大主教の護衛
パクス・リミュエール教団は総主教を頂点としつつ、その下に大主教がつき、さらにその下に修道院長や各修道士などが連なるツリー階層となっている。その中で大主教は各地の支部や拠点を治める長の役割を担い、その地に教義を広めるにあたっての強い権限を与えられていた。
聖地コロンを治める大主教の名前は、ヴァネッサ・レーン。
その女性が、私の目の前に立っていた。
ヴァネッサは先日大聖堂の前でも見た、白を基調とした祭服だった。全体に金糸の刺繍が色を添えており、頭上には宝石が散りばめられた冠が輝いている。また、服装の豪華さだけではなく、彼女の立ち居振る舞いもまた洗練されており、両者がそれぞれ高め合っている印象だった。実際、すれ違う多くの巡礼者が彼女を前に振り向いて釘付けになるばかりではなく、中には感動のあまり涙を流す者さえ見られた。
通常、大主教ほどの立場にある人間が外出する際には護衛として大勢の人間が付き従うことになっているが、彼女に従っているのは一人の女性だった。黒の長衣で、袖や裾に僅かに金色の刺繍が施されただけの簡素な服装だった。背は高く、腰まで長さのある銀色の髪が目を引いている。腰にはやや短めのショートソードが光っていた。剣は柄と鞘、どちらにも装飾と細工が施されており、一目でも高価なものだとわかる一品だった。
「ようこそいらっしゃいました。大主教猊下」
リラはお腹の前で手を組み、深々とお辞儀をした。私もリラに合わせて一礼した。
「大儀です。面を上げなさい」
ヴァネッサの言葉を受けて、私はゆっくりと頭を上げる。ヴァネッサの表情は硬く、無の表情が仮面のように貼りつけられているようだった。
「久しいですね、リラ」
ヴァネッサはリラの顔を見遣ると、表情を変えないまま少しだけ口元を緩めた。
「私の名前を憶えて頂けているとは、光栄です」
「あなたの献身はわたしの耳にも届いております。今後も精進なさい」
「はいっ! ありがとうございます!」
リラは感情を抑えられなかったのか、大きな声で応じた後、深々と頭を下げた。
「……ただ少し、余計なものも混じっているようですが」
ヴァネッサは私を横目で見ると、深々と眉を寄せて言った。
やはり、相当嫌われているらしい。
「今の私は一介の修道士ですよ。大主教猊下」
「……まあいいでしょう。今はそういうことにしておきます」
ヴァネッサは舌打ちこそしなかったものの、明らかに棘があるとわかる口調とトーンで吐き捨てるように言った。
そうしてヴァネッサが視線を外すのと入れ替わりで、背後に控えていた女性が前に歩み出た。彼女はヴァネッサの横に立ち、私の姿をまっすぐ見据える。その表情からは何の感情も読み取れなかった。
ヴァネッサはその女性に視線を遣ると、一つ息を吐いた。
「……一応、あなたにも紹介しておきます」
従者の行動が意外だったのか、ヴァネッサは少し嫌そうに口を開いた。
「彼女はシンシア。わたしの身辺を警護してもらっています。さあ、ご挨拶を」
ヴァネッサの紹介を受けて、その女性――シンシアは一歩前に出た後、目を瞑って黙礼した。
少しの間無言が続いたところで、いつの間にか私の順番になっていることに気付き、慌てて話し始めた。
「ええと、初めまして。私はカノンと申します。以後、お見知り――」
言い終わる刹那、シンシアが腰の剣に右手を掛けるのが見えた。私は思わず両足に力が入り、全身が警戒態勢に移行するのを感じた。
私が背中のナイフに手を伸ばすのと、シンシアが動いたのは同時だった。
シンシアは一気に剣を抜くと、そのまま私に向かって駆け出した。私は咄嗟に後ろに跳び、勢いよくナイフを引き抜いた。
視線を遣ると、シンシアが剣を振りかぶっているのが見えた。迷いがなく、素早い動き。既にシンシアからは隠せないほどの殺気がほとばしっていた。
そして、まもなく振り下ろされた一閃は、まごうことなく私を狙ったものだった。
私は咄嗟にナイフを振りかぶり、振り下ろされる剣の方向に合わせて刃を払った。金属の接触音と共に軌道が逸れた切っ先は空を切り、地面に突き刺さった。
