代理人の裁定
「――そこまでだ」
固く目を瞑ったリラの顔にナイフを振り下ろす――その刹那で、シンシアの手が私の手首を掴んでいた。
「もう、いいだろう。勝負ありだ」
「……そうですね」
私はシンシアに同意すると、腕に込めていた力を抜いた。シンシアが手を離したのを受けて、構えていたナイフを背中に戻し、リラの身体の上から立ち上がった。
「――くっ!」
その瞬間、激しい立ち眩みが襲い、思わず呻き声が漏れた。
「……どうして……」
リラは抵抗することも、身体を起こすことも忘れて、虚ろな目で言った。
「……どうして、動けるのですか? あの薬を飲んだのに……」
「リラは、自分で淹れたお茶の味見はしないタイプですか?」
「えっ?」
私の言葉が意外だったのか、リラは目を丸くして私の方を見た。
「先程のお茶、舌に触れた瞬間ひどい味がしました。申し訳ないですが、あんなものは飲めたものではありません。そもそも、普段あれだけ気遣いのできるあなたが、私の分だけしかお茶を持ってこないなどということはありえない」
「…………」
「まあ、舌に触れただけで全身が痺れて動けなくなる程の効果があるとは思いませんでしたが、誰かさんが時間を稼いでくれたおかげで助かりました」
そう言いながら目を遣ると、その誰かさんは「ふん」と不満そうに鼻を鳴らした。
「先程、ヨルが薬の量を少なくしたことについて怖気付いた、と言っておられましたが、私は違うと思いますよ?」
「……どういうことでしょうか?」
「ヨルにはどういう配合が、味と効果のバランスを最大限に発揮できるかがよくわかっていた。だからこそ、フランは気付かずに飲んでしまった。だが、あなたは私の排除に万全を期そうとするあまり、そのバランスを崩してしまった。それが、あなたの失敗です」
そこまで言って、私はドアに向かって視線を遣った。
「――そうですよね? ヨル!」
その瞬間、がちゃりとドアが開かれた。その向こうからは、申し訳なさそうに俯いたヨルがナズナに連れられて現れた。
「……カノンさま。ヨルは全部教えてくれたよ。リラの指示でフランに薬を盛ったこと。そして、カノンさまに劇薬を仕込んだことも」
ナズナの説明にも、ヨルは口を開かず、目を伏せて俯くばかりだった。思えば、ヨルはずっと様子がおかしかった。自分の知識を他人、それもフランという大事な仲間を傷つけるために使ってしまったこと。そして、さらに罪を重ねようとするリラを止められずに加担してしまったこと。そうした自身の選択を前に、語るべき言葉を失っているのかもしれない。
「……これなら、ナズナも味方に引き入れておけば良かったですね。隠し事ができないタイプなので役に立たないと思いましたが、こうなるとわかっていたら毒見ぐらいはさせたのに……」
「リラ、あなたは焦っていた。今日のヴァネッサ様の訪問で、自分たちが疑われていると思った。だからこそ、できるだけ早く証拠を隠滅したかった。あなたが言うところの、自分の居場所を守るために」
「ん? ちょっと待て。それじゃあ――」
「ええ、ヴァネッサ様はおそらく無関係でしょう。そもそも、あれだけ潔癖なお方が、眼前の不正を見逃してまともな自我を保てるとは思えない」
「……貴様に同意するのは癪だが、その通りだ」
「でも、ちょっと待ってよ」
苦い顔をするシンシアを横目に、フランが口を開いた。
「ぼくの調査では、今回の件は本部の人間が関わっていないと成り立たないんだ。ヴァネッサさまじゃないとすると、一体誰が……?」
「それはわかりませんが、順番に明らかにしていくとしましょうか。まずは、リラ」
私はリラに歩み寄り、膝を付いて目線を合わせた。
「そろそろ、白状なさったら如何ですか? フレア様が、修道院のお金を流用して何をしていたのかを」
「そうだ! フレアさまが資金を流用していることはわかったけど、何に使っているかはついぞわからなかったんだ!」
「……そ、それは……」
「――それは、わたくしの口からお話ししょう」
言い淀んだリラを追求しようとさらに口を開きかけたところで、唐突に声が掛かった。視線が集まった入り口から、静かな足取りで歩くフレアが姿を現した。
「フレア様……」
「リラ、もういいのです」
リラを遮って、フレアは落ち着いた様子でゆっくりと語り始めた。
「リラは、孤児なのです」
フレアの言葉が室内に響き渡る。周囲を見渡すと、私以外にはシンシアが少しだけ意外そうな顔をしていたぐらいで、他の者は皆一様に神妙な顔で俯いていた。
「いえ、リラだけではありません。フランも、ナズナも、ヨルも、皆、幼くして両親を亡くした孤児です。そういった子たちを、わたくしは修道院に受け入れてきました。しかし――」
