進むか、進まざるか
突然倒れ込んだルイズに、リズが駆け寄る。
リズに抱き起こされたルイズは、目を閉じて荒く吐息を漏らしていた。ルイズの額に手を当てたリズは一層険しい表情をした。
「すごい熱じゃない……!」
「……だいじょうぶ……」
ルイズはうわごとのように呟いた。それが強がりなのは火を見るより明らかだった。
確かに昨日、トロールを撃退してからは様子がおかしかった。口数は極端に少なかったし、昨晩も今朝も食事の場には現れていない。遅くとも、その時点で気付くべきだった。
「すまねェ。アタシがもっと注意していれば……」
ルーチェは反省の弁を述べるが、予兆を見落としたという点では私も同罪だった。今になって思えば違和感しかないが、私としたことが迂闊だったと言わざるを得ない。
「ひとまず、あたしたちの反省会はまた後でするとして」
リズは一度ルイズを地面にそっと寝かせた後で言った。
「あたしたちは決断しないといけないわ。進むか、戻るか。みんなの意見を聞かせてもらえるかしら?」
リズは私とルーチェ、それぞれを順番に見ながら言った。
先に意見を述べたのはルーチェだった。
「……アタシは引き返すに一票だな。ルイズが心配ってのは当然だが、かと言って、いつ魔物が出るともわからねェ森の中で休ませるのも危険だぜ」
ルーチェは口調こそ普段のままだったが、表情は険しさを崩していなかった。
ルーチェの言うことはもっともだと思った。トロールは知能こそ低いものの、腕力と生命力にかけては油断ならない強敵である。そのトロールが大量に待ち構えている巣にこれから向かうのだ。仮に進んだとしても、体調が万全ではないルイズをかばいながら戦うことはできない。
必然的にルイズはどこかで休んでいてもらうことになるが、動けないルイズを一人残すのはリスクがある。何も敵はトロールだけではないのだから。
「なるほど。次、カノンは?」
「私は……」
私は少し考えた後で答える。
「……二手に分かれるべき、だと思います。ルイズを連れて戻る組と、このまま先に進む組で」
「へぇ」
「むっ」
私の意見に、二人がそれぞれに反応した。
「まず、ルイズの容態がわからない以上、彼女をこのまま連れていくのは危険が伴います。早急に医者に診てもらうべきでしょう。一方で――」
そこで一度言葉を区切り、地面で横になっているルイズに視線を移した。未だに苦しそうに呼吸をしているが、おそらく私たちの話は聞こえているだろう。
私は、意を決した。
「――ここで、足止めを喰らうわけにはいきません。既にトロールが周辺に進出してきている現状、猶予はあまりないと考えるべきです」
ルーチェは苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。おそらく彼女もわかっているのだろう。今ここで引き返すことの時間的なロスがどういう結果を生むのか、ということを。
「ルイズを連れて戻る役目はルーチェが適任かと思います。彼女たちは元々部外者ですし」
「おいおい先輩、今更そりゃねェだろう?」
「元々、トロール討伐はリズ様と私で行う予定でした。少々回り道はしましたが、当初の予定に戻ったと考えるべきだと思います」
私はルーチェの抗議を無視して話し続けた。彼女の言うように、私も今更二人を無関係の他人だとは思っていない。だが、どこまで行ってもこれはリズと私の問題なのだ。
ルイズには悪いが、彼女はそこまでだったというだけだ。
「なるほど。カノンの意見はわかったわ。それじゃあ――」
「……まって」
リズが言いかけたところで、弱々しい声が話を遮った。
それまで横になっていたルイズが、いつの間にか身体を起こしてこちらを見ていた。
「ルイズ、無理して起きなくてもいいんですよ?」
「あたし、大丈夫だから……ちょっと休めば……たぶん、大丈夫……」
「そうは言うけどよ……」
息も絶え絶えに話すルイズに、ルーチェも不安の声を上げる。
「だから……このまま行く、行きたい、です……」
「ルイズ、そんなわがままは――」
「――なるほど。それがルイズの意見なのね」
