最後の晩餐③
「……ナズナは関係ない。殺すなら、わたしだけを殺しなさい」
ヨルは声を震わせながらも、強く私を睨んだ。
「ヨル!」
「ナズナは黙ってて!」
ナズナの声を、ヨルは強い口調で制する。
まるで、自身を奮い立たせるかのように。
「……カノン様の言う通りだわ。わたし、どこかで甘えてた。落ち込んでいれば、しおらしくしていれば、温情で優しくしてもらえるって」
「ヨル! 駄目だよ!」
「フランもありがとう。おかげで、わたしも自分の罪と向き合える」
ヨルは微笑みすら浮かべて、静かな口調で言った。
「カノン様、一つ、お願いがあります」
「何でしょう?」
「……せめて痛くないように、してもらえませんか?」
「……大丈夫ですよ。そういうのは得意なので」
私はナイフを水平に構え、大きく振りかぶった。一撃で首をはねれば、痛みを感じることもない。
昔から、こういうのは得意なのだ。
「――フラン!」
その時、ナズナが叫んだ。同時に、フランが立ち上がり、こちらに飛び掛かる。
フランはナイフを持つ右腕に掴みかかると、そのまま体重をかけて押し倒そうとした。
「――くっ!」
後ろに倒れそうになるのを何とか堪え、右腕にしがみつくフランを振り払おうとする。フランは必死に抵抗したが、二、三度腕を振るうと床に転がった。
周囲を見ると、いつの間にかナズナが目の前まで駆けてきていた。
走ってきた勢いそのままに、ナズナは私に向かって頭からしがみつくように体当たりをした。咄嗟のことに抵抗し切れず、私はナズナと共に倒れ込んだ。
「ナズナ! 死にたいのですか!」
「だから、殺すならあたしからにしろって言ってるだろ!」
「……それなら、望み通りにしてあげますよ!」
私はナイフを手の中で逆手に持ち替えて、身体を密着させるナズナの背中に向かって振りかぶった。それを振り下ろそうとしたところで、右手が動かなくなった。
視線を動かすと、リラが私の右手に抱き付いていた。
「リラ、あなたまで邪魔立てしますか!」
「フラン! ヨルを連れて逃げろ!」
「わかった! ……さあ、ヨル!」
そう言って、フランは立ち上がり、ヨルの手を引いた。ヨルは戸惑いながらも、引かれるままフランに身を任せていた。
「いいのですか、ヨル?」
私はナズナとリラの拘束に抵抗しながら、ヨルの背中に向かって言った。
「あなたに逃げ場はありませんよ。この二人を殺したら、私はどこまでも追いかけますよ?」
「――いえ、カノン様。三人でございます」
声の方向に視線を動かすと、フレアがナイフを抜き、両手で構えていた。
「……フレア様、よろしいのですか?」
「…………」
「武器を抜いてしまったら、私も加減ができなくなります。それとも、私に勝てるおつもりで?」
「……いえ、もちろん無理でしょう。ですが、皆さんが覚悟を示している中で、わたくしだけおめおめと生き残るわけには参りません」
「ばーさん! あんたは関係ないだろ!」
「関係ありますよ。元はと言えばわたくしが起こした問題。最初から、わたくしが責任を取るべきだったのです」
「……どいつもこいつも、命を大切にしない者ばかりですね!」
空いた左手でナズナの側頭部を殴打する。怯んで拘束が緩んだ隙を見逃さず、覆いかぶさるナズナの身体を蹴り飛ばす。呻き声を上げ、ナズナの身体が宙に浮く。同時に私は身体を起こし、右腕にしがみつくリラの身体を振り払う。
すぐさま立ち上がり、周囲を見渡してターゲットのヨルを探す。幸いさほど遠くには行っておらず、入り口のドアの前でこちらを振り返っていた。私は標的を定め、姿勢を低くした。
「やめろよ!」
駆け出した私とヨルの間に、フランが両手を広げて立ちはだかる。
「ヨルはやらせない! やるなら、まずはぼくが相手だ!」
「邪魔しないで下さい!」
勢いをそのままにフランの右肩を掴み、反対方向に突き飛ばした。軽いフランの身体は一瞬宙を舞い、床の上に転がった。
そうして私は、ヨルと対峙した。これで、阻むものは何もない。
「さあ、ヨル。もう逃げ場はありませんよ?」
「……そうね。カノン様の言う通りだわ」
ヨルは悟ったように言って、私に向き直った。
「わたしは、もう逃げない」
「それでは、死ぬ覚悟ができたということですか?」
ヨルはすぐに答えなかった。私の問いを噛みしめるように、目を閉じて沈黙した。
