動揺
「おっ、散歩かい?」
一人宿を出たところで声を掛けてきたのは、宿の建物の壁を背に立つルーチェだった。
「……あなたは何をやっているのですか……?」
「まあいいじゃねェか。散歩ならアタシも付き合うぜ?」
「なるほど。お目付け役ということですか」
「そこまで察しが良いと気持ちいいねェ」
ルーチェは笑いながら、肩を竦めた。
大方、私が滅多なことをしないよう、リズから言われているのだろう。
「でも安心しな。前にも言ったが、アタシは先輩に協力する用意がある。先輩がその気なら、これからやろうとしていることを見逃してやってもいいぜ?」
「……別に何もしませんよ」
言いながら、私は自嘲気味に笑った。
「今の私は、何もできないですし」
「……ふーん、なるほどね」
何かを察したようなルーチェを無視して、私は目の前を通り過ぎた。
「心配しなくても、ただの散歩ですよ。付いてきたいのならご自由に」
「そンじゃ、そうさせてもらおうかね」
そう言って、ルーチェは壁から背中を放し、私の横を歩き始めた。私に合わせてくれているのか、歩幅はいつもより小さかった。
その後、しばらく無言が続いた。普段のルーチェなら軽口の一つや二つ飛んできそうなものだったが、今回は時折私の方を窺うだけだった。
「——そう言えば」
沈黙を破ったのは、私の方だった。
「ルイズは一緒ではないんですか?」
「ルイズなら、たぶん部屋にいるんじゃねェかな? なんか銃の整備がしたいって言ってたし」
「整備?」
「何かが詰まって何やかんやすると暴発して危ないから、細かいメンテナンスが必要なんだってよ」
「何もわかってないじゃないですか……」
言ってしまってから、思わずはっとなった。隣を見ると、ルーチェがにやにや笑っていた。
「へへっ、やっと笑ってくれたな」
「……からかわないで下さい」
私は急に恥ずかしくなり、ルーチェから目を逸らす。
相変わらず、掴みどころのない女だと思った。
「なあ先輩。これはつまんねェ戯言として聞き流して欲しいンだが」
そう前置いた上で、ルーチェは急に真面目な顔になって言った。
「もし、リズペット・ガーランドの下が嫌になったら、アタシたちのところに来てもいいンだぜ?」
「……冗談はやめて下さい」
「冗談じゃねェさ。戯言には違いねェが、大真面目さ」
ルーチェはにやりと笑いながらも、こちらをまっすぐ見据えていた。
「世界には様々な場所がある。何も一つの場所に拘らなくたって、いくらでも生きる道はあると思うぜ?」
「……ナンバーズのあなたがそれを言いますか」
「だからこそ、かな?」
普段の私なら、くだらない冗談だと、笑えない虚言だと言って即座に否定しただろう。
しかし、何故かそれができなかった。
これでは、まるで――。
「——っ」
その時、ふと涙が頬を伝った。
「せ、先輩!?」
私の顔を見たルーチェがぎょっとした表情をした。
「す、すまねェ! 先輩を傷つけるつもりはなかったンだ!」
「いえ、これは違います……違いますから……」
否定しながらも、涙は止まず、その勢いを増していた。
止まない涙はやがて、声が出せないほどの嗚咽となった。
「とと、とりあえず、落ち着いてくれよ。な? ひとまずそこの木の陰で休もうぜ——」
そう言って、ルーチェは私に手を差し伸べた。
——これ以上、彼女の前で醜態を晒せない。
そう思った私は、気が付いたらルーチェの手を払っていた。
「せ、先輩……」
あからさまに動揺するルーチェと同様、私も自分がやってしまったことに動揺していた。呼吸が苦しくなり、ルーチェの顔をまともに見れなかった。
ただ、やってしまった以上、もう後には戻れない。
声が出せない私は代わりに深々と頭を下げた後で、その場から走り去った。走る度に脇腹と右足が痛んだが、そんなことはどうでも良かった。
今の私に追いつくことはルーチェであればたやすいはずだったが、ルーチェは追いかけて来なかった。
——何をやっているんだ、私は!
