後日譚
「災難でしたね」
城塞都市グレゴールの郊外にある喫茶店、その一角で腰を下ろしていたクラウスは私の姿、特に三角巾で吊るされた左腕を認めるなりそう言った。
「そうでもありませんよ」
私は左腕をかばいつつ、彼の向かいの席に腰を下ろしながら言った。
「戦いに身を置く以上、常に五体満足というわけにもいかないでしょう。命があるだけ良いというものです」
「まあ、それもそうですね」
クラウスは同意しながら、私が着席したことを確認すると店員を呼び、コーヒーを二杯注文した。喫茶店は飲み物と簡単な食事を提供するお店であり、近年増加している形態である。比較的安価で利用できる気軽さから、人々の社交場としても重宝され、特に冒険者や商人にとっては貴重な情報交換の場となっていた。飲み物は果汁や麦から生成した酒も提供されていたが、その中でも豆から抽出されたコーヒーは嗜好品として人気が高く、材料の原産地が限られる高級品であるにも関わらず人々の強い関心を集めていた。
ドレイクドラゴンとの戦いの後、私はリズに背負われながら下山した。私としては気恥ずかしさもあり固辞したのだが、リズがどうしてもと言って聞かなかったため仕方なく甘えることにした。本当のところ、肩を借りないと歩くどころか立つのも難しい状態だったので、その申し出はありがたかった。
道中で私の槍を回収し(崩れた崖の近くに落ちていたのをリズが確保してくれていた)、たまたま近くを通りかかったクラウス達と合流した後、ギルドへの報告や私の治療のためここグレーゴルに立ち寄った。それから数日間静養し、何とか自力で歩けるようになったところで今に至る。
店員が注文したコーヒーを運んでくると、周囲はほろ苦い焼いた豆の香りが広がった。
「ここはぼくがご馳走しますよ」
クラウスはそう言って、テーブルの上に置かれたコーヒーに口を付けた。随分気前の良いことだと思ったが、今回の件での手間賃として、ドレイクドラゴン討伐で得た報奨金の一部を彼らに渡しているとリズから聞いている。今日の場も、彼なりのお返しのつもりなのかもしれない。正直、コーヒーは苦みが強いのであまり好きではないのだが、相手の好意を無下にするのも気が引けた。
「リズペット様もお呼びできれば良かったのですが……」
「一人で来て欲しいと言ったのはクラウス殿ではありませんか」
「そうなのですが、本来お礼をするべき相手がいないのは、何とも」
クラウスはやや決まりが悪そうに言った。私がケガをしてからというもの、リズは私に対してすっかり過保護となり、療養中は片時も傍を離れず、ちょっとした外出時にも必ず付いてくるようになった。今日の場も本当は来たがったのだが、「教団」への定時報告だと言って無理矢理納得してもらった。
「まあ、彼女へのお礼はまた別の機会にさせて頂くとして、」
そう言って、クラウスは私に向き直って言った。
「正直なところ、カノン嬢とまたこうして話すことは叶わないと思っていました」
「私が拒否するとでも?」
「いえ、もう生きてお会いできないのではと思っておりました。実際に相対したあなたほどではないでしょうが、僕たちにとっても恐ろしい相手だったのですよ。……いや、一番恐れていたのはぼくだったのかもしれません。だからこそ、リズペット様からドレイクドラゴン討伐の話を聞いた時、あれほどまでに拒否感を示してしまった」
クラウスは苦々しい顔を隠そうともせず、やや自嘲気味に言った。彼の表情を観察しながら、私は目の前に置かれたコーヒーに口を付けた。やはり苦い。わざわざ高いお金を払ってこんなものを飲もうとする人間の気が知れない。
「カノン嬢はご存知かもしれませんが、ぼくたちのパーティーは既に崩壊寸前でした。あなた方がやってくる、ずっと前から」
私は苦いコーヒーと格闘しつつ、否定も肯定もしなかった。彼は構わず続ける。
「無論、原因はリーダーであるぼくにありました。長年、パーティーをそれなりに導いて来た自負はありますが、周囲を鼓舞し、更なる高みを目指す道筋を示すことができなかった。ぼくは、臆病だったのです」
——そんな時、あなた方がやってきた。
「ぼくはチャンスだと思いました。冒険者のパーティーにおいて、ランクの高い人間がリーダーに就くのは自然なことだ。ぼくはリズペット様をリーダーに据えることで、パーティーの崩壊を食い止めることができるかもしれないと考えた。また仮に失敗しても、その時は彼女に対する不満のはけ口として、自分がリーダーに返り咲けば良い、と。結果論ですが、あの日リズペット様に食ってかかったことが、メンバーを危険から守る行為だとして信頼を得たようです」
「……何故それを、私に?」
「あなたに隠し事はできないですからね。どうせ、こうなることも想定されていたのでしょう?」
「何のことだかわかりませんが、無事パーティーをまとめることができたようで何よりです」
私は素直に賛辞を贈った。実際のところ、彼がこれほど早く実権を取り戻すことまでは想定していなかった。その結果として、ドレイクドラゴン討伐の道中と帰路において彼らの助力を得られたことは、予期せぬ幸運だったと言える。
そう。今回のことは「幸運」だったと内心で苦笑した。




