてルイズ。アタシたちは先にメシ食って寝ようぜ」
唐突に、ルーチェがわざとらしく言った。
「えー、あたし、まだセンパイとお話したい」
「そンなもン明日でもいいだろ。ほら行くぞ」
「やだー! ルーチェのアクマー! クラーケンー!」
不満たらたらのルイズの手を引っ張りながら、ルーチェは宿の中に消えていった。
「あーもう! センパイまた明日ねー! おやすみー!」
去り際、ルイズの捨て台詞が響くと、辺りは再び静かになった。
毎回、ルーチェには気を遣ってもらっているなと感じる。
「……少し、歩かない?」
そう言って、リズは組んでいた腕を解いて道沿いを歩き始めた。私もそれに追従し、横に並ぶ。
歩き始めてしばらく、リズは無言だった。ちらりと横顔を窺うが、特にこれといった表情は見えてこない。私も何をどこから話して良いのかがまとまらず、なかなか一言目が出て来ない。
思えば、リズからは受け取ってばかりだ。慰めの言葉も、厳しい言葉も、そして、謝罪の言葉も。それらに対して、私は何一つお返しができていない。
それなら、私が返却する最初の言葉は、これしかなかった。
「……リズ様」
「何かしら?」
意を決して、私は口を開いた。それに対し、リズはいつも通り応じる。
「……ありがとう、ございました」
私の言葉を聞いて、リズは最初目を丸くした。
それから、ふっと吹き出した。
「何よ、何のお礼なの?」
「いえ、何となく、言っておかないとならないかなと思いまして……」
「ふふっ、何それ?」
リズはお腹を押さえながら破顔した。
「むう、リズ様ひどいですよ。せっかく勇気を出して言ったのに」
「ははっ、ごめんなさいね。カノンでも言いにくいことあるんだなって思うと珍しくって」
口を尖らせる私を、リズはさらに笑って応じる。
さすがにちょっとひどいなとは思ったが、これもリズなりの優しさなのかもしれない。
「……私は、怖かったんです」
気を取り直して、私は話を続ける。
「せっかくリズ様に期待をかけられたのに、敵の能力を見誤ったことで負傷して、それで意地になったせいでまたやられてしまって。結局何の成果も挙げられずに助けてもらって、何とも無様で、惨めでした」
私は、自分では生き汚い性格だと思っている。
それなのに、あの時は頭に血が上ってしまって、目の前の状況でどう挽回するかしか考えられなかった。
その結果、自分ばかりか仲間をも危険に晒すことになってしまった。
自分の身を犠牲にして得られる成果に、意味などないというのに。
「私は、失望されたと思いました。ルイズからも。ルーチェからも。そして、あなたからも」
私の言葉を、リズは黙って聞いていた。特に表情は変えず、相槌も打たないで、まっすぐ正面を見据えていた。
「正直なところ、私はまだ怖い。お前にはがっかりだ、お前なんかいらないという声が、私の中から今も聞こえてくるのです」
そこで、私は歩く足を止めた。
少し遅れてリズも足を止め、前方から私を振り返る。
「……それで?」
「でも、私はあれこれ考えるのをやめました。代わりに、自分が欲しいものは口に出そうって、そう決めました」
私は一度、深く息を吸って、ゆっくりと吐き出した。ただの言葉なのに、喉が詰まりそうだった。
呼吸を整えた私は、改めて口を開いた。
「私は、リズ様——あなたと共にありたい。あなたが成そうとすることを傍で支えたい。あなたが苦しい時一番近くで力になりたい。だから——」
私は両方の手を強く握った。最後の一言を伝える、なけなしの勇気を絞り出すために。
「だから、私を置いてかないで、見捨てないで……ください……」
言い終わった瞬間、頭が沸騰するのを感じた。顔から火が出るようで、リズの顔をまともに見れない。
思えば、私は何でこんなことを言っているのか。取り消せるものなら今すぐ取り消したい。そんな気持ちが思考を支配した。
「……そう」
リズは短く答えた。彼女がどんな顔をしているかは怖くて見れない。
だが、発言した者の責任として、相手の反応は確かめなければならない。
意を決して顔を上げて目を見開いた、直後——。
私の顔は、リズの胸にうずもれていた。
「……馬鹿ね」
リズは私の頭を抱きかかえながら、一度ぽんと後頭部を叩いた。
「あたしが、カノンを見捨てるはずないじゃない」
リズの言葉には、若干の涙が混ざっていた。
一方の私はその言葉に安心して、全身の力が抜けそうになっていた。
脱力する私の身体を、リズは背中に手を回して力強く抱きしめた。
「……カノンの気持ちはわかったわ。それなら、あたしも容赦しない。誰が来ても、カノンがもう嫌だと言っても、あたしはカノンを手放さない」
「……リズさま。それは、ひどいです……」
「ふふっ、何を今更」
リズは抱き寄せる手をほどき、私の両肩に手を置いた。
そして、口を尖らせる私に向かって言い放った。
夕日が差すリズの微笑みは神々しく、そして、きれいだった。
「ねぇ、あなたは知ってると思うけど、あたしはわがままなのよ?」




