視察、その後
院長の執務室を後にした私は、昼食のためリラ以外の他メンバー――ナズナ、ヨル、そしてフランを呼ぶために歩みを進めていた。まずは、いる場所が畑か菜園でほぼ決まっているヨル、その次におそらく広場にいるであろうナズナ、最後に自室か資料室に籠っているフランの順番で呼びに行くつもりだった。フランを最後にしたのは一応理由があり、彼女が食事の場に呼ばれることは、少なくとも私がこの修道院に来てからは一度も無かったので、フランを呼ぶのには多少説得に時間がかかりそうだと踏んでのことだった。
それにしても、何故今回はフランを呼ぶよう指示されたのかは少々疑問が残る。これまでフレアはフランの自主性を大いに尊重した態度を取っていたはずだ。
ヴァネッサに言われたことがきっかけだろうか?
いや、ヴァネッサの話だと、フランの勤怠についての指摘は今回が初めてではない。それなら、何故今回は違ったのか。
思考を巡らせながら歩いていたところで、ふと視線を感じた。
前方に視線を遣ると、廊下の曲がり角で顔を覗かせながらこちらを窺っているナズナの姿があった。
「大主教さま、もう帰った?」
恐る恐る、といった具合にナズナが口を開いた。
「ええ、先程お帰りになりました」
「マジ? ああ~良かったぁ~」
私が応じると、ナズナは少々大袈裟に胸を撫で下ろした。
「あたし、あの人ちょっと苦手でさぁ。緊張するし、顔合わせると我が父がどうとかで説教長いし」
「……私も一応、あちら側の人間であることをお忘れなく」
「やべっ」
苦笑する私を見て、ナズナはいたずらっぽく笑った。今の発言は紛れもない本音なのだろう。神に仕える信徒としてはどうかと思うが、そうした本音をぶつけてもらえる程度には、私も信用されているということなのかもしれない。
「ところで、さぁ」
ナズナは話題を変えるように言った。
「メシまだ? あたし、腹減っちまってさ」
「ああ、ちょうど皆さんを呼びに行くところだったんですよ」
私の言葉を受けて、ナズナは右の拳を突き上げて喜びを露にした。
「よっしゃ! そんじゃ、ヨルはあたしが呼んで来るから、カノンさまは先に行っててくれよ」
「お気遣いはありがたいですが、実はもう一人呼んで来るように言われているんですよ」
「もう一人? ……フランか」
ナズナは少し眉を寄せた。
「フレアのばーさん、今まで散々甘やかしてたのに、どういう風の吹き回しだ?」
「さあ、詳しくはわかりませんが」
私は先程のヴァネッサの話には触れずに言った。
「これまでが異常だったのです。ある意味、元に戻ったと考えるべきでしょう」
「まあ、そうなんだけどさ。……なあ、カノンさま」
ナズナは両手を首の後ろで組みながら、急に真面目な顔になって言った。
「あたし、フランに会ったらちゃんと謝ろうと思ってる」
「……フランには、既に謝ったと聞きましたが?」
「この間のことはこの間のことだよ。そういえばあたし、フランのこと何もわかってないなって思って、さ。だから――」
ナズナは組んでいた両手を解き、姿勢を正して私に向き直った。
「あたしも、もう少しあいつのことわかってあげた方がいいかなって」
「……そうですか」
私が微笑むと、急に照れ臭くなったのか、ナズナは視線を外して頬を掻いた。
「ま、まあ、とにかく。ヨルはあたしが呼んでくるから、カノンさまはフランを頼むよ」
「是非、本人に伝えてあげて下さいね」
「わかってるよ! ……あたし腹減ってるんだから、急いでよね!」
やや投げやりに言うと、ナズナは逃げるように走り去っていった。
その後ろ姿を見送った後で、私はフランのいそうな場所――まずは寝室に足を進めた。
そして、ナズナが隠れていた角を曲がろうとした、その時だった。
