センパイの嘘つき
「遅くなって悪かったわね。無事?」
呆然と見上げる私に、リズが声を掛ける。
一方の私は、今の状況を把握できていなかった。
何故リズがここにいるのか。
ルイズが助けを呼ぶ時間はなかった。リズやルーチェが鳴り響く銃声に違和感を持って救援に来るにしても早過ぎる。
思考を巡らせていたところ、背後から迫ってきたトロールにリズが斬りかかった。棍棒が振り下ろされるより先にリズが剣を払う。トロールの腹部は斬り裂かれ、血が噴き出す。
「どらぁ!」
直後、横から乱入してきたルーチェがトロールの脇腹に回し蹴りを喰らわせた。大きく体勢を崩したところを、リズが右胸の心臓を突き刺す。トロールの身体を貫いた穴から大量の血が流れた後、力なく地面に倒れ伏した。
「何とか間に合った、って感じだな! 先輩、生きてるかい?」
ルーチェは槍を肩に担ぎながら、にやりと笑いながら言った。
「ありがとう……ございます……」
未だに状況がわかっていない私は、ひとまずお礼の言葉を口にすることしかできなかった。
「へへっ、礼ならルイズに言ってやってくンな」
まんざらでもないように笑いながら、ルーチェは続ける。
「ルイズが助けを求めたから、アタシたちが駆けつけられたのさ」
「しかし、ルイズは私の援護をしていて、助けを呼ぶような時間は……」
「ルイズの射撃で、音だけ鳴ってどこにも当たらなかった銃声があったろ?」
そう言われて、私がトロールの群れに仕掛けた際、一発だけ弾の飛んだ先がわからなかったものがあったのを思い出す。
「あれは空砲さ。弾を込めずに火薬だけ詰めて頭上に撃ち出す。——アタシたち平和な海賊団の間で使われる、救難信号さ」
その言葉で、ようやく疑問が氷解した。
私には同じ銃声にしか聞こえなかったが、同じパーティーのルーチェはその意図を正確に把握した。
あとは、銃声の方向を辿っていけば、私たちと合流できる、という寸法だった。
「しかし先輩、随分無茶したねェ」
ルーチェは私の姿を見ながら、呆れたように言った。
「数で勝るトロールの群れに単騎で挑むとか、さすがのアタシでもやらねェ所業だぜ?」
「それは……」
「話は後よ」
言い淀んだ私を、リズの言葉が遮った。
「とりあえずカノンはここで休んでなさい。すぐ済ませてくるから」
そう残して、リズは剣を両手で側頭部に構えて、トロールの群れに駆け出して行った。
「そういうわけさ。あとは任せな」
少しだけ遅れて、ルーチェもリズに続いた。
その後の戦いは、圧巻の一言だった。
基本的にはルーチェは敵のかく乱を行い、隙を見せた相手からリズが容赦なく狩っていく。敵はこちらよりも数が多いが、その不利を全く感じさせなかった。
その光景を、私はぼんやりと眺めていた。
本当は呑気に休んでいる場合ではないのに。自分で招いた事態を取り返さないといけないのに。
身体に力が入らず、ただ見ていることしかできなかった。
「私も……加勢しなければ……」
言葉で気持ちを奮い立たせながら、私はゆっくりと立ち上がった。左手に握るナイフは先程よりも重く感じた。
立ち上がったところで、周囲を見回す。トロールは残り五体。いずれもリズやルーチェに注意が向いており、こちらを気に掛ける個体はいなかった。
私はターゲットをその中の一体、リズの背後に回り込もうとしているトロールに定め、姿勢を低くしながら右足を一歩踏み出した。
その時、右足に痛みが走り、足がもつれてそのまま前のめりに転倒した。身体を地面に叩きつけた衝撃で、ナイフが左手からこぼれて落下した。
私は呻き声を漏らしながら、奥歯を強く嚙みしめた。無力。無能。役立たず。そんな言葉が頭に浮かんだ。
「センパイっ!」
遠くからルイズの声が聞こえる。リズたちの戦いぶりを見て援護の必要無しと判断し、私と合流しに来たのだろう。
私は顔を上げて、ゆっくりと身体を起こした。
できれば、ルイズにはこんな惨めな姿を見せたくなかった。
「センパイっ! 大丈夫!?」
「……ああ、ルイズですか。ちょうど良かった」
私は肩で息をしながら、精一杯笑いかけながら言った。
「……すみませんが、肩を貸してもらえないでしょうか……」
「……どうする、つもり?」
「……決まっているでしょう。リズ様や、ルーチェに加勢しなくては……」
「……だめ」
「……あと、そこにあるナイフも、拾ってもらえると助かるのですが……」
「だめだよ!」
突然、ルイズが叫んだ。視線を向けると、目には涙が溜まっていた。
「あたし、もうセンパイの言うことなんて聞けない!」
「ルイズ、わがままを言うのは……」
「わがままなのはセンパイだよ!」
そう叫ぶと同時に、ルイズが私に飛びかかってきた。突然のことで反応が間に合わず、私はルイズの体重を支えきれずに倒れこんだ。
ルイズはそのまま、私の身体の上に馬乗りになり、左右の手を抑えこむ。圧迫された腹部と地面に押し付けられた右腕の痛みで、思わず顔が歪んだ。
「センパイの嘘つき! 危なくなったら退くって言ったのに! くれぐれも無茶するなって言われてたのに!」
「ルイズ、今はまだ戦闘中で——」
「だったらあたしを押しのけていけばいいでしょ!」
ルイズの容赦ない言葉に、ずきりと痛みが走る。
それは身体の痛みではなく、胸の痛みだった。
「……やっぱり。センパイはもう戦えない。その証拠に、こんな非力なヒヨっ子相手にすら抵抗できないんだから」
そう言いながら、ルイズはどこか悲しそうな顔をした。
残念だが、ルイズの言う通りだった。
先程からルイズの拘束を外そうと手足に力を入れているのだが、ルイズの細い身体はびくともしなかった。
悔しいが、それは受け入れるしかない現実だった。
「センパイ、ちょっとムキになってる」
「別にムキになっては……」
「じゃなかったら、最初に敵に包囲された時点で退いてたよ」
私は答えなかった。ルイズの言葉を肯定したわけではない。ただ、否定の言葉が出て来なかった。
そんなこと、あるはずがない。
私が、知能の低いトロール共に一杯食わされた格好になっていらだっていた、などということは。
そんなことは、「教団」のナンバーズとして、リズの従者として、あってはならないことだ。
「センパイ、無理しなくていいんだよ?」
軽く微笑みながら、ルイズが言う。
「雇用主さんも、ルーチェも、みんなセンパイのこと大事に思ってる。もちろん、あたしも。だから——」
そこまで言って、ルイズは私の手首を解放する。
そして、目の前に顔を近付けながら、ささやくように言った。
「だから今は、今だけは、ゆっくり休んでね」
その瞬間、全身から力が抜けるのを感じた。同時にまぶたが重くなり、意識が朦朧とし始める。
それからまもなく、私の意識は途切れた。




