最後の晩餐①
夕刻に差し掛かった頃、私は食堂の席でその時を待っていた。
席に着いているのは、私とナズナ。ナズナは院長の代行として私の向かい側に座り、目の前に置かれた食事――パンとスープ、サラダといういつもの献立――には目もくれず、腕を組んだまま目を閉じていた。
思えば、この食堂もだいぶ広くなったなと感じる。
いつもならここにフランが加わった三人で食事を摂っているのだが、そのフランはまだこの場には現れてない。彼女には、別の役割を与えていた。
その時、食堂のドアが重々しく開いた。
振り返ると、ドアの陰からフランの小柄な身体が覗くところだった。
「ナズナ……いや院長、連れてきたよ」
「ああ、ご苦労さん」
フランがやや固い口調で報告すると、ナズナは片目を開けながら答えた。口角は少し上がっているが、こちらも表情は硬かった。
フランはドアを大きく開いた後、ゆっくりとした足取りで私から見て左側、ナズナの右隣に着席した。
その後、静かな足音と共に、フレアとリラが入室した。二人はナズナやフランとは対照的に、微笑みの表情にもどこか余裕が見られる。
「やあ。何か、久し振りだな」
「変なことを言うのね。今朝も顔を会わせているでしょう?」
「まあ、そうなんだけどな」
二人が食堂に立ち入るのは、事件が明るみに出て謹慎が始まって以来三日振りである。決して長い時間ではないが、その間に色々なことが変わり過ぎてしまっていた。
「ナズナ、その帽子、とてもお似合いですよ」
フレアは穏やかな口調で、ナズナの被っているベールに言及した。他の修道士が黒いベールを身に着けるのに対し、修道院の院長は代々、紺と藍色の中間のような色のベールを身に着けていた。謹慎に入る前に、フレアがナズナに贈ったものである。
「からかうのはやめてくれよ。それに、あたしは預かっただけさ」
「そうはならないでしょう。その帽子も、あなたという主人を見つけて喜んでいます」
「うげっ、怖いこと言うのやめてくれよ……」
苦笑するナズナを横目に、フレアとリラは私の右側の席に座った。未だにナズナは認めていないようだが、その肩書にある「代行」の文字が取れる予想を、この場にいる全員がしているようだった。
全員が着席したところで、ナズナはもう一つ空いている席に目を遣った。
「フラン、あいつはどうした?」
「連れてきたよ。だからじきに――」
来る、と言いかけたところで、ドアの向こうから一人の人間が姿を覗かせた。
「…………」
姿を見せた女性――ヨルは目を伏せて俯いたまま、無言で立ち尽くしていた。
「……何やってんだよ。とりあえず座れって」
ナズナは呆れたような口調で着席を促したが、ヨルから反応が無かった。
「……?」
「……ごめんなさい」
ナズナが首を捻ったところで、ヨルが口を開いた。
久し振りに聞いたヨルの声は弱々しく、今にも倒れてしまいそうだった。
「やっぱり、わたしはこの場に相応しくない」
「はあ? 何言ってんだよ」
ヨルの言葉に、ナズナが抗議した。
「メシ食うのに相応しいも何もねぇだろ。どっちにしたって腹は減るんだし」
「ナズナ、あなたは優しいのね」
ヨルは虚ろな目を少しだけ歪めた。笑っているつもりなのかもしれない。
「でも、わたしにはそこに座る資格が無い。カノン様やフランの命を危険に晒しておいて、わたしはまだ何の咎も受けていないのだから」
「その話はもう終わったって言ったじゃねーか……」
ナズナはベール越しに頭を掻きながら、苦い表情を浮かべる。周りを見渡すと、リラもどこか居心地が悪そうに目を伏せていた。既に彼女は自身の行いを悔いて、どんな罰でも受け入れる覚悟ができている。一方で、自身の居場所を守るためにヨルを巻き込んだことは、彼女にとっても重しになっているのかもしれない。
「そうだよ、ヨル」
ナズナの言葉に、フランが同調する。
