それぞれの道
大聖堂を辞して修道院に戻ると、入り口前の広場でナズナとガロ婆が何やら話しているのが目に入った。
二人は私の姿を見つけると、話を中断してこちらに振り向いた。
「何の話をしていたんですか?」
私が声を掛けると、二人はお互いの顔を見合わせ、一つにやりと笑った。
何だその反応は。
「安心せい。お前さんの悪口なんぞ言っとらんて」
「そうそう。ちょっとした世間話だよ」
「いえ、悪口は別に言ってもらっても構わないのですが……」
私としては何の話かを教えてくれない方がよっぽど気になるのだが、ガロ婆もナズナも、二人してにやにやと笑うばかりで、一向にその内容を口にしようとしなかった。
それより、この二人がいつの間にか意気投合していたのは少々意外だった。
「それよりカノンさま。ばーさんがなんか用事あるみたいだぜ?」
話を逸らすように、ナズナは笑いながら言った。
「そんじゃあなばーさん。またいつか会おうぜ」
「お前さんもな。あたしより先にくたばるんじゃないぞい?」
「うるせー、あたしは長寿を全うする気満々だよ」
ナズナはガロ婆と軽口を言い合った後で立ち去ろうとしたところで、「あ、そうそう」と言って私を振り返った。
「ばーさんとの用事が終わったら、院長の部屋に来てくんねーかな」
「ええ、わかりました」
「頼むぜ。それじゃまたな」
そう残して、ナズナは手を振りながら建物の中に歩いていった。
その背中を見送った後で、ガロ婆は私に向き直った。
「それで、大主教猊下との用事は無事で済んだかえ?」
「はい。一応、感謝は伝えられました」
「何じゃ、あやつも素直じゃないのう」
ガロ婆は面白そうにほっほっほと笑った。
ちょうどいいタイミングなので、私は気になっていたことを聞いてみることにした。
「ガロ婆は、ヴァネッサについてどこまで知っていますか?」
「あたしが知っているのはほんの一握りさね」
ガロ婆はにやりと笑いながら言った。
「ヴァネッサ・レーン。奴はナンバーズ時代、それなりに優秀だったと聞いておるよ。じゃが、ある時を堺に精彩を欠くようになった。それでナンバーズを外され、今の立場にいるという話じゃ」
「精彩、ですか……」
「意外かえ?」
「あの冷徹な彼女が、ちょっと想像しにくいなと思いまして」
「あたしも詳しくは知らんよ。どうしても知りたいなら聖女に聞いてみるが良かろう。何と言っても奴は当事者じゃ」
「そうなんですが、私にはあまり他人の情報を教えてくれないんですよね……」
実際、私が聖女と話す時に他のナンバーズの話になることはほとんどない。
ノアやルーチェと知り合ってからは、彼女たち経由で私の情報が伝わっていることがわかるようになったぐらいである。
まあ結果はともかく、一度聞いてみるのも手ではあると思うので、この件は一応覚えておくことにして。
「それよりガロ婆、私に用とは?」
「おお、そうじゃった」
ガロ婆は杖で地面を一突きし、かっかっかと笑った。
「あたしは明日、この街を発つつもりじゃ。一応、挨拶ぐらいしとこうと思ってな」
「それはまた、随分急ですね」
「これでもゆっくりした方じゃよ。この辺りで回っておきたい場所は回ったし、会いたい者にも会った。さっきの娘っ子みたいに、新しい出会いもあったしの」
そう言って、ガロ婆は満足そうに笑った。
「それに、元々はお前さんの道中と滞在中の護衛も頼まれておったが、もうその役割も必要なさそうじゃしな」
ガロ婆に言われて、確かに最近は自身のケガをあまり意識することがなくなっていたと気付いた。
先日、シンシアと対峙した時も、たった一振りではあったが、以前と変わらない程度には動けていたと思う。
「そういうお前さんは、これからどうするんじゃ?」
「私も近々、この街を発つことになると思っています」
ガロ婆の言葉を受けて、私も答えを返した。
「もう少しだけ後始末は必要ですが、修道院も院長がいなくなって慌ただしくなっていますし、ケガの具合もだいぶ良くなりました。予定よりは少し早いですが、良い頃合いかと」
「ほっほっほ。そうかえ」
「また、どこかでお会いできるといいですね」
「あたしが生きているうちに巡り合わせがあるとええのう」
「ええ、是非とも」
言いながら、私が右手を差し出すと、ガロ婆はその手を取った。
握手の後、私たちはそのままお互いに違う方向に歩き始めた。
*
「あっ、おかえりカノンさま」
修道院の建物を潜ったところで、入り口で箒を手に動き回っているフランと遭遇した。そう言えば、自室と資料室以外でフランと会うのはとても新鮮な気持ちだなと思った。
今回の一件が解決をみてから、本人の強い希望もあり、フランは本格的に修道院の仕事に復帰することになった。現在は本来の帳簿管理と資料室の司書の仕事をしつつ、日々の雑務や礼拝といった仕事を増やしているところだった。慣れない仕事で苦労している部分はありそうだが、以前と比べて生き生きとしているように見えるのは気のせいだろうか。
「すみません、掃除は本来私の仕事なのに」
「いいんだよ。大主教さまのお呼び出しだからしょうがないし。それに……」
「それに?」
「……今まで、サボってた分を取り返さないとね」
「……そうですか」
フランのどこかすっきりとした表情に、私も微笑んだ。
