夜の散歩
「リズペット。お姉ちゃん。起きて」
身体を揺すられる感覚で目を覚ます。重い瞼を擦りながら身体を起こすと、目の前には、ランプの灯りで照らされたノアの顔があった。
「何よ……トイレなら寝る前に行ってきなさいよ……」
「違うよ! そうじゃなくて、ちょっと夜の散歩に行かないかい?」
「散歩?」
頭を掻きながら、ノアの言葉を咀嚼する。何でそんなことしなきゃならないのか。いや、それより。
「……あなた、話聞いてなかったの? 夜は外出するなってレミリアから――」
「ああ。もちろん覚えているさ。だからこそじゃないか」
あたしは思わず首を捻った。何がだからこそなのか。寝ぼけた頭ではいまいちピンと来なかった。
「なあリズペット。どうして夜は外出禁止なんだと思う?」
「知らないわよ。夜は静かにしろってことなんじゃないの?」
「だったらそう言えばいい。ボクらだっていい大人なんだから。わざわざ禁止するってことは、夜に何かあるってことさ」
「……考え過ぎだと思うのだけど」
「忘れたかい? ここは吸血鬼の村なんだよ?」
――吸血鬼。
その単語に心臓がどくんと脈打つ感覚を覚えた。
まだノアの言うような「吸血鬼の村」だと決まったわけではないのだけど、もしそうなのだとしたら、夜は奴らの時間だ。
最悪、今日この場で遭遇する可能性だってあるのだ。
「……仕方ない。リズペットが気乗りしないというのなら、ボクが一人で行くことにするよ。起こして悪かったね」
「……待ちなさい。誰も行かないとは言ってないでしょう?」
立ち上がろうとするノアを引き止めて、一つ背伸びをした。
奴らと遭遇する可能性がある以上、ノアを一人にさせるわけにはいかない。
あたしは枕元に置いた剣を手に取って立ち上がる。ノアはあたしをじっと見上げた後でにっと笑った。
「いいねぇ。それでこそボクのお姉ちゃんだ」
*
夜の帳が下りた村は一層静かだった。街灯もないので辺りは真っ暗で、遠くで知らない鳥がポーポーと鳴いていた。
ノアはランプを片手に、懐中時計を覗き込んでいた。
「今、何時かしら?」
「十二時ぐらいだよ。リズペット、時計は?」
「持ってないわ。あたし、時間ってあんまり気にしないから」
「まあ、そういう人もいるよね……」
ノアは苦笑しながら、時計の蓋を閉じて服の下に仕舞い込んだ。よく見たら、同じ物をカノンも持っていた気がする。流行り物なのだろうか。
「それで、どうやって探すの?」
「とりあえず、誰かに見つからないようにしながら村を一周してみようかな。探すと言っても目的のモノがあるわけじゃないからね」
「人に見られないといいけれど……」
「こんな時間に起きている人間はいないだろうけど、念のため用心しながら行こうか」
一体何に用心するのやら。
内心苦笑しながら、ランプをかざしながら歩き始めたノアに付いていく。
その後は静かな道中だった。この遅い時間に誰かと遭遇することは考えにくいけれど、念のため道の端を歩いていつでも身を隠せるようにしつつ、会話は最小限に抑えた。あたしも念のため周囲を警戒しながら歩いたけど、吸血鬼はおろか、野生の動物一匹出くわさなかった。
しばらく何もない道が続いた後で、異変があった。
「……ノア」
あたしの小声に反応して、ノアはランプの灯りを黒い布で覆い隠した。それから、すぐさま木の影に身を寄せた。
先を窺うと、一人の小さな子供がランプを片手に歩いていた。ランプの灯りに照らされた、黒い髪には見覚えがあった。
「……アイラ?」
あたしが呟くと、ノアは腰の袋から単眼鏡を取り出して覗き込んだ。そして「確かに、アイラだ」と頷いた。
あんな小さな子供が、こんな時間に何をしているのだろうか?
