招かれざる敵
マリーが所属するパーティー、地を這う獣はランクBに相当する、総勢十名の中堅パーティーである。
華々しい活躍こそないが、リーダーのクラウスを中心にメンバー同士の連携が持ち味で、安定した活躍に定評がある。
過去にはリズや私も所属していた時期があり、その意味でも馴染みのあるパーティーだった。
私がリズを連れてギルドマスターの部屋に入ると、マリーがこちらを振り返った。
「……リズペットさまも、いらっしゃって下さったんですね」
「マリー。久しいわね」
リズは簡単に言葉を交わすと、正面の大きな机に座るノアに向き直った。
「ノア。状況は?」
「ちょうどマリーを落ち着かせて、これから詳しい話を聞くところさ。それじゃあマリー、頼んだよ」
「はい……」
マリーは何度か深呼吸をした後で、ゆっくりと話し始めた。所々声が上ずりながら、努めて冷静さを保っているような口調だった。
「わたしたちのパーティーが盗賊退治の依頼を受けたのは、ちょうど一週間前のことです」
冒険者の依頼には、内容や難易度に応じてランクが設定されている。街中の見回りや薬草採取といった簡単なものから、危険な魔物の討伐まで依頼に挙げられる範囲は幅広い。
その中で、盗賊退治はランクDまたはCに相当する。この場合のランクは組織の規模や凶悪度によって上下する。彼ら地を這う獣が請け負ったのはランクCの依頼だった。
ただ、盗賊退治自体はそれほど難易度が高くない依頼だった。ランクはやや高めに設定されているが、これは盗賊の存在が周辺地域に及ぼす影響の大きさから来るもので、同ランクの魔物討伐に比べたら人間が相手である分だけ危険は遥かに小さい。よって、冒険者の間では「おいしい」依頼だとされていた。
「近頃、ここグレゴールや近隣の村々で、若い人間を中心として不可解な失踪事件が多発していてね。彼らが追っていた盗賊団にはその容疑がかけられていたんだ」
依頼内容について、ノアが補足する。
「不可解、とはどういうことですか?」
「目撃者がまったくいないんだよ。犯行は夜の時間帯で間違いないんだが、被害を目撃どころか、悲鳴を聞いた人間すらいない。捜査としてはお手上げだったと聞いている」
当該の盗賊団にも具体的な証拠があったわけではなく、状況的に可能性があるということで容疑者候補に挙がっただけだった。
いずれにせよ、経験の浅い新米パーティーならともかく、Bランクの中堅パーティーにとって盗賊退治はさほど難しい依頼ではない。ましてリーダーのクラウス自身もBランクの実力者である。通常であれば何事もなく終わるはずの依頼だった。
しかし、彼らが盗賊たちの拠点に踏み込んだ際、予想もしない相手が立ちはだかった。
「最初は小さな女の子だと思いました。暗闇に溶け込む真っ黒な髪と透き通るような青白い肌、それに吸い込まれるような真っ赤な瞳が特徴的でした。あと歯には牙があったと思います」
マリーの証言を元に、頭の中でイメージを組み立てる。
そして、一つの結論に至った。
「マリー、それは吸血鬼だね」
ノアは私と同じ結論に辿り着いていた。
「盗賊が吸血鬼を使役している、ということでしょうか?」
「実態が使役なのか服従なのか支配なのか、ついでにどっちが主でどっちが従なのかはさておき、吸血鬼が彼らと行動を共にしていることは確かだね。そんなのボクも聞いたことないけどね」
「……クラウスも、同じことを言っていました」
マリーは首を振って、嫌な予感が当たってしまったというような顔で言った。
「クラウスは最初、交渉を試みました。自分たちは盗賊を倒しに来ただけで、君と事を構えるつもりはない、と」
「それで、結果はどうだったんだい?」
「……没交渉でした」
私は、マリーが言葉の使い方を間違えたのだと思った。ノアも同じ感想を抱いたようで、小さく首を傾げている。
「交渉は成功でも失敗でもなく、そもそも会話が成立しませんでした。こちらの言うことが伝わっていないのか。伝わっているけど意味がわからないのか。判断がつきませんでした」
だが、相手は突如としてクラウスたちに襲い掛かってきた。
ここに及んで、交渉は失敗したと判断せざるを得なかった。
