過去編④ 初陣
翌日、あたしは再びテオドールとの訓練に臨んでいた。
結果は五戦五敗。いずれも全く良いところがない、惨敗だった。
内容も悪く、もはや悔しいという感情すら湧いてこなかった。
「……今日は、ここまでにしましょう」
唐突に、テオドールは剣を鞘に収めて言った。
「……っ、どうしたの? ……あたしは、まだやれるわ」
あたしは息を切らしながら抗議する。だけど、テオドールは首を横に振った。
「いえ、リズ様。本日のあなた様の剣には意思がこもっていない。これ以上やっても無意味でしょう」
「…………」
あたしは反論できなかった。自分でもわかっていたことだ。足元がふわふわするような感覚で、どうにも目の前のことに集中できない。
「昨日の今日で何があったかは存じませんが、戦場で相手は待ってくれません。どんな時も常に最高の動きができるよう、日ごろから精神面の鍛錬も怠りませぬよう」
「……そう、ね……」
あたしはうなだれながら、昨日のことを思い出す。
父上は、あたしに王位を継がせるつもりだと言った。
もちろん、ヴェルフォール家の長女として、そういう日が来る可能性があるのはわかっていた。
だけど、その可能性がいざ目の前に来ると、あたしはその責任の重さを考え過ぎてしまう。
「……姫様?」
今、訓練場にいるのはあたしとテオドールの二人だけだ。
あたしは思わず息を飲んだ。もしかしたらテオドールなら、あたしのことを小さい頃から知っているこの男であれば、あたしに良い助言をくれるのかもしれない。
「ねえテオドール。もし、」
「――その先は仰られない方がよろしいでしょう」
あたしの言葉を遮って、テオドールが口を挟む。
「リズ様も王家のご息女として、わたくしには想像もできないような重圧やお悩みがおありでしょう。ですが、どこに他人の耳があるかわからないのです。あまり迂闊なことを仰られては、リズ様ご自身の立場を悪くしてしまうやもしれません」
「そ、そうよね……ごめんなさい……」
自分の浅はかな行動が恥ずかしくなって、思わず顔が熱くなる。
あたしだってもう立派な大人なのに、この期に及んでまで誰かに慰めてもらおうとしていたのだから。
「ですが、一つ忘れないで下さい」
落ち込むあたしに、テオドールは言葉を続けた。
「わたくしは、何があってもリズ様の味方です。たとえ、国中が敵に回ったとしても」
「……それは、たとえば父上……国王様が相手でも?」
「無論です。もちろん、そのような事態にならないことを祈っておりますが」
そこまで言うと、テオドールは表情を和らげ、冗談めかして笑ってみせた。
その仕草が妙におかしくて、あたしも釣られて笑ってしまった。
「何よそれ。テオドールこそ、随分危ない発言をしていると思うのだけれど?」
「ははっ。前途有望なリズ様と違って、わたくしには失うものは何もありませんからなぁ」
「そんなことはないと思うのだけど……」
あたしは笑えない冗談に苦笑しながらも、一応彼なりにあたしのことを元気付けようとしてくれたのかもしれないと思った。
どこに行ってもヴェルフォールの長女としての立ち居振る舞いを求められる中で、テオドールとの訓練だけが唯一気が休まる時間だった。
今は、彼の心遣いがとても嬉しかった。
「でも、ありがとう。少し、元気が出たわ」
「それはよろしゅうございました」
テオドールは一つ息を吐いて、にやりと笑った。
いつも思っていることだけど、どうしてこれほどの実力があって、さらに他人に気遣いまでできる男が、このような訓練長の立場に甘んじているのだろうか。戦場に立って部隊を指揮すれば、きっと大きな戦果を挙げて帰ってくるだろうに。
あたしが部隊を指揮する立場になったら、絶対にこのような男のことは見逃さないのに。
「わたくしが思うに――」
考え事をしていたところ、テオドールがさらに口を開いた。
「リズ様はあまり難しいことを考え過ぎない方がよろしいのではないかと思われます。下手なことは考えず、己が信じた道をまっすぐ進むがよろしいでしょう」
「……何か良さげなことを言ってるけど、それってあたしが猪突猛進のバカってことかしら?」
「まさか! 適材適所というやつですよ。小難しいことを考えるのは、あなた様の従者にでもやらせておけば良いのです」
「うーん、でもルイってそういうタイプでもないのよねぇ……」
「確かに。違いありませぬ。あの男にリズ様の参謀は向きませんなぁ」
テオドールはこの場にあの青年騎士がいないのを良いことに、随分と失礼なことを言って笑った。ただ、あたしもそれを聞いて思わず笑ってしまったから、あたしも同罪だった。
*
一週間後、あたしはついに初陣の日を迎えた。ずっと待っていたこの日に、あたしは否が応でも気分が高揚するのを感じていた。
目的は辺境に出没した魔物の討伐。領内を大きく一周する形で巡回し、遭遇した魔物を倒す。およそ二、三日の道程だった。
あたしは総勢三十人ほどの部隊に編入された。ちなみにあたしの従者であるルイも同行しており、こちらも同じく初陣だった。
あの後、父上とも何度か言葉を交わしたけど、王位についての話は出てこなかった。まるであの日見た夢かと思いたくなるほど、この一週間は以前と変わらない日々だった。
「遭遇が予想されるのは獣人族のワーウルフ。決して手強い相手とは言えないですが、ゆめゆめ油断なされませんようお願い致します」
部隊長を務める老騎士のオイゲンは、あたしにそう説明してくれた。
「さて、本来は王族であるリズエスタ様に部隊を指揮頂くべきなのですが、リズエスタ様は今回が初陣であります故、代わりにわたくしが隊長を務めさせて頂きます。リズエスタ様にはいずれ我が部隊を指揮して頂くため、今回はわたくしの補佐という形で従軍頂き、隊長の役目をその目で学んで頂きたい」
「ありがとう。勉強させてもらうわね」
「また、この部隊においてリズエスタ様は形式上わたくしの部下となります。よって、大変恐縮ですが、戦場においてはわたくしの命令には従って頂きたい。よろしいですな?」
「もちろんよ。戦場で王族も何もないわ。あたしのことは気にせず、好きに命令して頂戴」
「大変結構です。そのお言葉を聞けて安心しました」
そう言って、オイゲンはわずかに表情を和らげた。オイゲンについてはあたしもよく知っている。父上と同じ五十歳で、派手さこそないものの、堅実な指揮と実直な人柄で兵たちの信望も厚い男である。十分に、あたしの命を託し得る人物だ。
「それではルイ殿、リズエスタ様をお頼み申すぞ?」
「はっ……はいっ!」
緊張のあまり、ルイは声が裏返った。その姿に、あたしは思わず笑ってしまう。
「大丈夫よルイ。ちゃんとあたしが守ってあげるから、あなたは自分の身を守ることに集中なさい」
「やれやれ。これではどちらが護衛対象かわかりませぬな……」
苦笑するオイゲンに釣られて、あたしも思わず表情を緩めた。あたしたちの反応を見たルイは心外だと言わんばかりに顔を真っ赤にした。
そうしてあたしの初陣となる一日は、少々和やかな雰囲気で始まった。