「ぼくは気にしてないよ。ちょっと不幸な行き違いはあったけど、これからやり直す時間はある。だから――」
「フラン、あなたはもう少し危機感を持った方がいいわ」
フランの訴えを、ヨルはにべもなく却下する。が、その後でふとはっとなったような表情を浮かべた。
「……ごめんなさい。『危機感を持て』だなんて、そんなのわたしが言えた立場じゃなかったわね……」
「ヨル、あなたは悪くないわ」
うなだれるヨルに、リラが立ち上がって言った。
「悪いのは私よ。私が、嫌がるあなたに無理矢理やらせたから」
「そんなの、何の言い訳にもならないわ。わたしは自分の意思で動いた。ただそれだけよ」
「皆さん落ち着いて下さい。元はと言えばわたくしの軽率な行動が皆さんを狂わせてしまって……」
「だけど……」
「だー! うるせー!」
その時、ナズナが大声と共に両手を振り上げた。周囲の視線がナズナに集まる。
「あたしはそんな話をするためにみんなを集めたんじゃねーよ! 処分は下された! 謹慎もした! これ以上、誰の何の文句があるってんだよ!」
ナズナの叫びに、周囲は静まり返った。少しの間沈黙が続いた後で、ふふっと笑い声が漏れた。フレアだった。
「……そうですね。少なくとも今は、目の前の喜びを分かち合うべきです」
「フレア様、しかし……」
「リラ、着席なさい。院長様の御前ですよ」
「……わかりました」
フレアに言われて、不承不承といった表情で、リラは再び席に着いた。
一方、ヨルは未だに両手を身体の前で組みながら立ち尽くしていた。
「……院長様の言葉は尊重するわ。だけど……」
「――ヨル、少し落ち着きませんか?」
私は立ち上がり、ヨルに向かって歩みを進めながら言った。
「これまでの経緯はどうであれ、せっかくこの場に全員が揃ったのです。今は、その幸運と奇跡を噛みしめるべきではありませんか?」
「しかし……」
「それに、全員で過ごせる時間も残り少ないのです。ナズナやみんなのために、この場は飲み込んでもらえませんか?」
実際、大主教からの処分は下されている。数日もしないうちに執行されるだろう。
そうなれば、フレアとリラはこの修道院にはいられない。
全員で食事をする機会も、もしかしたら今日で最後かもしれないのだ。
「……わかりました。カノン様がそこまで仰るのであれば……」
ヨルは尚も言いたげではあったが、最後は折れてくれた。
私はヨルを促し、空いていた私の左隣――フランの右隣でもある――に座らせた。
それを見届けた後で、私も着席した。
「――さて、久し振りに顔を合わせたから、みんな色々言いたいことはあると思うけど」
全員が着席したのを見て、ナズナが咳払いの後に話し始める。
「とりあえず冷めないうちにメシにしよう。これからのことは食べながら話そうぜ」
「ナズナ様。食事の前のお祈りを忘れておりますよ?」
「わかってるって! はい、そんじゃあ全員手を組んで。腹減ってるからちょい短めで」
「ナズナ、真面目にやりなよ」
「うるせーな! フラン、てめーはしばらく参加してなかったんだから黙ってろ!」
「うーん、それを言われると弱いなぁ……」
一連のやり取りを見ながら、私は頬を緩めていた。見ると、リラも少し笑いを堪えていた。
これで、少しは前に戻ったのかもしれないと、そう思った。
その後多少の悶着もありつつ、全員で無言のお祈りを済ませた後で、食事の時間が始まった。
「――ほんへ、ばーはんはこれからほうふんの?」
ナズナはパンを頬張りながら、フレアに話し掛ける。
「ナズナ、下品ですよ」
「わたくしは、各地の孤児院を回ろうと思っております」
リラが渋い顔をする横で、フレアは何事もないかのように話し始める。
「思えば、わたくしはこの街からほとんど出ることがありませんでした。これを機会に、現場の実態をこの目で見たいと思っています」
