洞窟の先にあるもの
盗賊たちが逃げ出した後の洞窟内は、もう誰もいなくなったと思えるほど静かだった。
彼らの対処は外で待機している血を這う獣のメンバーに任せることとして、私たち先を急ぐことになった。
「さっきの話、ですけど」
先頭を歩くマリーが口を開いた。
「去り際、言ってたじゃないですか。人質ならおそらく『食糧庫』だって。でもそれ、おかしくないですか?」
リズは答えなかった。再び、水を打ったような静寂が戻って来る。
「あ、いや。単純な疑問なんですけど、食糧庫って普通に考えたら食べ物を保管する場所ですよね? 何でそんなところに人質を捕えておくんだろうなって。普通、牢獄とか、そういう場所だと思うんですけど」
マリーの疑問はもっともだった。この場合、食糧庫云々というよりは、何故牢獄ではないのか、という疑問がまず来る。
もちろん、自然の洞窟を再利用した拠点なので部屋の数が足りていないということは考えられる。しかし、他者からの略奪を生業とする盗賊の拠点に牢獄が無いということが、果たしてあり得るだろうか。
「わたし、何だか嫌な予感がします……」
「奇遇ね。あたしも同感よ」
ようやく、リズが口を開いた。
「マリー、先に言っておくわね」
リズはマリーの顔を見据えて言った。
「この先何を見たとしても、気を強く持つのよ?」
マリーは反射的に「は、はいっ」と返事をしたが、その意図まではわかっていないように見えた。
具体的にどういうことなのか、リズに問いかけることもできたが、私はそうしなかった。そうする意味が無いからだ。
どんな結果にせよ、まもなく答えはわかる。
また、その結果如何で私のやることは変わらない。
「カノン。大丈夫だと思うけど、背後の警戒はお願いね」
「承知しました」
私は頷くと、マリーとリズの後ろを歩き始めた。
待っているのがどのような結果であれ、私はリズに付いていくだけだ。
洞窟内を進んでいると、私たちは三叉路に行き着いた。
左側の通路に、何かを同時に引きずったような赤い痕が残っていた。
「これは……っ!」
マリーはそれが何かを理解し、絶句した。
それは、大量の血痕だった。それも、辺りが血の海になるほどのおびただしい量である。何人分かはわからないが、この出血で生きている人間がいるとは到底考えにくいほどだった。
「マリー」
「……だ、大丈夫、です」
リズの問いかけに、マリーは強がるように言った。
「それで、道が分かれているけれど、マリーはどう思う?」
「わたしは……こっちの方向には行きたくない、かなって……」
そう言って、マリーは左——大量の血痕が続いている方向を指差した。
「あ、えっと、ほら。わたしたちの目的は人質の解放じゃないですか。だったら、こんなあからさまに危なそうなところは通らなくても良いかな、なんて……」
「なるほど。一理あるわね」
同意したリズの言葉に、マリーは安堵の溜息を漏らした。自分の意見が受け入れられたことよりも、考えなしの弱気の発言ではないことを示せたことにほっとしたのかもしれない。
「それじゃあ、カノンはどう思う?」
「私は……」
私は一度言葉を切り、マリーの顔を見た。
そして、心の中で詫びながら、続けた。
「逆に、この血痕の先に進むべきだと思います」
「カ、カノンさま~」
「その理由は?」
うなだれるマリーを後目に、リズが質問する。
「結論から言うと、この先に吸血鬼がいる可能性が高いからです」
「……それって、やっぱりたくさんの血痕があるから、ですか?」
「順を追って話しましょう。まずこの血痕は明らかに人間一人の量ではありません。では複数人の血だったとして、一体誰が、何のために死体を引きずっていったのか」
「で、でも、ここの盗賊たちがやった可能性もありますよね?」
「それはないでしょう。先程の話からすると、彼らのリーダーは既に倒れているのです。一目散に逃げようとしている中でそんなことをしている時間も余裕もないはず。加えて、彼らにそんなことをする理由がありません」
