勝利条件
一瞬の浮遊感の後で、私の身体は地面に叩きつけられた。地面を二回、三回と転がったところで、ようやく止まった。
「ぐっ……!」
思わず、殴打された腹部を押さえてうずくまる。何かが壊れたような激しい痛みが、腹部を中心にして全身に駆け巡った。頭の中が痛みに染め上げられそうになりながら、必死で思考を巡らせる。
おそらく、トロールコマンダー自身も囮だったのだろう。
正確には、結果的に囮として機能しただけで、背後に控えていたトロールは指揮官を守る護衛、もしくは予備戦力だったのかもしれない。
そして私は、その罠にまんまと嵌ったわけだ。それも一度ならず二度までも。
情けないにも程がある、と内心自嘲した。
――だが、まだ戦いは終わっていない。
先程首を斬りつけたトロールコマンダーの生死は確認できていないが、少なくとも無傷のトロールが大勢残っているのだ。ひとまずはこの状況を切り抜ける必要がある。
私は右手で腹部を押さえながら、左手を使って身体を起こそうと試みる。一つ一つの動作が、まるで自分の身体ではないかのように重々しかった。
それでも何とか身体を起こし、改めて周囲の状況を確認する。視線の先では、先程置き去りにしたトロール共がその巨体を揺らしながらこちらに迫っているところだった。
すぐさま立ち上がろうと足に力を入れたところで、腹部に激痛が走り、思わず膝をついた。
これは、肋骨を何本かやられたかもしれない。
トロールの一撃をまともに喰らってその程度で済んだのは、むしろ幸運だと言える。
奥歯を固く噛んで痛みを堪えながら、くずおれそうになる足を両手で支えて立ち上がった。ただそれだけの動きなのに、息は絶え絶えになり、視界は痛みでぼやけて今にも倒れそうだった。
私はトロールの動きに注意しつつ、素早く周囲を見渡す。対抗しようにも現状は武器が無い状態だった。幸い、トロールに跳ね飛ばされるまで所持していたナイフは私の後方、数歩先のところに突き刺さっていた。
ナイフの位置を確認したところで、私は正面に向き直る。自分たちの縄張りを犯した小癪な人間を叩き潰さんとするトロール共はもう目前に迫っていた。
先駆けて射程距離に入った二体のトロールが、ほぼ同時に右手の棍棒を振り上げる。私はその右腕が振り下ろされるより早く後方に跳び、左手を地面について一回転しながら、先程確認したナイフの隣に着地した。着地の瞬間、脇腹の強い痛みで思わず顔が歪んだが、構わず地面に刺さったナイフを引き抜いた。
ナイフを構えたところで、内心舌打ちをした。
――これは、まずいな……。
ナイフを握る左手に、思ったように力が入らない。左腕は無事だったが、力を入れようとする意思を脇腹の痛みが阻害していた。
この状態では、先程のように一撃で首を飛ばすのは難しいかもしれない。
対応策を考える間もなく、目の前にトロールが迫る。トロールは咆哮を上げながら、棍棒を振り上げた。見え見えで、ワンパターンの攻撃だった。トロールに一撃をもらう前であれば、寸前で回避しつつ無防備の心臓をひと刺ししていただろう。
だが、今の状態でその動きをするのは難しいと判断した私は、反射的にナイフを持っていない手の方――右側に跳んだ。負傷した右手で受け身を取り、体勢を整えようと試みる。
右手が地面についたところで、右腕と脇腹、両方に強い痛みが走った。
「ぐっ……!」
右手で体重を支えきれなくなった私は、受け身に失敗して顔から地面に落下した。柔らかい土の感触を顔面で感じながら、それでもすぐに立ち上がる。
どうやら、状況は思っている以上に悪そうだった。
正直なところ、私の命運はこの場にいない、私以外の人間が握っていると言って良さそうだった。
まず、二手に分かれたもう一方――リズやルーチェと合流するのはまだまだ先だろう。直接連絡を取り合う手段が無い以上、こちらから救助を求めることはできない。ルイズが鳴らした複数回の銃声に違和感を持ってくれることも期待したいが、頼みにするには細過ぎる縄だった。
