襲撃
「何事だ! 一体何が起こったというのか!」
ダミアンは大声で叫ぶが、前方の御者からの返事はなかった。
「アーミテージ卿、落ち着いて下さい」
「これが落ち着いていられるか! だからわしは嫌だと言ったのだ!」
ノアの言葉にも耳を貸さず、ダミアンは怒鳴り返す。彼にはまだ状況の説明はしていないのだが、疑心暗鬼となっている彼は自分が襲撃されたのだと思い込んだのだろう。そして、皮肉にもその被害妄想は正しかった。
馬車の外には大勢の人の気配があった。ざっと十数人はいるだろうか。いずれも殺気を伴っており、こちらを狙っていることは明白だった。
「では、私は出ます」
私はノアに向き直って言った。
「ああ、頼んだよ。彼のことはボクに任せて」
「お願いします」
短く言って、私は馬車の戸に手をかけた。ノアは武器こそ扱えないが、相手の精神に干渉するスキル、それに物怖じしない度胸がある。ダミアンを賊の手から遠ざけ、別の場所で待機しているリズが駆けつけるまでの時間稼ぎは十分にできるはずだ。
「ま、待て! どこに行くつもりだ!」
背中越しに、悲鳴にも似た声が掛けられた。
「私が他の者が来るまで時間を稼ぎます。閣下はノア……さまと一緒にここを動かないで下さい」
「やめろ! 死ぬつもりか!」
「……冗談じゃない」
私は小声で呟いた後、戸を開けて外に飛び出した。
誰がお前なんぞのために死んでやるものか。
馬車から飛び出した私は、着地と同時に周囲を見回した。全身に黒装束をまとい、頭をフードで被った男が十、いや十五人程。馬車を操っていた御者は既に席から降ろされ、突き付けられた剣に怯えながら両手を上げていた。
「ダミアン・アーミテージを出せ」
男の一人が、低い声で言った。
「……生憎ですが、それはできません」
「おとなしく奴の身柄を差し出せば、他の者に危害は――」
言い終わるより先に、私は背中の服の下に差したナイフを抜き、男の胸を斬りつけた。ぐわっ、という悲鳴と共に男が傷口を押さえて後ずさる。
「て、てめぇ!」
ようやく事態を把握した男たちが罵声に似た声と共に、各々の得物を抜いた。
私はナイフを構えながら、次の相手を見定める。
リズがここに駆けつけるまで、おそらく五分といったところだろう。
それまでが、勝負だ。
私は姿勢を低くし、前方の男たちに向かって駆けた。正面の相手が振りかぶった剣を振り下ろすより先、懐に潜り込んで胸に肘打ちを喰らわせる。そして両脇の男たちの足を払い、続けて近くにいた男の脇腹をナイフで斬りつける。後ろで転んだ男たちの悲鳴が上がった。
私は相手から距離を取り、再びナイフを構え直す。視線の先には、打撃や斬撃を与えた男たちが各々体勢を立て直し、こちらに殺意にも似た視線を送っているのが見えた。
今更ながら、ノアから与えられた条件は非常に厄介なものだった。護衛を一人でするのは大した障害にはならない。問題はもう一つの方、「誰も殺さないこと」という条件だった。それが無ければ、最初の男も喉元を掻っ切って終わりだっただろう。また、うっかり殺してしまわないよう、使用しているナイフも普段使っている「教団」の特別製ではなく、街でよく売られている鉄のナイフだった。
数で勝る相手を殺さずに無力化するのは、思いのほか難しい。
そうでなくとも、私は殺さないことが得意ではないのだ。
――ぼやいてても仕方ない、か。
内心呟きながら、私は目の前に迫った剣をナイフで弾き、その腕に突き刺した。続けて背後から振り下ろされた剣を横に跳んでかわし、がら空きとなった脇腹に蹴りを叩き込んだ。
「何をしている! さっさとその女を取り押さえろ!」
奥で、一際体格の良い男が叫んだ。おそらく彼がリーダー格なのだろう。
リーダー格の男の言葉を受けて、他の男たちは一様に焦った表情を浮かべた。あまり時間をかけ過ぎると騒ぎを聞きつけた増援が駆けつけることを、彼らもわかっているのだろう。
――そろそろ、頃合いか。
私は呼吸を整え、男たちが並ぶ前方に駆け出した。行く手を阻む男たちを一人、また一人とかわす。そして一番奥――リーダー格の男に肉薄する。
「くっ!」
リーダー格の男が舌打ちをしながら振り下ろした剣を、私はナイフを振るって根本で受け止める。男女の体格差を考慮すると鍔迫り合いはこちらが不利だが、相手は力が入りにくい柄に近いところで刃がぶつかっている。そうなると、押し合いはこちらが有利となる。
私は勢いを付けてナイフを押し込む。相手は負けじと踏ん張ろうとするが、無理な体勢も相まって徐々に後退を余儀なくされる。やがて足が追いつかなくなり、私ごと後ろに倒れこんだ。
私は相手に馬乗りになる形となりながら、持っていたナイフを両手に持ち替える。目の前には隙だらけとなった男の首、そして心臓があった。
もちろん、今回の依頼の条件を忘れたわけではない。ただ、もし。
もしこのままこの男を殺したら、どうなるだろうか。
リズはやり過ぎだと怒るかもしれない。ノアは、意外と気にしないかもしれない。
そう思いながら、私は持っていたナイフを振り下ろす――
「カノン!」
その時、背後からリズの声が聞こえた。
私はナイフの切っ先が男の喉を貫く――寸前でその手を止めた。
次の瞬間、後頭部に強い衝撃が走った。
受け身を取る間もなく、私は石造りの地面に叩きつけられた。視界はぼやけ、全身は金縛りに遭ったかのように、指の一本すら動かせなかった。
「あれは、リズペット・ガーランドだ!」
「何故ここに!?」
「とにかく退くぞ! 奴には勝ち目が無い!」
「この女はどうする!?」
「連れていけ! 人質代わりだ!」
薄れゆく意識の中、男たちの声だけが耳を通過していく。
まもなく、身体が宙に浮くような感覚と共に、私は意識を失った。




