カウンセリング
「……何をしに、来たのですか?」
私はいきなり部屋に上がり込んできたノアに向かって言った。なるべく自然を装ったが、微妙に声が震えた。
「ボクの話をする前に、キミはキミの責務を果たすべきなんじゃないのかい?」
「責務?」
「怪我人は寝てろって話さ。絶対安静なんだろう?」
「……わかりました」
ノアのペースに乗せられるのは癪だったが、渋々ベッドまで歩き、縁に腰を下ろす。
そのまま、ベッドの上で身体を起こした状態で足を伸ばした。
「……これでいいですか?」
「ああ。だがまだ足りない」
そう言って、ノアは顎に手を当てて何やら考え込むような顔をしながら、ベッドの前まで来た。そして、私の目の前まで顔を寄せた。
「な、なんでしょうか……?」
思わず身体を逸らして距離を取るが、ノアは無言でベッドの上に乗り出し、尚も顔を近付けてくる。
そして、ふっと笑った。
「それにしてもひどい顔だなぁ。ちゃんとご飯食べてるかい?」
「……私のことはいいですから」
「キミが良くてもボクが良くない。ちょっと待ってて」
そう言って、ノアはようやく顔を離し、入り口のドアに向かって小走りで駆け出した。
ドアの枠に手をかけて外に身を乗り出しながら、何やら話していた。そして、最後に「よろしくね!」と大きな声で言った後、ドアを閉めた。
「今、ここに食事を持ってきてもらうよう頼んだから、まずはそれを食べてからだ」
部屋に戻ったノアはそう言いながら、テーブル横の椅子をベッドの前まで持ってきた。
「……あなたはいつもそうやって余計なことを……」
「そう言うなよ。これでもキミのことを心配してるんだよ?」
ノアは苦笑しながら、ベッド横の窓を開けた。
「ん?」
その際、何かに気付いたような声を上げて、サイドテーブル上の瓶を手に取った。
「これは、アンバーグリスかい?」
「知っているんですか?」
「まあね。特産品としては結構有名な代物さ。良い匂いだろう?」
「ええ。ルイズからもらったものですが、何だか懐かしい香りがしました」
「ふーん、懐かしい、ねぇ……」
そう言って、ノアは瓶を見つめながら、また何やら考え込むように目を細くした。
「……何か?」
「いや、何でもないよ。少なくとも今は、ね」
何やら意味ありげなことを呟きながら、ノアは瓶をサイドテーブルの上に戻した。
「そう言えば、ここに来る途中でルーチェに会ったよ」
さらりと言ったその言葉に、私は息が詰まりそうになった。
「何かすごい落ち込んでたよ。何があったのかはあまり聞かなかったけど、悪気はなかったみたいだから許してやってくれよ」
「いえ、許すも何も、悪いのは私ですので……」
そう言って、私は両手を固く握りしめた。
やはり、ルーチェはだいぶ気にしているようだった。重ね重ね、悪いことをしてしまった。
「そっか。それなら大丈夫かな?」
ノアがそう言ったタイミングで、こんこんとドアが静かに叩かれた。
私は思わず、全身が強張るのを感じた。
「おっ、来たかな。はーい!」
ノアは元気に返事をしながらドアの前に駆けていく。無造作にがちゃりと開けたその先から、「失礼します」という声と共に一人の女性が二つのトレイを持って入ってきた。どうやらこの宿屋の給仕らしい。
給仕がテーブルの上にトレイを置くと、ノアは「ありがとね。かわいいお嬢さん」などと歯の浮くようなセリフを吐いていた。
突然のことで驚いたのか、はたまた慣れていないことを言われたためか、給仕は耳まで真っ赤にしながら「ご、ごゆっくりどうぞ……」と言いながら部屋を後にした。
ノアは、置かれたトレイの一つを持って、私に向き直る。
「とりあえず、まずはご飯でも食べなよ。話はそれからだ」
そう言いながら。ノアは料理が乗せられたトレイを私に差し出した。
私が受け取ると、ノアは満足そうにうんうんと頷いた後、もう一つのトレイを手に取ってベッド横の椅子に座った。
トレイに置かれていたライ麦のパンと燻製肉、それに温かいスープが湯気を上げているのを見ながら、思わず唾を飲み込んだ。
「何を遠慮してるんだい? 話をするんだろ? それならさっさと食べなよ」
ノアの催促を渋い顔で見送りながら、スープを木のスプーンですくって口に運ぶ。口の中に野菜とほのかに鶏肉の味が広がると共に、身体の底から温まる感覚があった。続けて、もう一口を渇望する自分に気付く。
思わず、私は溜息をついてうなだれた。
私はこんな時でも、食欲が勝ってしまう人間なのだ。
「何を落ち込んでるんだ。おいしい食事じゃないか」
ノアもスープを口に運びながら、訝しげに言った。
「ええ、おいしいはおいしい、ですが……」
「ならいいじゃないか。食事は食べられるうちが幸せだろう?」
そう言って、ノアは今度はパンにかぶりつく。「むっ、これはちょっと固いな」とこちらについては文句を言った。
私もパンをちぎってスープに付け、口に運ぶ。
「最初の質問——ボクがここに来た理由、だけどさ」
ノアは食事の手を止めず、口をもごもごさせながら言った。
「リズに頼まれたんだよ。カノンが悩んでいるみたいだから、話をしてあげてくれないかって」
「そうですか……」
私が答えると、ノアは意外そうに目を丸くした。
「……なるほど。確かにこれは重症だね」
ノアは苦笑しながら、スープを皿ごと持ち上げて口を付けた。
「……?」
私はノアの言った意味がわからないまま、スープをすくって口に入れた。