「気になるね。とりあえず追いかけてみようか?」
「……気になるのは同意だけど、何のために?」
「どうせ手掛かりなんてないんだ。行き当たりばったり上等、ってね」
ノアがへへっと笑って木の影から身を現した、その時だった。
「――お前ら、何してるね」
突然の声を受けて、咄嗟にノアの襟首を掴んで後ろに跳んだ。ノアの「ぐえっ」という呻き声の直後、がさがさという木のざわめきと共に、何かが降りてきた。
あたしはノアを手元に引き寄せながら、腰の剣に手を掛ける。ランプで照らされたその人物を、あたしはよく知っていた。
「村の掟、忘れたとは言わせないね。事と次第によってはただじゃおかないね」
レミリアはあたしたちをその瞳に映しながら言った。その口調からも、真剣な表情からも、約束を反故にされたことに対する苛立ちが見て取れる。
よりによって、一番まずいのに見つかってしまった。
内心舌打ちをしていると、ノアはあたしの手をぽんぽんと叩いた。咄嗟に手を離すと、ノアはげほげほと咳き込んだ。
「……やあ村長。さっき振りだね。ご機嫌如何かな?」
呼吸を整えた後で、ノアは落ち着いた様子で話し始めた。この期に及んで、どんな言い訳をするつもりなのだろうか。
「話を逸らすなね。ご機嫌は悪いね。お前ら何してるね」
「ちょっと夜の散歩をね。こう見えてもボクは夜に散歩をしないと破門にされちゃう宗教を信奉しているんだ」
「……真面目に、答えるね」
「やっぱり? やれやれ、仕方ないね」
ノアはわざとらしく肩を竦めて見せた後、改めてレミリアに向き直った。
「実は一番最初に話した、たまたまこの村に立ち寄ったというのは嘘さ。本当はこの付近で少し探し物をしていてね。それがどうもこの村にあるみたいなんだ」
「何を、探してるね?」
「それがボクにもわからないんだ」
「……二度目は注意しないね」
「ふざけているわけじゃないさ。探しているのは事実だけど、それがどんな形で存在しているかがわからない。だから、ボクらは形のないものを探しているのさ」
「……お前の言葉、難しいね」
「ただ、どんなものかは検討が付いている。キミも名前ぐらいは聞いたことがあるんじゃないかな? キミは――」
「ノア!」
あたしは思わず、口を挟んでいた。それは、それを教えるのはまずい。あたしの直感がそう叫んでいた。
「心配するなよお姉ちゃん」
ノアはあたしを振り返って、不敵に笑った。
「どうせ雲を掴むような調査だったんだ。この際だから、レミリアにも協力してもらおうよ。それに、本当のことを言わない限り素直に帰してくれそうもないしね」
「それはそうだけど……」
あたしが言い淀んでいるのを見て、ノアは再びレミリアに向き直った。
「レミリア」
「……何ね?」
「キミは、吸血鬼というものを知っているかい?」
ノアの言葉を受けて、レミリアはしばし無反応だった。睨みつけるような視線で、あたしたちの様子を窺っているかのようだった。
「……もちろん、知識としては知ってるね。でも、それがどうしたね?」
「その吸血鬼が、どうもこの近くにいるっぽいんだよね。だからボクが調べに来たってわけさ。お姉ちゃんには言ってなかったけどね」
あたしは思わず右手を握り締めた。ノアはあたしを無関係の位置に置こうとしている。
いざという時、自分だけが犠牲になるために。
「……見つけて、どうするね?」
「別にどうもしないよ。今回の目的は調査だからね。そもそも実在しているかわからないし。ただ――」
ノアはにやりと笑った後、あたしも意外なことを口走った。
「もし目の前で会えたら、ちょっと世間話ぐらいはしてみたいよね。言葉の通じる異種族は珍しいからね」
ノアの言葉を、レミリアは無言で受け止めていた。表情は、相変わらず堅かった。
「……はあ。やれやれね」
レミリアは大きく溜め息を吐いて、両肩の力を抜いた。
「どうせそんなことだろうと思ったね。こんなへんぴな村に立ち寄る旅人なんていないね」
「悪かったね。騙すみたいになっちゃって」
「みたいじゃなくて完全に騙してるね。……まあ、いいね」
「……ちょっと待ちなさい」
弛緩した空気になりかけたところで、あたしは口を挟んだ。
「あなた、どうせそんなことだろうと思った、そう言ったかしら?」
「ああ。言ったね」
「いつから? いや、だとしたらあなた、あたしたちが嘘を吐いているとわかってて村に招き入れたの?」
「はっきりとわかってたわけじゃないね。ただ、嘘だろうとは思ってたね」
「だったら、どうして……」
「……何故だと、思うね?」
「真面目に答えなさい」
「おー怖いね。いつの間にか立場逆転してるね」
レミリアはひっひっひと笑った後、腰に手を当てながら言った。
「ひとまず、お前らの行動には目を瞑るね。ただ、次からはこそこそじゃなくてあーしに断ってからやるね」
「任せてくれ。ボクに二言はないよ」
内心、どの口が言っているのかと思ったけど、相手が納得しているならいいかということで、その言葉は胸の奥に仕舞い込んだ。
「それと、リズペット。さっきの質問の答えね」
そして急に、レミリアは再び真面目な顔になって言った。
あたしに驚く暇すら与えないまま。
「それだけ、事態は逼迫してるってことね」