「私も、もう一つ用事が終わったら合流しますので、もう少しだけ頑張って下さい」
「うん。ちなみにだけど、この後は?」
「ええ、ナズナにちょっと呼ばれていまして」
「そっか。じゃあ院長室だね」
フランの予想に、私は首肯した。
「それはそうと、」
思い出したように、フランは言った。
「ぼくも、今後はナズナさまって呼んだ方がいいのかな?」
「いいと思いますよ。本人も喜ぶと思います」
「ははっ、そうだね。今度試してみるよ」
ひとしきり二人で笑った後、それでは、と言ってフランと別れた。
*
院長の部屋にノックしてから入ると、部屋の中央に位置する執務机の前で、ナズナがどこか所在なさげに座っていた。
私は少し笑いを堪えながら、声を掛けた。
「……もう少し堂々としたらどうですか?」
「わりーな。何か落ち着かなくて」
ナズナは苦笑しながら、それでもどこかそわそわしながら答えた。
「それで、席の感触は如何ですか? 院長様?」
私の言葉に、ナズナは一層苦い顔をした。
「最高の気分だよ、まったく。フレアのばーさん、今までこんな苦労してたんだなって、今更ながらわかったよ。あとあたしはただの院長代行、だよ」
今回の事件――院長フレアによる修道院の資金流用により、彼女は処分が決まるまで謹慎することになった。一方で、修道院の仕事は今日も変わらずやってくるので、誰かがその役割を担う必要があった。
そこで選ばれたのが、ナズナだった。
当然ながらナズナは「そんなのあたしの柄じゃない」と言って全力で固辞したが、リラとヨルは処分保留で謹慎中、フランはつい最近まで表での仕事をしていないということもあり、他にその任を担える人間がいなかった。ナズナは「カノンさまで良くね?」とふざけたことを言って最後まで抵抗したが、結局折れて「処分が決まるまでの一時的な措置」であることを条件に院長の席に着くことに同意した。
「ま、もう少しの辛抱ってやつかな。そのうち本部から代わりの人間が派遣されたら、あたしなんてすぐにお払い箱だろうし」
そう言ってナズナは半分願望、半分自嘲気味に笑ったが、おそらくそれはないだろうなと思った。
ナズナは素行こそ悪いが、裏表のない人柄で周囲の信頼も厚く、何より修道院を訪れる人々に慕われている。大きな事件が起きた後の立て直しとしては、これ以上ない人材だった。
彼女にとっては不幸かもしれないが。
「それで、カノンさまはばーさんたちの処分については?」
「ええ、大主教猊下から伺いました」
「あたしも今朝書面を受け取ったよ。大主教さま、意外と優しいんだな。もっと、血も涙もない裁定が下るのかと思ってたよ」
苦笑するナズナに釣られて、私も苦笑した。つい先刻、私も似たような感想を抱いたばかりだった。
「他の方には?」
「一応、伝えた。フレアのばーさんとリラは淡々と聞いてたよ。だけど……」
「問題はヨル、ですか」
ナズナは苦い顔で頷く。
「……ヨルの奴、謹慎が終わってもずっと部屋に籠ったままなんだよ。せっかくフランが復活したのに、またフランみたいな奴が増えちまった」
冗談めかして言ったが、その表情は暗かった。
「やっぱり、自分だけ何のお咎めもないのが許せないらしい。だけど、大主教さまの処分はもう決定されちまってる。今更、しかも重い方に変えてもらうなんてできないし……」
それは私も同意だった。あのヴァネッサが、一度決めたことを翻すなどということは考えにくい。まして「自分にも罰を与えろ」などという訴えは聞いたことがない。シンシアでなくとも「貴様、どこまで馬鹿なのだ」と言いたくなる。
「フランだって、今回の処分には納得してる。むしろ、軽い処分で済んだことを喜んでるぐらいだ。まあ、あいつの立場だと少し複雑かもしれねぇが」
言ってみれば、フランは引き金を引いた当事者だ。いずれ発覚していたとはいえ、彼女の行動が一連の罪を暴いたと言える。
だがそれは、フランから見れば自分がそれまでの日常を終わらせたとも言える。
単純に、彼女の望み通り真実を知れて良かった、仲間の処分が軽くて良かったと手放しで喜ぶのは難しいかもしれない。
「カノンさまも、もうすぐここを離れることになるんだろ?」
「そう、なりますね」
「それなら最後にもう少しだけ、あたしに力を貸してくれないかな?」
ナズナは、私をまっすぐ見据えながら言った。
「あたし、このままだとみんな後悔すると思うんだよ。ヨルだけじゃなくて、フレアのばーさんやリラも、フランやあたしも。そりゃあ、もう何もかも元通り、ってわけにはいかないだろうけど、さ」
「ナズナ……」
「たとえ元に戻らなくても、せめて最後ぐらい、みんなで笑って別れたいって思うんだよな……」
そう言って、ナズナはどこか悲しそうに、どこか口惜しそうに言った。
それは偽らざる、彼女の本心なのだろう。
そして、それはおそらく――
「――ナズナ、今の言葉に二言はありませんね?」
「カノンさま?」
「あなたは、そのために何でもすると誓えますか?」
「そりゃあ、あたしにできることなら何でもするけど……」
「その言葉を聞けて安心しました。それなら――」
私は呆気に取られるナズナに向かって、にやりと笑った。
「――私に一つ考えがあります」