「わたしたちは立ち向かいました。けれど、相手は素早くてこちらの攻撃は全然当たらない上、当たったとしても切られた傷はすぐに再生しました。そうして、次第にわたしたちは追い詰められました」
「このままじゃ全滅すると思ったクラウスは、自分が囮になると言いました。危険過ぎると思いましたが、わたしたちには考える時間も、選択肢もありませんでした」
そして、マリーたちは辛くも窮地を脱する。
代わりに、クラウスは帰ってこなかった。
ノアは少し考える仕草をした後で、マリーに向かって言った。
「こういう言い方は本当は良くないんだが、キミたちは運が良かったと思う」
「……どういう、ことでしょうか?」
マリーは少し口を尖らせた。彼女の立場からすれば、未曽有の危機に直面して、クラウスという被害が出ている。それを「運が良かった」で済ませるのは難しい、という気持ちは理解できる。
「吸血鬼というのは、非常に珍しい種族なんだ。日の光が苦手であるという性質から、山奥の洞窟を根城にしているとも、廃墟となった館を占拠しているとも言われている。能力についても謎が多く、記録の上にしかいない、伝承上の魔物とさえ言われることだってある。ただ、唯一確実に言えることがある」
ノアは一度言葉を区切り、入口付近の壁に背中を預けながら、黙って話を聞いているリズを見ながら言った。
「それの討伐は、そこにいるリズペットの領分だってことさ」
だから、本来は生存者がいるだけでも運が良い。それがノアの感覚だった。
「……『運が良かった』というのは、その通りかもしれません」
少し冷静になったのか、マリーは同意の言葉を述べた。
「ここに来る直前、彼らから手紙が届きました。『お前たちのリーダーは生きている』と」
「だが、それだけじゃないだろう?」
「……はい。『お前たちのリーダーを返して欲しければ、金貨三百枚を用意しろ』と書いてありました。とてもじゃないけど、わたしたちにそんなお金払えなくて……」
「どう思う? カノン」
ノアから水を向けられる。
「もし本気で言っているのだとしたら、彼らは頭が悪いですね」
「……どういうことですか? 吸血鬼の力を誇示すればもっと絞り取れるだろうってことですか?」
「逆だよ。人間一人の身代金としては高過ぎる」
物価は場所にも拠るが、たとえばここグレゴールでは銀貨一枚あれば一人が一日食うに困らない。そして、金貨一枚は銀貨百枚と同等であるため、金貨百枚は百人単位の人間を一年間養えるほどの金額となる。
「あまりに高過ぎる金額を要求されても、普通の人は払えない。よって、普通は見捨てるという選択を採る」
「そんな……」
ノアの言葉に、マリーはがっくりと肩を落とした。
「だけど、それで困るのは彼らも同じだ。人なんて殺しても銅貨一枚分にもなりはしないからさ。だから普通の盗賊は、そんな法外な金額を吹っ掛けたりはしない。考えられるのは、カノンの言うように相当頭が悪いか、あるいは……」
「……あるいは、何ですか?」
ノアは少しだけ、言いにくそうに言った。
「……最初から生かすつもりがない、ってことさ」
マリーは絶句して言葉を失っていた。最悪の事態を想像しているのだろう。目には涙が浮かび、ふらふらの足は今にも倒れそうだった。
「でも、それでも――わたしは諦めない」
マリーは、自身を奮い立たせるように言った。
「今、動けるメンバーには可能な限りお金を集めてもらっています。今回、ギルドマスターに相談したかったのもその話です」
目元を腕でごしごしと擦った後で、マリーはノアに向き直った。
「お願いします! どうかわたしたちにお金を貸して下さい! 借りたお金はいつか必ず返しますので!」
そう言って、マリーは深々と頭を下げた。身体の横で握られた手は、わずかに震えていた。
マリーにとってクラウスが余程大事な人間だということが見て取れた。それもそのはずで、彼は大事なリーダーであり、また、彼女の婚約者でもあるのだから。
「そのことなんだけど――」
「マリー、あなたに聞きたいのだけれど」
ノアが喋りかけたところで、それまで黙っていたリズが口を挟んだ。マリーは驚いたように、頭を上げた。
「あたしは、何をすれば良いのかしら?」