そうなると、頼りにできるのはルイズだけだ。幸い、この場にいるトロール共は私に注意が集まっていて、遠く離れた狙撃者のことは意識に無さそうだった。
だからと言って、ルイズに全てを委ねるのは少々荷が勝ち過ぎている。
ルイズが取り得る選択肢は二つ。この場を離れてリズとルーチェを探して連れてくるか、ここに留まって私を援護するかだ。真っ先に浮かぶのは前者の方だが、こちらは実現性という観点で勝算が薄い。リズやルーチェがこの広い森のどこを歩いているかはわからないし、仮に合流できたとしても彼女たちを連れて来るまでに相当な時間がかかる。ここまで何度か響いた銃声を聞く限りでは、どうやらルイズも同じことを考えて後者――私の援護に徹することに決めたようだった。
その時、遠くから銃声が鳴り響き、目の前に迫っていたトロールの肩を貫いた。トロールが呻き声を上げる隙に、私は距離を取った。
だが、こちらの道も決して平坦ではない。
こちらの勝利条件は、トロールを全滅させるか、隙を見つけて逃走するか。この二つである。
私がまともに戦闘のできる状態ではない以上、敵の全滅はルイズ頼みになるが、それはいくら何でも望み過ぎというものだろう。トロールの生命力は膨大だし、銃弾にも限りがあるはずだ。
そのため、私は何とか隙を突いてこの場を離れる必要がある。
とは言え、単純に逃げ回っていても今の状態ではすぐに追いつかれてしまう。敵の攻撃を凌ぎつつ、うまく包囲を突破して森の中に隠れながら離脱する。これしかない。
肝心の「うまく包囲を突破する方法」は、これから考えることになる。
私は迫っていたトロールの一体に向けて駆け出した。一歩の度に腹部に激痛が走るが、右手で押さえつつ我慢しながら足を動かす。
眼前のトロールは、先程までの慎重さはかなぐり捨てたかのように、呼応してこちらに向かって来る。どうやら、トロールコマンダーは既に絶命したか、その指揮能力を発揮できる状態にないのだろう。
トロールは棍棒の射程に入ると、薙ぎ払うべく棍棒を横に振りかぶった。一閃された棍棒を私は素早くしゃがんでかわし、踏み出した左足を斬りつけると、トロールは呻き声を上げてバランスを崩した。
それを見て、私はがら空きの左側、腕の下を抜けるべく足に力を入れた。
一歩、二歩と足を進めたところで、強く右足を引っ張られた。そのままバランスを崩し、地面に身体が叩きつけられた。
何が起こったのかわからなかった。
状況を確認するべく後ろを振り返ると、先程のトロールが倒れ込みながら、左手で私の右足を掴んでいた。
「――くっ!」
私は焦りながら足をばたつかせ、空いている左足で蹴りを入れたが、固く握られたトロールの手はびくともしない。そればかりか、足を掴む力はどんどん強くなり、次第に軋みを上げ始める。
ふと見上げると、別のトロールが大地を鳴らしながら、こちらに向かって走っていた。
私は思わずにやりと笑った。
私の力ではトロールの拘束を払うことはできないが、トロールの剛腕なら話は別だ。
うまく引き付けてトロールの腕を殴らせることができれば、この窮地を抜け出すことが可能だ。
最悪、足の一本は持っていかれるかもしれないが、それは許容するしかない。まずは、生き残ることが重要だ。
私は覚悟を決めて、迫ってくるトロールの姿を見据える。
トロールが咆哮を上げながら棍棒を振りかぶった――その時だった。
側面から飛来してきた槍が、トロールの頭部を貫いた。
トロールは頭から大量の血を噴き出しながら、トロールは勢い良く前方に倒れ込んだ。
何が起こったのか。思考を巡らせようとした刹那、聞き覚えのある声が聞こえた。
「はああああっ!」
叫び声で振り返ると、振り下ろされた剣が私の足を掴んでいたトロールの腕を肩ごと斬り落とした。
断末魔の叫びを上げるトロールを、続けざまに首を跳ねて黙らせる。
「汚い手でカノンに触れるんじゃないわよ、この化け物」
リズは地面に落下したトロールの首を見ながら、冷たく言い放った。