私はすぐさま後ろに跳んで距離を取り、ナイフを逆手に構える。シンシアは地面に剣を刺したままの姿勢で固まっていた。
「……なるほど。さすがに、やる」
そこでシンシアは初めて口を開いた。強烈な殺気とは裏腹に、淡々とした口調だった。
「あなたこそ、とんだ暴れ馬ですね」
私はナイフを構えたまま、皮肉っぽく応じた。
「いきなり斬りかかった挙句仕留めそこなうなど、護衛としての程度が知れるというものです」
「……そこまで言うなら、試してみるか?」
シンシアは少し語気を強めながら、地面に刺さった剣を抜いた。そして剣の先を私に向けて突き出し、威嚇するように一度素早く振った。
「――そこまでにしておきなさい」
その場にヴァネッサの声が響き渡ると、シンシアは急に背筋を伸ばし、抜き身となった剣を元の鞘に戻した。
シンシアの行動を受けて、私もナイフを背中の服の下に戻した。
「わたしの護衛が失礼を致しました」
「……っ! ヴァネッサ様っ!?」
ヴァネッサが私に向かって頭を下げると、シンシアは露骨に動揺を見せた。
「この者はヴァネッサ様の敵なのでしょう!? それなら――」
「シンシア。信仰とわたしに忠実なのはあなたの良いところです。ですが――」
動揺するシンシアに向かって、ヴァネッサは強い口調で言った。
「今はその時ではありません。ここで揉め事を起こすのは、わたしの本意ではありません」
「し、しかしっ!」
「シンシア、これ以上わたしに頭を下げさせるつもりですか?」
ヴァネッサの刺すような視線と言葉を受けて、最初は抗議していたシンシアも両の拳を強く握り締めながら、「……承知致しました」と絞り出すように言った。
それを受けて、ヴァネッサは私に向き直った。
「カノン。あなたの彼女に対する侮辱は、彼女の無礼を持って見逃しましょう」
「……私は一向に構わないですが、そちらの方は納得していないようですよ?」
ヴァネッサの謝罪を受け入れながらも、私は全身の警戒を解けないままいた。一応は主の言葉を受け入れた従者が、未だに私を強い目で睨んでいたからだ。全身は見るからに強張っており、主人からの一言があれば今すぐにでも襲い掛かってきそうな、そんな雰囲気があった。
「……はあ。仕方ありませんね」
ヴァネッサはシンシアと私を交互に見遣った後、溜め息交じりに言った。
「シンシア。あなたはここで待っていなさい。視察は、わたし一人で行います」
「ヴァネッサ様! それは危険です!」
ヴァネッサの言葉に、シンシアはすぐさま抗議の声を上げた。
「どこにお命を狙う輩がいるかわからないのです! まして、そのような者がいる中にあなた様をお一人でやるなど!」
「あなたがわたしを思い、気が気でなくなっているのは重々理解しております」
ヴァネッサは、聞き分けの悪い子供を諭すような口調で言った。
「だがそれはわたしも同じです。ちょっと目を離した隙にそのような者にまで斬りかかろうとする人間がいては、わたしも本来の視察に集中できません」
「ヴァネッサ様!」
「シンシア。あなたの『役目』を思い出しなさい」
「それは……! ……はい、わかりました……」
シンシアはうなだれるように頷くと、そのままヴァネッサの後ろに下がった。不承不承、という感じだったが、不満と言うよりはどこかもの悲しさを感じさせるような、そんな姿だった。
「さて、お時間を取らせましたね。さあ、参りましょうか」
シンシアの様子には目もくれず、ヴァネッサは私とリラを見遣りながら言った。
「……承知致しました。それではリラ、ご案内を」
「えっ? あ、はいっ!」
私に声を掛けられて、リラははっとしたように言った後、ヴァネッサを促しながら歩き始めた。ヴァネッサは特に表情を変えず、無言のまま後ろに続いた。彼女の背中を守るように、私がその後ろを歩いた。
途中、一度背後を振り返ったが、シンシアは変わらず、うなだれたままの姿勢だった。
――私も、前にリズ様に突き放された時はあんな感じだったのだろうか。
内心、少しだけ親近感を覚えながら、私は正面に視線を戻し、この後の動きに頭を切り替えた。