走りながら、痛みと同時に怒りが込み上げてくる。せっかくの気遣いを私は無下にしてしまったのだ。
口元を手で押さえながら、私は滞在している宿に向かって走った。途中、すれ違った人々が一様に驚きや奇異の視線を向けてきたが、それらを気にしている余裕はなかった。
宿に飛び込み、廊下を抜けて部屋が見えてきた時、向こう側からルイズが立っていた。
「あ、センパイっ!」
ルイズは無邪気に手を振っていたが、私は足を止めなかった。
私は少しぶつかりそうになりながらルイズの脇を抜けると、そのまま部屋の中に滑り込んだ。
そして、入り口のロックをかけてドアを背にして座り込む。
「センパイっ! どうかしたの!? センパイっ!」
背中越しに、ドアをどんどんと叩く音と振動が感じられた。
「何でも、ないです」
私は嗚咽を堪えながら、何とか声を出した。
「嘘っ! 何でもないことない! だってセンパイ、泣いてた!」
「大丈夫です! 何でも、ないですから!」
「センパイっ! センパイっ!」
「ルイズっ!」
私は一際大きな声で叫んだ。
その瞬間、ドアを叩く音がぴたりと止んだ。
「……お願いします。少しだけ、一人にさせて下さい……」
私は涙声になりながら、ほとんど消え入りそうな声で言った。
しばらく静寂が続いた後、ドアの前から走り去るような足音が聞こえた。
——ごめんなさい……。
膝に顔をうずめながら、心の中で謝罪の言葉を呟いた。
私は、最低だ。
気にかけてくれている仲間を傷つけて。
そして、今まさに一番大事な人の信頼まで失おうとしている。
私にはもう、どうしていいかわからなかった。
——どれぐらいの時間が過ぎただろうか。
私はドアを背にして膝を抱えたまま、部屋の何もない壁を眺めていた。
窓から差し込む光は徐々に薄くなり始めており、そろそろ日が落ちる時間であることが窺えた。
とはいえ、それがわかったところで意味はない。
今の私には、懐中時計で時間を確認することも、立ち上がってベッドに向かうこともできなかった。朝から何も口にしていないが、食欲を満たしたいという気力も湧いてこない。
まるで、どんどん自分が駄目になっていくようだった。
その時、廊下の床板が軋む音が聞こえた。ルーチェとルイズが戻ってきたのだろうか。
足音は次第に大きくなった後、私の真後ろで止まった。
そして、コンコンとドアが叩かれた。
「……カノン」
ドア越しに、リズの声が聞こえた。
「お願い。ここを開けて。話がしたいの。お願い」
尚もドアが叩かれる音を聞きながらも、私は動けなかった。
今更、どんな顔をして会えばいいのかわからなかった。
「……そうよね。まずは謝る方が先よね」
「昨日、突き放すようなこと言ってごめんなさい。カノンは頑固だから、ああでも言わないと引き下がらないと思ったから……」
「いや、これは言い訳ね。あたしはこれ以上カノンが辛そうにしているのを見たくなかった。苦しいのを我慢しているのに耐えられなかった。だから、遠ざけるしかなかった。これは、あたしのわがままよ」
真に迫るリズの言葉を受けても尚、私はドアを開けられなかった。
謝りたいのは私の方なのに。
悪いのは、私なのに。
「……そう。それが、カノンの答えなのね」
しばらくしていると、リズは何かを悟ったように言った。
あるいは、何かを諦めたように。
「どうやら、あたしもあなたも、少し考える時間が必要みたいね」
そう言うと、ドアの前から足音が遠ざかっていった。
そしてまもなく、辺りは再び静寂に包まれた。
——行ってしまったのだろうか。
私はドアに手をかけながら、よろよろと立ち上がる。改めて聞き耳を立てるが、人の気配はしなかった。
念のため確認するため、私はドアのロックを解除した。
そしてドアノブに手をかけた瞬間、急にドアが開き、木の板が顔面に直撃した。
「っ~~!」
私は思わず額を押さえながら後ずさる。直撃した箇所がひりひりと痛んだ。
「——ああ、ゴメンゴメン。まさか目の前にいるとは思わなくてね」
悪びれもしない口調と共に、ドアがゆっくりと開かれる。
その先に現れたのは、意外な人物だった。
「やあやあ。元気してたかい? ちょっと見ない内にずいぶん辛気臭い顔になったものだねぇ」
ノアはデリカシーの欠片もないことを言いながら、にやにやと笑っていた。