「おっと」
角で何かにぶつかりそうになったところ、咄嗟に身を翻してかわした。一方の相手は驚いたように声を上げた後、前のめりになってバランスを崩そうとしたところで、何とか堪えた。
「……ヨル?」
私は、その後ろ姿に声を掛けた。ナズナとは行き違いになってしまったが、ちょうど良かった。
「ちょうど、あなたを呼びに行こうとしていたんですよ」
「な、何かしら?」
私が声を掛けると、ヨルは息を切らしながら、少し焦ったように答えた。
私は少々疑問を覚えながら、用件を伝える。
「来客で少し遅くなりましたが、そろそろ皆さんでお昼にしようと思っていたところです。食堂の方へお越し下さい」
「わ、わかった。あとで、行くから……」
ヨルは私に目を合わせようとせず、足早に立ち去っていった。
あんなに焦ってどうしたのだろうか。もしくは、何かから逃げている。そんな仕草に見えた。
私は首を捻りつつも、ひとまずは目の前の仕事を済ませるのが先だと切り替えて、フランの自室に向かった。場所は前に本人から教えてもらっているので、道に迷うことはなかった。
私はフランの自室前に立ち、ドアをノックした。
「フラン、いますか?」
ドア越しに声を掛けるが、中から返事はない。もう一度ノックするも、やはり反応はなかった。
ここにいないとすれば資料室だろうか。
そう思いつつも、一応確かめるためドアノブに手を掛けると、がちゃりという音と共にドアが開いた。
「フラン、いるなら返事を――」
部屋を覗いた瞬間、思わず息を飲んだ。
目の前には、天井から吊るされたロープで首を吊っているフランの姿があった。
「フラン!」
私は叫ぶと同時に駆け出し、背中のナイフを抜いた。その勢いのまま跳び、フランの頭上のロープを切断する。支えを失った身体は力無く床にどさりと落下した。
「しっかりしなさい! フラン!」
フランの身体を横たえた後、頬を叩きながら呼び掛けを行うが、目は閉じたままで返事がない。首にはロープと、爪で掻きむしったような痕がくっきりと残っていた。呼び掛けを続けながら下腹部に手を当てるが、手を押し返すようなお腹の動きは確認できなかった。
意識は無く、呼吸が止まっている。
危険な状態だと判断した私は、すぐさま胸の中央部に両手を当てて、体重を乗せつつ強く押した。呼吸をしていない人間に施す胸骨圧迫で、フランが息を吹き返すことを祈った。
「カノン様、どうかなさいまし――」
掛けられた声に顔を上げると、リラが口元を押さえて絶句していた。
「リラ! 医者を呼んで! 今すぐに!」
「えっ、は、はいっ!」
私が強く叫ぶと、リラも状況を察したのか、慌てて部屋の外に駆け出した。
その背中を見送ることもなく、私は胸骨の圧迫を続けていた。二十回、三十回と回数を重ねるが、フランは目を覚さない。
次の処置が必要だと判断し、私はフランの顎を持ち上げて気道を確保し、鼻を摘んだ。それから、フランの口を塞ぐように口を付けて、勢い良く息を吹き込む。二回、息を吹き込んだ後で、再び胸骨の圧迫を再開する。
「フラン!」
私は手を動かしながら、フランに声を掛ける。胸を押す手に力がこもり、額に汗が滲んだ。
冗談じゃない。フランはこんなところで死んではならない。
彼女はまだ、彼女自身が望んだ真実を解き明かしていないのだから――
祈るように圧迫を続けていたところで、それまで微動だにしていなかったフランの身体が痙攣するように跳ねた。
「ごほっ、ごほっ、ごほっ」
フランが苦しそうに息を吹き返すのを見て、思わず全身の力が抜けるのを感じた。
「フラン、私がわかりますか?」
私が声を掛けると、フランは虚ろな目で私の姿を見据えて言った。
「……あれ……カノンさま……どうかしたの……?」