「働くねぇ。あたしなら隠居して茶飲んでるところだぜ」
「そういう生活も悪くはないんですけどね。……それで、リラはどうするのですか?」
「私、ですか? 私は……」
フレアに水を向けられて、リラは戸惑ったように視線を泳がせた。
少しの間沈黙した後、やや顔を赤くしながら言った。
「……お恥ずかしながら、あまり考えておりませんでした。とりあえず、元いた孤児院に戻ろうかと思っていますけど……」
「何だ、ばーさんと同じじゃん。それなら一緒に行けばいいんじゃねーか?」
「ナズナ、そんな簡単に言わないでよ……」
「えっ? だって、行先は同じなんだろ? だったら二人の方が楽しそうじゃん。ばーさんみたいな高齢者を一人旅させるのも危険だと思うし」
フランの呆れ声を無視して、ナズナはつらつらと語る。いくら何でも元院長に辛辣過ぎるとは思うのだが。
「……わたくしを高齢者扱いしたのは目を瞑りますが、わたくしには悪くないお話ですね。あくまでわたくしには、ですが」
「だろ? なあリラ、どうせ戻ってもやること決まってないんだろ? だったら一緒に連れて行ってもらえよ」
「そ、そうですか……」
リラは少し考えた後、フレアに向き直った。
「それではフレア様、よろしくお願いします……」
「ええ。こちらこそお願いします」
笑い合う二人を見て、ナズナもフランも釣られて頬が緩んだ。食堂の室内に、弛緩した空気が広がっていた。
――ただ一か所、とある一人の席を除いて。
「……楽しそうね」
ぽつりと、冷たい水滴のような声が響いた。それを受けて、室内がしんと静まり返る。
ヨルは俯いたまま、背筋を伸ばして座っていた。
目の前の食事には、一切手を付けることなく。
「わたしたちは罪を背負っているってこと、忘れてないかしら?」
「それは……」
「な、なあ!」
言い淀むリラを押しのけるように、ナズナが口を開いた。
「この場であんまりお堅いこと言うなよ。ばーさんもリラも、そのあたりは謹慎中にたっぷり反省しただろうしさ。そ、そうだ! どうしてもここにいずらいのなら、あたしが本部に口利きして、ばーさんたちと行けるように手配してやっても――」
「そんな簡単に言わないでよ!」
ヨルは感情を爆発させ、テーブルを拳で叩いた。並々注がれたスープの水面が揺れ、少しテーブルの上に零れた。
「フレア様やリラは良いわよ! ちゃんと罰を受けて、ちゃんと自分の罪と向き直る機会をもらえて! でもわたしにはそれがないの!」
「お、落ち着けよヨル。そもそもお前に罪は――」
「あなたになくても、わたしにはあるのよ!」
「ヨル、落ち着いて。ぼくらは――」
「フラン! あなたもあなたよ!」
ヨルの鋭い視線がフランに向けられる。その視線に、フランは思わず身じろいだ。
「あなた、わたしに殺されかけたのわかってるの!? カノン様のおかげで助かったけど、あなたはもう少しで死ぬところだったのよ!?」
「わ、わかってるよ、そんなことぐらい……」
「わかっているなら、どうしてわたしを憎まないの!?」
「どうしてって……」
困惑するフランを、ヨルは尚も攻め立てた。横で見ているナズナも、フレアやリラも、何を言って良いかわからない様子だった。ただ、それはヨルも同じだろう。ヨルは明らかに冷静さを欠いているが、自分でも何がしたいのか、何を求めているのかがわかっていないのかもしれない。
「――ヨル」
そろそろ頃合いだ、と私は思った。
「そんなに、罰が欲しいのですか?」
私は立ち上がり、ヨルを見下ろしながら言った。ヨルは私が急に何を言い出したのかがわからない様子だった。
「カノン、様……?」
「そんなに罰が欲しいのなら――」
私は背中からナイフを引き抜き、ヨルの顔に向かって突き出した。目の前に出された刃に、ヨルの表情が青ざめる。
「――私が、罰を与えてあげましょうか?」




