ペンネ村
ペンネ村の話は聞いたことがある。あたしはその名前を覚えていなかったけれど、とある筋では有名な場所だった。
昨今、吸血鬼に限らずだけど、世の中には化け物の目撃情報で溢れている。化け物の存在は人間にとっての脅威であるため、そうした情報に対してギルドが懸賞金をかけていた。その懸賞金目当てに、被害報告から噂話レベルのものまで玉石混交の情報がギルドには寄せられていた。
玉石混交では意味がないと思われがちだけれど、ギルドにとって数を集めることには意味がある。火のない所に煙は立たないように、化け物が現れる場所には必ずそれを見かける人がいる。内容はもちろん大事だけど、目撃された件数が多いところにこそ、必然的に火元となる化け物がいる可能性が高くなる。そういう寸法だった。
そんな中、吸血鬼の目撃談がやけに多い地域がある。それこそがペンネ村だった。
ノア曰く、ペンネ村は大きな産業もない小さな村で、自然を生かした農業と林業にて僅かばかりの収入を得ているとのことだった。申し訳ないけれど、あまり特徴のない村といった印象だった。
そんなペンネ村に、あたしはノアに連れられて立ち寄っていた。時刻は夕暮れ時で、周囲の景色は赤く染まり始めていた。
「おーい! 誰かいないかーい!」
簡易的な木の柵で囲われた村の門で、ノアは大声を張り上げた。高さ二メートルほどの柵は、防壁と呼ぶのも烏滸がましい造りで、所々が朽ち果てており、思い切り蹴り飛ばしただけであっさり壊れてしまいそうだった。
しばらくして、壁の向こうで男の話し声が聞こえてきた。二、三人といったところで、壁に空いた覗き穴でこちらを窺っていた。
入村の交渉は「まあボクに任せておいてよ」と言われているので、あたしはいつでも剣が抜けるように腰に差した得物の感触を確かめながら、ノアの後ろに立っていた。
「――誰だ?」
門の向こうから、低い男の声が聞こえた。声の調子からするにだいぶ警戒されているらしい。まあ、こんな何もなさそうな村に立ち寄る物好きがいるとも考えにくいので、当然の反応ではあるけれども。
「やあ。ボクはノアっていうんだ。そんで、こっちはリズ。ボクのお姉ちゃんさ」
あたしは声が喉から出そうになったのを、寸前で何とか堪えた。
そういう設定でいくなら、最初から教えておいて欲しい。
「悪いんだけど、一泊だけ、寝床を貸してくれないだろうか? もちろん、対価は払うよ」
ノアの言葉の後、しばらく反応がなかった。わずかながら話す声が聞こえるので、壁の向こう側で何やら相談しているのかもしれない。ただ、一方的に待たされると色々考えてしまう。たとえば、この門は殴ったら簡単に壊れそうだ、とか。
「お前たちは何者だ?」
悪い想像をし始めたところで、ようやく反応が返ってきた。未だに強い警戒を隠さない声で。
「見ての通り、リズお姉ちゃんは冒険者さ。ボクはお姉ちゃんに付いてきたんだけど、途中でへばっちゃってね。うだうだと休んでいるうちに日が暮れてきちゃったってわけさ」
「お前たちが賊の類ではないという、証拠は?」
「うーん、それを言われると弱いんだなぁ……とりあえず、お姉ちゃんが冒険者だから証拠のタグを見せるから、ちょっと待ってね」
そう言うと、ノアはあたしの方に振り返り、腰の小物入れから何やらアクセサリーのようなものを取り出して、あたしに手渡した。アクセサリーだと思ったそれは銀の板に刻印が施された、Cランク冒険者のタグだった。
無言で意図を察すると、受け取ったタグを握り、振りかぶって軽く放り投げた。タグはきれいな放物線を描き、壁の向こう側に落下した。
あたしのSランクのタグを見せなかったのは、不必要に相手を委縮させないためだろうか。
「ひとまず、村長に話を通す。少し待て」
やや投げやりに言うと、こちらの返答を待たずに足音が遠ざかって行った。静まり返った後も少し待っていたが、壁の近くに人の気配はなく、どうやら全員いなくなったようだった。
あたしがノアに向かって頷いてみせると、ノアはふうと一息吐いた。
「……何よ、お姉ちゃんって」
誰もいなくなったのを見計らって、あたしはノアを睨みつけた。
一方のノアは飄々とした表情だった。
「嫌だったかい?」
「別に嫌ではないけれど……そもそも、あなたの方が年上でしょう?」
「そうなんだけど、知らない人には説明が難しいだろう? どうせ偽りの設定なんだから、見た目に自然な方が都合が良い」
「……まったく、口が減らない妹ね……それはそうと」
あたしは奥歯を噛みしめながら、ずっと気になっていたことをぶつけた。
「……最初から、ギルドマスターの名前を出した方が早かったんじゃないの?」
「普通はね。けど、今回はちょっとだけ複雑なんだ」
ノアはあたしに同意しつつ、眉を寄せた。
「キミには話した通り、この辺りでは吸血鬼の目撃情報が相次いでいる。けれど一方で、この村の住人は見たことがないと言っているんだ。過去にギルドの人間が来て聞き込みをした時にも、誰一人ね」
「つまり、この住人は何かを隠していると?」
「キミならわかるだろう? この村の戦力で、襲撃した山賊を皆殺しにするのは不可能だ」
それは、あたしも感じていたことだ。
この村は、かろうじて外敵の侵入を防ぐだけの防御力しか持ち合わせていない。攻略に手こずった山賊が諦めることはあっても、正面から撃退して、しかも全員殺すということが、果たして可能なのだろうか。
この村にたまたま凄腕の冒険者が滞在していた、というのならまだわかる。しかし先程の反応を見る限りではこの村はだいぶ排他的だし、そもそも誰かしらの冒険者がいたというのであれば、その情報がこの小さなギルドマスターのところに入っていないわけがない。
「でもいいの? あたしは冒険者としてだいぶ顔が割れているんだけど」
「リズペットの名声もこんな辺境までは轟いていないさ。さすがにSランクのタグを見せたら気付かれるだろうけどね」
「それでも、気付かれた時は?」
「その時はその時さ。だけど、キミはおとなしくしていてくれよ? 今日はキミが先走っても止める人間がいないからさ」
「あんたはあたしを何だと思っているのよ……」
ノアのあんまりな言いように、思わず口を尖らせる。
あたしだって、カノンがいなくても人としての分別ぐらいは持ち合わせているつもりだ。そもそも、カノンが来るまでは一人でやっていたのだから。
……いや、カノンの前にもう一人いたんだったか。
「それにしても遅いなぁ……早くしないと本当に野宿になっちゃうなぁ」
「あたしはそれでも良いのだけど」
「キミは良くてもボクは良くない。ボクはキミらと違って繊細なんだ」
「貧弱の間違いでしょ……」
話しながら、ここまで時間がかかっているあたり、やはり住人の警戒心は相当なものだと思った。
そうなると本格的に別のプラン実行も視野に入れ始めないといけなくなる。
そう思い始めた矢先、壁の向こうでわずかに人の気配がした。どうやら、誰か戻ってきたらしい。
あたしはノアと顔を見合わせて、閉ざされた門に視線を遣った。
すると、程なくして門が開かれ、一人の女性が姿を現した。ボディスにスカート、それにエプロンという労働者風の格好で、短く切り揃えられた茶色の髪に、ぱっちりとした目が特徴的だった。
女性は腰に手を当てながら、あたしたちをまっすぐ見据えて言った。
「――待たせたね。村長が会いたいそうね。付いてくるね」