リズは確認するように言った。思わず私とルーチェ、二人がリズの顔を見遣った。
「……何を驚いているの? ルイズはあたしたちの仲間よ。だったら彼女の意見も聞くべきだわ」
「それは……そうですが……」
私は異を唱えようとしたところで思い留まる。つい昨日、自分も同じことを言ったことを思い出したからだ。
「そンで、どうするよ? 雇用主サンの判断は?」
リズは腕を組んで目を閉じた。
そして少しの沈黙の後で口を開いた。
「――このまま進むわ。もちろん、全員でね」
「リズ様!」
私は思わず叫んでいた。
「カノン。これは現実的な判断よ」
「それは承知していますが……!」
「まあまあ先輩。ひとまずその判断の根拠を聞こうじゃねェか」
ルーチェはどこか面白そうに言った。
「……わかりました」
私は尚も言いかけたところで、不承不承口をつぐんだ。
「まず、巣にいるトロールの数がわかっていない以上、戦力を分散するのは危険だわ。一方で、カノンの『猶予はあまりない』というのも正しいと思う。巣にいるトロールが周辺の村や街に出てきたら、多くの被害が出るでしょうしね」
「それはわかるが、ルイズはどうするンだ?」
「ルイズなら心配ないわ」
「だって、もう少し休んだら大丈夫なのでしょう?」
「リズ様、それは……」
「わかっているわ」
リズは私の言葉を遮って言った。
「強がりかもしれない。わがままかもしれない。けれど、あたしはルイズの言葉を信じる。それに、カノン――」
続けて、リズは私の顔を見ながら言った。
「あなたも、彼女に同じことを言ったんじゃないの?」
「それは……」
私は何も言えなかった。
――あなたが「できる」と言うことを、私は信用するだけです。
それはまさに私が自分で言ったことだった。
「もちろん、今のルイズを無理矢理戦いに放り込むようなことはしないわ。今日はこのまま進んで野営をする。それで翌日の状態で判断するとしましょう」
「そンで、無理な時は?」
「もし無理そうなら、全員で引き返す」
リズは迷いない口調で言い切る。
その先送りが、どういう意味を持つのか、わからないはずはないだろう。
「あたしたちはもう仲間なのよ。都合の良い時だけの仲間じゃない。もちろん誰一人欠けることは許されないし、欠けてしまったら目的は達成できないのよ」
――都合の良い時だけ。
その言葉が、私の中に深く刺さったような、そんな気分だった。
「雇用主サンが決めたことなら、アタシは異存ないぜ」
私の迷いをよそに、ルーチェが答える。
「カノンはどうかしら? まだ言いたいことある?」
「……いえ、ありません」
私は何も言わなかった。
何も言えなかった、という方が正しかった。
「それじゃあカノン、悪いけどルイズを背負ってもらえるかしら。背中の荷物はあたしが持つわ」
「……わかりました」
そう言って、うなだれるルイズに背中を貸す。
ルイズはぐったりした様子で、私の背中に乗り掛かった。
「ごめん、なさい……」
歩き始めてまもなく、ルイズは私に聞こえるかどうかの声でささやいた。
「何故、謝るのですか?」
「あたし、センパイに迷惑かけてる……」
「こんなものは迷惑のうちに入りませんよ」
「でもセンパイ、怒ってる」
「……私は、ルイズが心配なだけです」
「でも……」
「ルイズ、こういう時は謝るンもんじゃねェさ」
背後から、ルーチェが割り込んで来た。
「こういう時は、ありがとうって言うもンさ」
「あなたはまた……」
「わかった。ありがと。センパイ」
「……お礼なら、私ではなくリズ様に言うべきです」
「わかってる。ありがと」
「だから私ではなく……もういいです」
「ふふっ……」
小さな笑い声が聞こえた後、ルイズの声が聞こえなくなった。
代わりにすうすうという寝息が聞こえてきた。
「ひゅ〜、モテるねぇ先輩」
「……あなたは少し黙っててもらえますか?」
「ははっ、すまねェな」
そう言って、ルーチェは私から離れた。
「……あなたたち、さっきから何を話しているの?」
リズの不思議そうな声に、私は簡単な言葉で答えた。
「大丈夫です。大した話ではありませんから」