フレアはそこで二度首を振り、少しだけ奥歯を噛みしめながら続けた。
「――昨今は産業の発展の代償として、そうした孤児を受け入れる場所が少なくなってきておりました。経営が立ち行かず、閉鎖される孤児院も数多くあります。リラがいた孤児院も、その一つでした。リラに相談を受けたわたくしは、何とか力になりたかった。しかし現実の問題を前にして、神の力はあまりにも無力です」
「だから、資金の流用を始めた、と?」
「神が、我が父がお救いにならないのであれば、わたくしが救うしかない。そう思いました。その後は、ご存知の通りです」
言い終えると、フレアはお腹の前で手を組み、目を閉じた。リラやヨルも、同様に目を閉じていた。言い訳も弁解も一切せず、ただ裁定を待つ。そんな態度に見えた。
だが、彼女たちに裁定を下すのは、私の仕事ではない。
「シンシア、どうしますか?」
「…………」
私が声を掛けると、シンシアは少し考えるように腕を組んだ。
ここ、コロンにおいて最高権力を持っているのは大主教のヴァネッサだ。
そして、この場において裁定を下すのは、ヴァネッサの代理人としてこの場に立つ、シンシアの役割だった。
シンシアは少しの間無言を貫いた後、ゆっくりと口を開いた。
「……善意とはいえ、神に上納する上前をはねていたことは事実だ。いずれにしても、我が父の下で法の裁きは受けてもらう必要がある。普通なら、重罪だ」
「承知致しました。全てはわたくしが独断で行ったことでございます。他の者は、一切関係ございません」
「フレア様っ!」
フレアの発言に、リラとヨルが同時に叫んだ。
「フレア様だけが悪いわけではありません! フレア様と共謀して悪事を隠蔽し、挙句、カノン様やフランを殺そうとしたのは私です! 罰するのであれば私も!」
「わ、わたしも! お二人の殺害未遂に協力した罪があります! おめおめと放免されるわけには!」
「やかましいぞ。少し黙ってろ」
「シンシア様の仰る通りです。悪いのはこのわたくしただ一人で――」
「おい、貴様もだ。勝手に喋るな、騒々しい」
苛立ちながら、遮るようにシンシアが言い放つ。
「……私が命令されたのは、そこにいるカノン・アルカナのお守りだ。そいつが変な真似をしないように、な」
「お目付け役、ですよ」
「貴様は黙ってろ。……いいか、一度しか言わないからな?」
シンシアは一つ咳払いをすると、周囲を鋭く睨みながら言った。
「今の私は、カノン・アルカナのお守りであって、ヴァネッサ様の代理人ではない。よって、ここで貴様らに裁定を下す権限はない」
「しかしシンシア様! それでは……!」
「最後まで聞け。だから、この件は私が一度預かる。私からヴァネッサ様に報告申し上げる。それまで貴様らの処分は保留だ」
フレアの言葉を遮った後で、シンシアは一際鋭い目で言った。
「いいか貴様ら、勝手な真似はするな。私が戻るまで、余計なことは一切するな。……以上だ」
シンシアが言い終えて目を閉じると、しばらく静寂の時間が訪れた。シンシアの言葉の意味を、ナズナやフランはおろか、ヨルやリラも測りかねているようだった。ただ一人、フレアはその意味を理解したようで、「ありがとうございます」と言って深々とお辞儀をした。
一方のシンシアは目を閉じながら、どこか照れ臭そうにも見えた。
「……何だ?」
シンシアの顔を見ていたところに、不機嫌そうな声が返ってきた。
「いえ、別に。あなたにもそういうところがあるんだなと思っただけですよ」
「どういう意味だ、貴様」
私の指摘を鬱陶しそうに受け流したシンシアだったが、それ以上は何も言わずに再び目を閉じた。今、彼女の頭の中は主人をどう説得するかで一杯なのだろう。正直なところ、シンシアがそんな役割を買って出るとは思っていなかった。とても、初対面でいきなり斬りかかってきた乱暴者とは思えない。
「……フレア様、最後に教えて下さい」
私は少しだけ口角を上げた後、フレアに向き直った。
「何故、フランを自由にしたのですか? 私がいなくても、フランはいつか事実に辿り着いた。あなたの行為は、いずれ必ず露見していたでしょう」
「……カノン様。わたくしは弱い人間です」
フレアは私の顔をまっすぐ見据えながら言った。
「どのような理由であれ、我が父のお金を私的に使うなど、あってはなりません。ですが、わたくしには目の前で困っている子供たちを見捨てることができなかった。一方で、このようなことがいつまでも続けられるものではない、ということもわかっておりました。ですが、わたくしには引き返す勇気がなかった」
そう言って、フレアは次にフランを見遣り、小さく微笑んだ。
「わたくしは、誰かに止めて欲しかったのかもしれません」




