ノアという少女
「やあ、そこのお姉さん」
グレゴールの街中を歩いている途中、私は声を掛けられた。
視線の先には、一人の少女が腰に手を当てて立っていた。身長は私より頭一つ分ほど小さく、おそらく140センチ程度だろう。フリル装飾が施された青いドレスの上に白いケープを羽織り、リボンでまとめられた長い髪が背中で揺れている。全体的に小柄という印象で、その顔にはあどけなさが残るものの、こちらを見据える大きな瞳からは揺るぎない意思が感じられた。
彼女の声に足を止める者はなく、念のため後ろを振り返ってみたが、背後には誰もいなかった。
「……私のことでしょうか?」
「その通りだよ。きれいなお姉さん」
恐る恐る確認すると、少女は力強く肯定した。
「ボクはちょっと困っていてね。早い話が迷子なんだ。なのでちょっと助けてもらえると嬉しいんだけど」
面倒な事態になったと感じた。
私は現在、冒険者ギルドに赴く途中だった。冒険者ではない私が行く機会はあまりないのだが、主人である冒険者のリズがギルドから呼び出しを受けた際、間接的に同行者――つまり私も来るように要求があったのが理由だった。私は街でちょっとした用事があったため、リズとは現地で合流することになっている。
普段なら丁寧に対応することもやぶさかではないのだが、今は先を急ぐ必要がある。あまり余計なことに首を突っ込みたくはなかった。
「すみませんが、少し急いでいるので他の方に頼んでもらえますか?」
「まあまあ。見たところ、お姉さんは冒険者かな?」
「厳密には違いますが、まあ、そんなところです」
「それなら話は早い。ボクが行きたいのは冒険者ギルドってところなんだけど、お姉さん知っているよね?」
「…………」
確かに、知っているは知っている。というよりこれから私が行く場所だ。
しかし、彼女の話ぶりに私は多少の違和感を感じていた。
ここグレゴールは人の往来が多く、声を掛けようと思えば私以外にも候補はたくさんいる。それに、迷子に限らず何か困りごとがあれば街の治安を守る憲兵に相談するのが普通だ。そもそもこの街の住人で冒険者ギルドという主要施設、且つ大きな建物の場所を知らないというのは考えにくい。そうなると他の都市や村から来た可能性があり、冒険者ギルドで待っているのは彼女の保護者ということも考えられる。
そして、さらにわからないのが、何故私に声を掛けたのかということだ。
彼女は「冒険者だから冒険者ギルドの場所を知っているだろう」との推測だったが、そもそも何をもって私を「冒険者」だと判断したのだろうか。今のご時世、槍と鎧で武装する理由などいくらでもある。全ての可能性を無視して「冒険者」の一点読みを図るのは、少々リスキーと言える。何なら、私が彼女をさらう人売りの可能性だってあったのだから。
「……お姉さん? おーい、お姉さん。美しいお姉さん?」
考え込んだ私を見て、少女が手を振りながら疑問の声を上げる。彼女が何者であれ、あまり危険な存在には見えなかった。
それに、事情はどうであれ、困っている人間を見捨てるのは寝覚めが悪い。
私は覚悟を決めることにした。
「冒険者ギルドなら知ってます。私もこれから行くので、よければ案内しますよ」
「本当かい!? ありがとう、助かるよ!」
少女はにっこり笑い、私の右手を掴み、ぶんぶんと振りながら言った。
「ボクはノアさ。気軽にノアっち、って呼んでね」
「私はカノンと言います。よろしく、ノア」
私は彼女の要求を軽く無視しながら答えた。
やはり、失敗だったかもしれない。




