マリーといっしょ④
「でしたら、わたしからも一つ。仮定の話なんですけど」
そう前置いた上で、マリーは話し始める。
「カノンさまに、とても好きな人がいるとします。お互いに、将来を誓い合った仲です」
「私にはなかなか難しい仮定ですが……」
「ふふっ、大丈夫ですよ。わたしの方も気軽に答えて下さい」
マリーは小さく笑った後で、話を続ける。
「一方で、カノンさまはある日、別の人を好きになってしまいます。カノンさまは元々好きだった人も、新しく好きだった人も、同じくらい好きで、同じくらい大事に思えるようになってしまいました。——カノンさまなら、どうしますか?」
何やら、経験のない私には難しい質問が来てしまった。
適当にやり過ごしたい気持ちはあったが、マリーはやけに熱を帯びた目でこちらを見ている。まるで一言一句、決して聞き漏らさないようにしているかのようだった。
マリーがここまで真剣なのだから、私も真剣に答えないといけないと思った。
まず、「好きになった人」というのを男性相手に限定するから、私にとって話が難しいと感じてしまう。「好き」というのは広い概念だ。本来であればその対象は男女の性差を問わないばかりか、動物や物などの無機物すらも包含される概念のはずである。
私自身を例として置いたとして、仮に前者——元々好きだった人、というのがリズだと置いたとする。そうなると後者の後から好きになった人はマリーになるのだろうか。今の私にとってリズは他に代えることのできない存在だが、一方でマリーもないがしろにしたくない大切な存在だ。もし私に友人と呼ばれる存在がいるとしたら、それはマリーのような人間になるのだろう。
思考実験として、私がマリーのことを何にも代えがたい、大事な存在だと思うことがあるのだろうか。
何にもというのは、文字通りの全てという意味である。
そのようなことを、私は考えられるのだろうか。
私は、その状況を許せるのだろうか。
残念ながら、私はそういう結論を出さざるを得ない。
「——わかりました」
意を決して、私は口を開いた。マリーは相変わらず、真剣な眼差しでこちらを見ている。
「私なら、新しく好きになった、という人のことは諦めますね」
「……それは、どうしてですか?」
わずかに、マリーの声が強張る。それがどういう感情なのかは読み取れなかった。
「私にはよくわかりませんが、誰かを好きになる重さというのは時間に比例するものだと思います。そんなぽっと出の相手を好きになるのは、何かボタンの掛け違いが起きている、そう思います」
「…………」
「それに、そんな簡単に好きになるような相手なんて、単にちょっと物珍しくて新鮮だっただけで、どうせろくな人間では——」
「そんなことありませんっ!」
唐突にマリーが叫んだ。勢い良く立ち上がったその姿に、周囲の目線が集まる。
「マ、マリー?」
何か変なことを言ってしまったのだろうか。
予期せぬマリーの豹変ぶりに、思わず身体が強張った。
「そんなこと……ありませんから……」
「マリー、落ち着いて。大丈夫ですから」
「あっ、わたしったら……」
ようやく落ち着きを取り戻したのか、マリーは力なく椅子に腰かける。周囲からは「何だ何だ?」「修羅場か?」という声が聞こえた。
「……よくわかっていませんが」
周囲の雑音を振り払うように、私はうなだれるマリーに声を掛けた。
「おそらく私が、何か気に障ることを言ってしまったんですよね?」
「いえ、カノンさまは悪くないんです。悪いのはわたしです。悪いのは……」
「マリー、さっきの回答の続きですが。どちらも抱え込むのは駄目なのでしょうか?」
「どちらも、ですか?」
「人の気持ちに戸板は立てられないでしょうし、二人の人間を好きになってしまったのであれば、その思いを清濁併せて飲み込むしかないと、私は思います」
「…………」
「別に今すぐ解決しなくて良いのです。抱え込んでいれば、いずれ時間が解決してくれることもあります」
自分で話しながら、何て薄っぺらい言葉なんだろうと思う。
私のような人間が人の気持ちについて語るなんて、とんだお笑い種だった。
「……カノンさまは、やっぱりお優しいんですね」
けれど、駄目なんです、とマリーは続ける。
「これは、わたしが整理を付けなければならない問題なんです」
しばらくして、食事を終えた私たちは席を立った。代金は結局一歩も譲らなかったマリーが支払うことになった。
あれから後、マリーはどこかぎこちなかった。口数は少なく、当初の明るさは影を潜め、こちらから話しかけてもどこか上の空だった。