それから、目を見開いて静かに口を開いた。
「……死にたくない」
「……ほう?」
「わたしを殺せばいいなんて嘘。だって、わたしは死にたくないんだもの」
「それを望むのが、わがままだとしても、ですか?」
「人間はわがままな生き物でしょう? だったら、死ぬまでわがままであるべきだわ」
「……なるほど。それは一理ありますね――」
ヨルに視線を向けたまま素早く右に一歩動き、左腕を少し上げる。その直後、ナイフを持った腕が脇の下を通過した。
「……邪魔を、しないで下さい」
伸びてきた腕を左手で掴み、強く手前に引く。フレアは小さな呻き声と共にバランスを崩し、前のめりに倒れ込んだ。
私は右手のナイフを振りかぶって狙いを定めた。
ヨルの、頭に向けて。
「……最後に、言い残すことはありますか?」
「……ごめんなさい」
ヨルは目を閉じて、静かな口調で話し始めた。
まるで、覚悟を決めたかのように。
「カノン様やフランの身を危険に晒してしまって、ごめんなさい。そして、都合が良いことはわかっているけど、それでも――」
そう言って、ヨルは再び目を開く。その目から、涙がぽろぽろと零れていた。
「わたしは生きて、ナズナやフランと共に、この修道院を支えたかった……」
「……それが、あなたの答えというわけですか。それでは、さようなら」
言い終わると同時に、私は右腕を振るった。指先からナイフがヨルに向かって飛翔する。ヨルが固く目を閉じるのが見えた。
投擲したナイフは一糸乱れぬ軌道でまっすぐ飛んだ。そして。
刃はヨルの頭上をかすめ、後方の柱に突き刺さった。
その瞬間、ヨルは力が抜けたように、腰から砕けて座り込んだ。
「えっ……?」
何が起こったのかわからなかったのだろう。ヨルは涙を溢れさせながらも、茫然と私の顔を見ていた。
私は戦闘の姿勢を解き、ふっと微笑んだ。
「……あなたの覚悟はよくわかりました。その覚悟があれば、もう心配はいらないでしょう」
「……カノン、様?」
「さあ皆さん。もういいですよ?」
そう言った瞬間、周囲から息を吐く声が聞こえた。
「いってて……カノンさまったら容赦ないんだから……」
真っ先に口を開いたのはナズナだった。
「手加減するなと言ったのはあなたでしょう?」
「そうだけどさぁ……」
「フレア様、大丈夫ですか?」
リラが立ち上がり、倒れ込んだフレアに駆け寄った。
「あたたた……やはり、年には勝てませんね」
「だから、カノン様に斬りかかる役は私がやると言ったのに……」
「……どういう、ことですか?」
呆気に取られるヨルに向けて、私は言った。
「……申し訳ありませんが、一芝居打たせてもらいました。あなたの気持ちを聞き出すために」
「ごめんね、ヨル」
未だに状況を把握しかねているように見えるヨルに、フランが駆け寄った。
「怒ってくれてもいいよ。でも、ぼくらが言ったこと、それに嘘はないんだ。ヨルが苦しみから解放されるなら、ぼくはこの身を捧げたっていい」
「そうだぜ、ヨル」
フランの言葉に、ナズナも同調した。
「でもさすがに、死ぬのはちょっと嫌だけどな」
「……カノン様は、それで良いんですか?」
ヨルは座り込んだ姿勢のまま、私を見上げながら言った。
「こんなことで、こんな程度のことで、わたしを許してしまって、良いんですか?」
「良いも何も、そもそも私は怒ってなんかいませんよ」
不安そうに見上げるヨルを安心させるため、私は微笑みかけながら言った。
「あなたは、あなたなりのやり方で自分の大切な場所を守ろうとした。行為自体はともかく、その気持ちは何物にも代えがたいものです。私があなたの立場でも、きっと同じことをしたと思います」
「でも……」
「それにヨル、お前はちょっと勘違いしているぞ」
「えっ?」
ナズナの言葉に、ヨルは目を丸くした。
「お前はまだ許されちゃいない。お前の罰はこれから始まるんだ。あたしという院長の下で働かないといけないという罰がな」
「……その理屈だと、ぼくも罰を受けることになるんだけど……」
「うるせーな! 大体お前は今まで散々サボってきただろ! 因果応報ってやつだ!」
「うー、それを言われると弱いなぁ……」
「……ふふっ、はははっ。何それっ」
ナズナとフランのやり取りを見て、ヨルはようやく笑みを零した。
そして目元を拭った後で、笑いながら言った。
「そんなの、死ぬより大変じゃない……!」




