視察
リラと私に案内された大主教ヴァネッサが修道院の建物内で院長のフレアと合流し、視察が始まった。
視察の対象は簡単な施設の巡回と、祈りの時間への同席だった。規律に対して少々緩い者がいるこの修道院に偉い人間が見に来るということでの緊張感はあるが、「普段通りの姿を見せれば問題ありませんよ」とはフレアの言葉だ。
修道院の日課として行われている祈りの時間は、修道院内の祭壇で早朝、昼、夕方、夜の四回行われ、そのうち昼と夕方の部には一般来場者も参加が許されている。今は昼の時間帯なので、街の住民や巡礼で訪れた者も参加していた。大主教の視察は周知のことだったらしく、祭壇の間にはいつもより多くの人々が詰めかけていた。
日課の祈りは基本的に無言の祈りで、姿勢を正し、精神を集中させて神への同化を目指す行為である。
祭壇にフレアが立ち、脇をヨルとナズナが控えていた。フレアたちは来場者に相対して、目を閉じて両手を組んでいる。ヨルは普段通りだが、ナズナはどこか緊張しているように見える。室内の各所には一般の来場者に紛れて街の自宅から通う非常駐の修道士の姿があったが、フランの姿は見えなかった。と言っても、これはいつものことだった。
案内役としての責務がある私とリラはヴァネッサの後ろに控え、無言の祈りを捧げていた。時折薄目を開けると、ヴァネッサも手を組んで祈っていた。周囲にも大主教が来ていることが知られているせいか、祈りの時間はいつもよりも厳かな雰囲気で進んだ。
祈りを終え、院長の執務室にヴァネッサとフレア、それにリラと私が集まっていた。フレアは椅子に着席せずヴァネッサと相対し、リラと私は二人の間の直線を避けるように部屋の壁際に立っていた。
「お疲れ様でございます。大主教猊下」
フレアが、開口一番で言った。
「もしお望みであれば休憩などは如何でしょうか。簡単ではありますが、お食事もご用意してございます」
「我が父への献身に疲れなど感じません。お気遣いは無用です」
にべもなく言ったヴァネッサに、フレアは気を悪くした様子もなく「左様でございますか」と微笑んだ。
「それより、本題に参りましょう。わたしも外に従者を待たせておりますので」
「かしこまりました。それでは人払いを――」
「それには及びません」
フレアの言葉を遮るように、ヴァネッサは言った。
「ここまで付き従ってくれたのです。この者たちにも聞く資格はあるでしょう。何も聞かれて困る話をするわけではないのですから」
「それは……はい、仰る通りかと」
フレアは少しだけ表情を曇らせながらも、最後は折れる結果となった。
ヴァネッサは一瞬だけ私に目を向けたが、特に何も言わずに視線をフレアに戻した。
「単刀直入に言いましょう。あなた方には更なる献身が必要です」
一言目で、ヴァネッサはそう告げた。特に感情も籠らず、ただ事実を伝えるかのような静かな口調が、狭い室内に響き渡った。
「……詳しく、お聞かせ頂けますか?」
少し間を置いてから、フレアが口を開いた。
「本日のお祈りはとても素晴らしいものでした。我が父もお喜びになられているでしょう」
「ありがとうございます」
「しかし、あれでは足りない」
「…………」
「この修道院には神の導き手となる修道士が四人いたと思いますが、わたしの記憶違いでしょうか?」
ヴァネッサの言葉を、フレアは特に身じろぎすることなく、ただただまっすぐに受け止めていた。
この場合の修道士は、所謂本物のことだ。
私のような、一時的な居候の偽物はカウントされていない。
「申し訳ありません。シスター・フランは本日体調が悪く」
「ミズ・フレア。それは前回来た時も聞きました」
ヴァネッサはフレアの言葉を遮ると、一つ息を吐いた。
「もちろん、あなたの寛容さは美徳です。ですが、彼女たちを少々自由にさせ過ぎているのではありませんか?」
「……彼女たちの能力は、我が修道院に必要なものでございます」
「それについて異論を挟むつもりはありません。ですが、献身の義務を果たさない者がいるのは、本末転倒ではありませんか?」
修道院に勤める者は、神に仕える者として様々な義務が課される。修道院運営に必要な掃除や農作業、来場者の応対や資料室の整理も立派な仕事だが、それらの中でも比重の大きいものの一つが、日課の祈りである。
ヴァネッサは、その場に参加していない修道士がいることを問題視していた。
正直なところ、大主教ほどの立場にある人間が一介の修道士の存在まで認知しているのは意外だったが。
「はっきり申しましょう。ミズ・フレア。あなたは少々手緩い」
「…………」
「ここ最近、この修道院からの献身が減ってきていると、報告が上がっています」
「……申し訳ありません。ここ最近は不作が続いており、地代の回収がうまくいっておらず……」
「それが手緩いと言っているのです」
追及の手を緩めず、ヴァネッサが言った。
「我が父は、更なる献身を求めております。そのために、あなたには必要なことが求められているのです」
「……つまり、容赦はするなと?」
「全ては我が父の御心のままです」
ヴァネッサは明確には同意しなかった。
だが、否定もしないということは、つまりそういうことだった。
「話は以上です。ミズ・フレア。わたしはこれで失礼します」
「承知致しました。お二人とも、ご案内を」
「ではこちらに……」
フレアの言葉にリラが応じて、入り口の前まで歩いて行った。
その姿を、私は立ったままの姿勢で見ていた。
「……カノン様?」
リラが疑問の声を上げた。フレアも、何事かという表情を浮かべていた。
「……ふん、なるほど」
ヴァネッサがやや不満げに鼻を鳴らした。
「一応あなたにも、物の分別というものがわかっているようですね」
「……どういうことですか?」
「……後で話します。リラは大主教猊下をご案内して下さい」
「は、はいっ!」
私に促されて、リラは大主教を案内しながら部屋を後にした。
私が付いていかなかった理由は単純だ。
今頃、修道院の正門前には主人の帰りを今か今かと待ち詫びている従者がいるはずだ。主人の大事な仕事に同行できなくて、大いにストレスが溜まっていることだろう。
そんな中、ストレスの捌け口となるような人間がのこのこ出て行っては、また大きな騒ぎになってしまう。
それは私にとっても、おそらくヴァネッサにとっても本意ではなかった。そういうことだ。
「……フレア様」
私はヴァネッサが出て行った入り口のドアをしばらく見つめていたフレアに声を掛けた。
「わたくしは大丈夫ですよ」
フレアは微笑みながら言った。気丈に振る舞ってはいるが、その表情からは少々疲れの色が見えた。
「皆さんの献身は大主教猊下にも伝わっております。何も心配することはありません」
「……そうだと良いのですが……」
フレアの言葉が本音なのか気休めなのかはわからない。ただ、大主教という立場の人間がわざわざ来て告げていったという事実は重く見なければならない。
このまま何も起こらなければ良い、というのは私の本音だった。
「それはそうと、カノン様」
気を取り直すように、フレアは一度手を叩いた。
「皆さんを食堂に集めて頂けますか? 少し遅くなりましたが、皆さんで昼食にしましょう」
「承知致しました」
私は同意して、部屋の入り口歩き始めた。この時間ならヨルは畑、ナズナは広場で子供の相手をしているだろう。リラはヴァネッサを案内し終わった後はここに戻ってくるだろうから、フレアと共に移動してもらえば良い。
「ああ、そうそう――」
そう頭の中で整理を付けたところで、フレアから声が掛けられた。
それは、私にとって意外な言葉だった。
「フランも忘れずに呼んできて下さいね?」




