過去編⑤ ワーウルフ
ワーウルフ、別名人狼と呼ばれる奴らの起源には諸説ある。
進化の過程で人間と狼が混血したという説もあれば、古の魔術師が行った実験の成れの果てという説もある。人間のように二足歩行し、狼のような灰色の毛皮と鋭い爪を持つワーウルフは森の奥深くに生息し、他の魔物と同じく滅多に人里には降りて来ない。だけど年に一度の繁殖期を経た後は、食料を求めて近隣の村々を襲うことがあった。
種族的にはどちらかと言うと人間に近い奴らは、個々の身体能力こそ文字通り人間に毛が生えた程度だけど、二足歩行で手先が使える分だけ生息可能範囲が広く、雑食で何でも食べるのが特徴だ。人間が育てた作物はもちろん、人間そのものさえも、奴らはその身の糧とするのである。
国の威信のためにも、近隣に住む領民のためにも、奴らを生かすという選択肢は存在しなかった。
偵察に出ていた騎士から、この先の森にワーウルフの棲み処があるという報告が上がってきた。
「数はどのくらいだ?」
「……少なくとも六十匹。いえ、奥に隠れている分も合わせればもう少しいるやもしれません……」
部隊長のオイゲンが尋ねると、騎士はやや青ざめた表情で言った。その報告の内容に、周囲の騎士たちからもどよめきが上がる。あたしたちは総勢で三十人。人数で言うと少なくとも二倍負けていることになる。
「事前の見立てでは、連中は三十匹程度だったはずだが……」
「情報が間違っていたのか?」
「いずれにしても、数で負けているのは由々しき事態だ」
「ここは一度退いて、体勢を整えた方が良いのでは……?」
騎士たちが口々に不安の言葉を漏らす。オイゲンは報告を聞いたきり、何か考え込むように腕を組んでいた。
「……オイゲン様、如何致しましょうか?」
周囲の不安が頂点に達した頃、痺れを切らした一人の騎士が口を開いた。オイゲンはその問いには答えず、目を瞑ったままだった。
「何を恐れることがあるの?」
我慢できず、あたしは声を上げた。
「敵はたかだか二倍でしょう? 一人で二匹か三匹倒せば良いだけよ。正規の軍隊ならともかく、知能の低い魔物なんてただの烏合の衆でしょう?」
あたしの発言に、周囲の注目が集まる。その目は、どれも嘲笑や不信を含むものだった。
戦いを知らないお姫様に何がわかる。
口には出さないけれど、彼らの目がそう言っていた。
「し、しかし姫様」
一人の騎士が恐る恐る発言した。
「戦いにおいて、数は重要なのです。どんなに精強な戦士でも、多勢には無勢なのです」
「あたしはこの国の、ヴェルフォールに仕える騎士たちの力を信じている。獣ごときに遅れは取らないはずよ」
「お言葉ですが、気持ちで戦いに勝つことは……」
「いや、姫様の仰る通りだ」
騎士がさらに口答えをしようとしたところで、それまで沈黙していたオイゲンが口を開いた。
「我らは栄光あるヴェルフォールの騎士団だ。魔物を目の前にして戦わずに逃げ帰ったとあっては面目は丸潰れである。ここで退くことはあり得ない」
「ですが、オイゲン様……!」
「貴様は、何のために騎士になったのだ?」
射抜くようなオイゲンの視線に、騎士は目を泳がせながらしどろもどろになった。
「そ、それはもちろん、国王陛下にこの身を捧げ、領国の発展に寄与するためであり……」
「その心意気は結構だが、そんなことよりもっと別の理由があるのではないか?」
オイゲンの発言に、周囲の空気が凍り付いたのを感じた。隣に立つルイも慌てた様子で、時折あたしに目線を送っていた。あたしは当初、みんなが何をそんなに驚いているのかわからなかったけれど、ルイの目線でようやく状況を理解した。
あたしは無言で睨みつけるオイゲンに代わって口を開いた。
「ねえあなた。名前は?」
「ロ、ロベールでございます」
「ロベール、ね。それでロベールは、武勲を立ててお金を手に入れようとは思わないの?」
「もちろんそのような浅ましい考えなど毛頭なく! ひとえに国王陛下や姫様に貢献するのが、わたくしの存在意義であります!」
「何を浅ましいことがあるの? いいじゃない、お金のために戦ったって。人間らしくてあたしは好きよ」
「姫様……」
「それにここだけの話、あたしも武勲を立てるためにここにいるの。あなたたちとは違ってお金はもらえないけどね」
あたしがわざとらしく肩を竦めてみせると、周囲の騎士たちからふっという笑い声がわずかに聞こえた。冗談のつもりだったのだけど、あまりツボには入らなかったらしい。
内心苦笑しながら、気を取り直してあたしは続ける。
「他の者も、まずは自分のために戦って頂戴。その他の理由はその次で構わない。武勲を立てた者は、必ずや国王陛下から褒美が与えられるわ」
「……それは、本当ですか?」
別の騎士が言った。
「ええ、本当よ。何ならあたしから進言してあげても良いわ。もちろん、あたしより武勲を立てた者に限られるけどね」
「なるほど。それなら尚更、姫様には安全な後方で待機頂かなければなりませんな」
さらに別の騎士が冗談めかして言うと、周囲からは笑い声が上がった。ようやく肩の力が抜けたような空気に、あたしも思わず笑みが溢れる。
「もちろん、どうしても嫌がるような臆病者を戦場に連れて行く趣味はないわ。さあ、怖気付いた者は今すぐ去りなさい。ワーウルフ討伐の武勲は、残った者たちで山分けすることにするわ」
あたしが言い終わると、周囲の騎士たちは無言だった。この場から背を向ける者はなく、その目には先程までの嘲りではなく、勇ましい炎が灯っているようだった。
「ならば行きましょう! 勝利は我々の手の中よ!」
あたしの声と共に、周囲ならおおっ、という声が上がった。どこからともなく、「姫様万歳!」という声も聞こえていた。
あたしは盛り上がりを見届けた後で、オイゲンに向き直った。
「……ごめんなさいね。あなたの仕事を奪っちゃって」
「いえ、姫様。ご立派でしたぞ」
ふっと笑いながら、オイゲンは言った。
「この分なら、指揮官としてわたくしが教えることはあまりないかもしれませぬな?」
「そんなことないわ。それより……」
あたしはオイゲンに耳打ちをした。
「……それで、この戦い、オイゲンは勝てると思う?」
「問題ないでしょう。士気さえ高く保っていれば、ですが、それは先程姫様が解決して下さりました」
「そう、良かった。あたしのお守りもさせてるわけだし、戦いが終わったらみんなにはきちんと報いてあげたいのだけど……」
「それなら、わたくしにも用意がございます故、姫様はこの後の戦いに集中して下され」
「そう? ありがとう。父上にはあたしからも言っておくわね」
そう言って、あたしはオイゲンから離れた。これで心配することは何もない。あたしは、あたしの戦いをするだけだ。
「ひ、姫様っ!」
決意を固めていたところで、ルイが声を掛けてきた。
「わ、わたしはっ! 此度の戦い、姫様の恩為に戦う所存です!」
「ありがとう。でも無理しなくていいのよ?」
「無理などではありません! これはわたし自身のためでもあるのですっ!」
「そう? ……なら、気持ちだけ受け取っておくわね。ルイも初陣なのだから、あなたはとにかく生き残ること。いいわね?」
「はいっ! 勝利を姫様にっ!」
本当にわかっているのか。あたしは内心苦笑しながら、ルイの肩に手を置いた。
戦いの時は、目の前まで迫っていた。