「……私の話は聞いているのでしょう?」
一通りの食事を終えた私は、今も尚固いパンと格闘しているノアに向かって言った。
「まあ、大体ね」
ノアは苦い顔でパンを飲み込んだ後、残りのパンをトレイに置いて言った。どうやら諦めたらしい。
「最初に言っておくと、ボクにキミが抱える悩みの正体はわからない」
「そう、ですよね……」
私は少々の失望を覚えながらも、その感情を頭を振って否定する。考えてみれば当然だ。事情も知らない第三者がいきなり来て問題を解決できるはずがないのだから。
だが、その後ノアは意外なことを言った。
「でも安心するといい。答えはもう既にわかっている。正確には、わかっている人間をボクは知っている」
そこまで言って、ノアは私を見た。
「答えを知っているのは、キミ自身だ」
「私には……」
「わからないはずがないだろう。一番キミのことを知っているのはキミ自身だ。周囲の人間は予想することしかできない。もちろん、ボクもね」
「…………」
「キミがわからないというのなら、それはキミが自分でブロックしているんだ」
厳しく問い詰めるようなノアの視線と口調に、私は思わず目を逸らしてしまう。
両手を強く握りしめながら言うべき答えを探すが、混乱した頭には何も浮かんでこなかった。
「……所属ギルドのマスターとして、あるいは一人の友人として忠告するけど」
溜め息交じりに、ノアは言った。
「キミは自分のことを隠し過ぎている。リズペットやボクに対しても、そしてキミ自身に対しても」
「……そんなこと言われても……私には何も……」
考えるより先、反射的に声が出ていた。
我ながら、惨めでみっともない声だった。
「はははっ、」
その時、ノアはまるで人が変わったかのように哄笑した。
「随分と情けないことを言うようになったじゃないか、ナンバー十三」
ノアは口角を上げ、挑戦的な目で私を見据える。
「ただ、ボクとしてはそっちの方も好みだよ。愛らしくて、愛おしくすら感じる」
「……それがあなたの本性ですか。ナンバー五」
「さてね。まあこの際どうでもいいじゃないか。ボクの本性なんてものは」
ノアは膝の上に置いていたトレイを持って立ち上がり、そのトレイを椅子の上に移す。
それから、私に向き直って言った。
「さっき、キミのことはキミにしかわからない、という趣旨の話をしたけど」
そう言って、ノアは私に顔を近付ける。
先程の不気味なナンバー五ではなく、不敵な笑みを浮かべるいつものノア・テイバーだった。
「とはいえ、キミのことはボクもそれなりに知っているつもりだよ? ナンバー二?」
唐突に昔の名前で呼ばれて、思わず息を飲んだ。
思えば、私がナンバー十三であることを、ナンバー七——ルーチェは知らなかった。それは、通常のナンバーズには私のことは伏せられていることを意味している。
ではノアは、一体どこでそれを知ったのか。
ナンバー五は、どこまで知っているのだろうか。
「キミが仕える冒険者は、リズペットで二人目だ。そして、前任者はキミのミスで死んだ、ということになっている」
「……それが何だって言うんですか」
「その敬語も必要ないよ。ナンバー十三。『カノン』として作られた人格は、今は必要ない」
そう言って、ノアはさらに顔を近付ける。ほとんど目の前で、今にも鼻先がぶつかりそうだった。
「大事なのは、前任者と死別することになった時、キミが何をしたかだ」
圧倒されそうな圧力を感じさせる口調だった。
果たしてこれはノアなのか、それともナンバー五なのか。
——いや、彼女の言うように、それは今はどちらでもいいことだ。
私は目を閉じて、一つ深呼吸をする。大きく息を吸って、吐く。
それから、ゆっくりと目を開けた。部屋の中がそれまでとは違って見える——そんな感覚があった。
私は目の前に迫ったノアの両肩を強く押した。ノアは少し驚いたような表情を見せながらも、「おっとっとっと」と言いながらうまくバランスを取って転倒を免れた。
体勢を整える隙も与えず、私は言った。
「あんたには関係ないでしょ」
「……いいねぇ、ナンバー十三。いや、それともナンバー二かな?」
「それはどちらでもいいんじゃないの? あんたの言葉を借りるなら」
「ははっ、まあそうだね」
ノアは笑いながら、私の言葉に同意した。
「『あんたには関係ない』か。ああそうさ。ボクには関係ない。関係あるのはキミだ。キミが立ち直るために、キミは自分の過去に向き合わなきゃならない」
「なんで、そんなことを……」
「それは、答えはキミが知っているからだよ。ボクが知っていたら話は早かったんだけどね」
言いながら、ノアは肩を竦めてみせる。
「残念ながら、ボクが知れたのは今話したことで全てさ。具体的に何があったのかも、前任者の名前も、記録には残っていなかった。ああ見えて『聖女』は口が固くてね。ナンバーズ個人に関する情報は何も教えてくれなかった」
「その割に、ルーチェは私のことをよく知っていたみたいだけど?」
「あれはわかりやすい例さ。ナンバー七はキミにご執心だった。『聖女』はキミの差し障りのない情報をニンジンにすることにしたんじゃないのかな?」
「…………」
「まあ、彼女のことはまた別の機会にさせてもらうとして、だ」
そう言って、ノアは改めてこちらに向き直った。
「さあ話してみるんだ。あの時、キミが何をしたのかを」