「死体を捨てるなら、洞窟の奥じゃなくて入口の方向に運ぶはずよね?」
「それに、それなりに重量のある人間の死体を、複数体まとめて運ぶなんて芸当はできません。普通の人間であれば」
「……つまり?」
「この先にそれができる種族、すなわち吸血鬼がいる、ということです」
「私も、カノンと同意見だわ」
「どの道、吸血鬼がいるとわかっているのに、みすみす見逃すなんてできない」
「……やっぱり、そうですよね……」
「カノンさま、やっぱりリズ様の味方なんだから、不公平ですよ……たまにはわたしの味方をしてくれても良いのに……」
私は苦笑いしながら、内心思った。
この依頼が終わったら、少しぐらいは優しくしてあげても良いかもしれない。
私たちは再び、マリーを先頭にして血痕の先に進んだ。
大量の血は、未だにその先まで続いていた。
「そろそろ、先頭を代わりましょうか? まもなく敵と遭遇するかもしれませんし」
「平気です。どうせ、戦いになったらわたしは足手まといなんで、せめてそれまでは貢献させて下さい」
「マリー。あなたは十分に貢献してるわ」
「ありがとうござ……ん?」
そこで、マリーは言葉を止めた。
視線の先で、それを見つけたからだ。
「あ、あれって……」
マリーは駆け寄り、持っていた松明を近付ける。
黒装束を着込んだそれは、辛うじてヒトの形をしていた。
ただし、全身が真っ赤に染まり、首は真横に曲げられ、手足もあらぬ方向を向いていた。
そしてその目は、何か見てはいけないものを見たかのように、大きく見開かれていた——。
「————っ!」
次の瞬間、マリーが口元を押さえてうずくまった。
「マリー!」
私が駆け寄る。マリーは苦しそうに眉間にしわを寄せながら、げほげほとえづいていた。
「落ち着いて。これはクラウス殿じゃありません」
私は背中をさすりながら、励ますように言った。
「これは、こんなの、一体誰が……」
「誰かはわからないけど、何の仕業かは明確ね」
マリーとそれを交互に見ながら、リズは言った。
「少なくとも、人間にはこんなことできない」
「リズ様。やはりこの先に……」
「ええ。間違いなく、この先にいるわ」
そう言って、リズは洞窟の先を目で示した。
「わたし、行かないと……」
ようやく落ち着いたのか、マリーは立ち上がった。その声は弱弱しく、足元も覚束なかった。
「マリー、あなたは引き返しなさい」
「そうはいかないです。この先に、彼がいるかもしれないんですから」
「クラウス殿のことは、私たちに任せて下さい」
「わかっています。けど、わたしが確認しないと……」
言いながら、マリーは私の手を払って歩き始めた。洞窟の奥は灯りが少なく、その先は見通せなかった。
「仕方ない。カノン、マリーに代わって前を歩いてちょうだい」
「はい。わかりま——」
刹那、私は何かを感じた。およそ人間とは思えない速度でこちらに迫る、何かを。
「マリー!」
私は反射的に叫んだ。マリーはゆっくり振り返りながら言った。
「大丈夫ですって。危なくなったら——」
その言葉は、最後まで発せられることはなかった。
次の瞬間、マリーの身体が宙に浮いていた。
「カノン!」
リズの声を受けて、リズと共に前に出る。リズは素早く抜いた剣を水平に振るった。
剣は空を切り、マリーを襲った何かは空中で一回転し、地面に着地した。
一瞬、子供を思わせるような小さな身体で、襟の長いマントに真っ黒のドレスを着込んでいた。
そして、暗闇に溶け込む真っ黒な髪と透き通るような青白い肌、それに吸い込まれるような真っ赤な瞳。
それは、事前に聞いていた特徴と一致していた。
「——あなたたち、誰?」
私は跳ね飛ばされたマリーの身体を受け止めながら、その何か——吸血鬼の口で白い牙が光った。