マリーが支払いを済ませている間、その時のことを思い返してみる。
やはり、ただの仮定の話でマリーがあそこまで拒絶反応を示すのは多少違和感がある。
ひょっとすると、あの話は単なる架空の話ではなく、マリー自身のことだったのではないだろうか。
想い人が二人いる、というのがどこまで現実に即しているかはわからないが、仮にそうだとすると私はマリーの想い人のことを「ろくでもない人間」と言い放ったことになる。これでは間接的にマリーをも攻撃したのと同じことだった。
我ながら、呆れてしまう。何が「予期せぬ豹変ぶり」だ。十分に予想できたことじゃないか。
むしろ私が、「ろくでもない人間」だったのだ。
「カノンさま……」
いつの間にか、支払いを終えたマリーが傍に立ち、不安げにこちらを窺っていた。
「マリー、ごめんなさい」
私は機先を制して、頭を下げた。
「先程は、無神経なことを言いました」
「そ、そんな! 謝らないで下さい!」
マリーは慌てたように言った。
「わたしこそ、変な反応してしまってすみません。せっかく真面目に考えて下さったのに……」
「いえ、先程のは失言でした。マリーのことを考えず、申し訳ありません」
「あ、頭をお上げ下さい! わたし、ぜんぜん気にしてませんから!」
マリーの言葉に応じる形で、私は頭を上げた。マリーの慌てたような表情が目に入り、内心気持ちが和らいだ。
「とにかく、私が不用意なことを言ってしまったのは事実です。このお詫びはいつか必ず」
「そんな深刻に捉えてもらわなくても……あっ」
そこで、マリーは何か思い付いたように、言葉を止めた。
「……本当にお詫び、頂けたりしますか?」
「……え、ええ。私にできることであれば」
「それでしたら——」
言い切るより先に、マリーの髪がふわりと浮いていた。
その行き先を確認する頃には、マリーが私の左腕にしがみついていた。
「マリー?」
突然のことに、思わず動揺を隠せなかった。
「カノンさま、この後は宿にお戻りになるんですよね?」
「え、ええ。その通りです」
「お願いします。もう少しだけ、途中までも良いので、お見送りをさせて下さい」
「いや、さすがに歩きにくいですし、お詫びならもっと別の——」
「お願いします。一生のお願いですから」
「……わかり、ました?」
戸惑いながらも、あまりにも真剣な言い方だったので、根負けする形で了承する。
このような形は考えていなかったが、それでマリーが納得するならそれでも良いと思った。
それからしばらく、私が滞在している宿への道中を歩いた。その間マリーは左腕に抱きついたまま、口を開かなかった。
道中は行き交う人たちの物珍しそうな視線が私たちに注がれていた。あまり目立つのは本意ではないが、今はマリーの望むようにしてあげようと思った。
十分ほど歩いた後で、「INN」の看板が掛けられた建物——滞在している宿の前に着いた。
「マリー、ここまでありがとうございました」
「…………」
「すみませんが、そろそろ離れてもらえますか?」
「もう少し、もう少しだけで良いので……」
マリーがそう言った直後、宿屋のドアが開いた。
「あら、カノンと……マリー?」
私たち——特にマリーを見て目を丸くするリズの姿。
「今日はずいぶんとおめかししたのね。マリーだと最初気付かなかったわ。けど、とてもよく似合ってるわよ」
マリーに向かって、リズが話しかける。
一方のマリーは唖然とした表情で、「あ、あ、あ……」と言葉にならない声を上げていた。
「マリー?」
「し、失礼しましたっ!」
私が声を掛けると、マリーは私の手を振りほどいて、一目散に走り去っていった。
どうして、見られてはいけないものを、見られてはいけない人に見られたかのような、そんな反応をするのだろうか。
リズも「おかしな子ね」と同じ感想を呟いていた。
マリーの反応は気になるが、今度会った時にフォローを入れておくとして。
「リズ様、ただ今戻りました」
「そうなのね。けど、ちょうど良かったわ。服はそのままでいいから、すぐに支度なさい」
「呼び出し……とすると」
「ええ。ギルドからの呼び出しよ。なんでも新しい依頼だそうよ」
「承知しました。内容は何か聞いていますか?」
「さあ。手紙を持ってきてくれた人が何か言ってた気がするけど、どうせ直接聞くからと思ってあまり聞いてなかったわね。えっと確か——」
リズは口元に手を当てて少し考えるような表情になった後で、その単語を口にした。
「確か、平和な海賊団がどう、とか言ってたかしら。カノン知ってる?」




