リラの思い、フランの決意
「どうか、フランの件から手を引いて下さい!」
リラは私に向かって深々と頭を下げる。真に迫るような、必死の訴えにも聞こえた。
私は、思わず拳を握る右手に力が入る。正直なところ、それは想定された内容だった。リラから呼び出しを受けた時点で、おそらくそういう話なのだろうと思っていた。
そして、その訴えに対する回答も、既に決まっている。
私はリラにゆっくりと歩み寄った。目の前まで来たところで私が彼女の肩に手を掛けると、リラは恐る恐る顔を上げた。私を見上げるリラははっとした表情を浮かべ、その目には薄っすらと涙が光っていた。
まるで祈るような表情のリラに向けて、私は言った。内心、彼女に詫びながら。
「リラ、あなたは少し勘違いをしています」
リラは私の言った言葉の意味がわからなかったのか、目を丸くして呆気に取られたような顔をした。
「……勘違い、ですか?」
「私が手を引いたところで、フレア様の不正行為は無くなりませんよ」
私の言葉に、リラは少し表情を固くした。それはわかっている、わかった上での発言だと、言っているかのようだった。
「フランの言っていることが正しいとしたら、という前提ですが、悪事というものはいつか必ず露見します。それは明日かもしれないし、五年後や十年後、もしかしたら私やあなたが死んだ後かもしれません」
「……ここであの方を見逃すのは、問題の先送りにしかならないと?」
「そうは言っていません。リラの言う通り、これは解決するべき問題ではないという可能性もあります。ただ、私が目を瞑っても問題は無くならない、ということです」
「……カノン様は、そこに問題がある、というご認識なんですね」
リラは、やや溜め息交じりに言った。失望というよりは遺憾、という反応に見える。
私は首肯しながら、言葉を続けた。
「あなたは問題なんてないと仰いましたが、私は違うと思っています。というより、問題は既に起きているのです」
「……詳しく、教えて頂けますか?」
「まず、ナズナやヨルは思い悩んでいるでしょう。フランもまた孤独に苛まれております。フレア様だって、何をどういう意図で資金の流用に手を染めているかはわかりませんが、何かしらの理由があっての行いでしょう。それが私欲によるものか、献身によるものかはともかく、ね」
「…………」
「そしてリラ。あなたも例外ではありません」
「わ、私は、別に……」
私が言うと、想定になかったのか、リラは少し動揺したように言った。
「私はただ、今のままが良いと、そう思っているだけでございます……」
「仮に私がここで目を瞑っても、これから様々な方が修道院を訪れ、そしてフランに関わるでしょう。その度に、あなたは同じことを言い続けるのですか?」
「……私の、居場所を守るためであれば」
「なるほど。では聞き方を変えましょう。……あなたは、フランが今のままで良いと、そうお考えですか?」
「それは……!」
リラは言いかけたところで、その言葉を飲み込んだ。
「リラ。現状を維持することは、現状を追認することに他なりません。そうなれば、フランは今のまま、仲間と不協和音を鳴らしたまま過ごすことになるでしょう。あなたはそれでも――」
「し、しかし! お言葉ですが!」
私の言葉を遮って、リラは叫んだ。
「フランが人と関われないのは、調査の対象が誰になるかわからないからです! 調査さえやめてくれれば、きっとみんなで――」
「リラ。そうはならないんですよ」
リラの必死とも言うべき説明に、今度は私が口を挟んだ。
「フランが調査をやめたら、少なくともしばらくは今の関係性が維持されるでしょう。しかし、フランはもう後には引けないんですよ。何故なら、彼女は既にフレア様の行いを知ってしまったから」
「しかし、それもいずれは……」
「確かに、表面上はうまくいくかもしれません。ナズナやヨルとの関係も修復されるかもしれません。しかし、フランは自身が知ったことを、一生抱えながら過ごさなければならないんですよ。誰にも言えず、誰にもわかってもらえない、重い秘密を」
「…………」
「それでは、フランが救われない」
私の言葉を、リラは無言で受け止めた。うなだれるように顔を伏せ、ランプを持つ右手が微かに震えていた。
おそらく、彼女も薄々わかっていたのだろう。自分のわがままが、フランを袋小路に追い込むということを。
「……カノン様」
うなだれたまま、リラは口を開いた。
「……私は、一体どうすれば……」
「道は一つでしょう。フランにはこのまま調査を続行させる、これしかありません」
私が言うと、リラは目を見開いた。その表情からは、動揺の色がありありと浮かんでいた。
「そして、フランに真実を暴いてもらう」
「カノン様! それでは……!」
「暴いた秘密をどうするかは、フランやあなた次第です。そのまま握り潰すも良し、訴えを起こすのも良しです。必要なら、私を使ってもらっても構いません。私も、上の方には少しばかり顔が利きますので」
「…………」
「いずれにしても、それは全てを知った後でのことです。知らなければ、判断できないのです」
私が言った後、リラはしばらく無言だった。両手を固く握り、目を閉じて、うなだれるように顔を伏せていた。
やがて、リラはゆっくりと顔を上げた。その顔には先程までの動揺はなく、何かを決意したようだった。
「……わかりました、カノン様。……残念です」
「どうします? 私を殺しますか?」
「まさか。私ごときにカノン様をどうこうできるわけありませんから」
小さく笑うと、リラはわざとらしく肩を竦めた。
それから、リラは私の横を歩いた。すれ違い様、リラは何かが吹っ切れたように言った。
「カノン様は、カノン様の思うようにお動き下さい。もうフランと関わるなとは申しません」
「……そうですか」
私はリラの方を見ないまま、短く答えた。
最後に、リラは一言呟いた後、その場を立ち去った。
「私も、私の思うように動きますので」
*
「遅かったね」
リラと別れた後で自室に戻ると、部屋の中でフランが立っていた。夕食の後、私の部屋でフランと会う予定になっていたのだった。
フランはいたずらっぽく笑いながら、入室してきた私を見ていた。
「すみません、少しばかり雑務をしていましたので」
私は軽く頭を下げながら、フランに一つのパンを手渡す。夕食の献立にあったライ麦のパンである。もちろんこれだけでは足りないだろうが、本格的な食事の前のつなぎ程度にはなるだろう。
「……リラと何か話したの?」
私からパンを受け取りながら、フランは何でもないことのように言った。
「……見ていたんですか?」
「いや、ぼくの部屋から離れに向かう二人の姿が見えただけだよ」
そう言って、フランはパンを小さくちぎって口の中に入れた。もぐもぐと何度か咀嚼した後で、急に真面目な顔になった。
「たぶん、ぼくのことだよね?」
「……リラから、あなたと関わるのはやめて欲しいと言われました」
そこまで推察されているのであれば隠す必要はない。そう思った私は、正直に話の内容を打ち明けた。
「まあ、そうだろうね。リラはぼくに調査をやめて欲しいみたいだから。口には出さないけどね」
フランは特に驚いた様子もなく、引き続きパンを口に運びながら言った。
「それで、カノンさまはどうするの?」
「どうもしませんよ。これまで通りです」
「そう。ぼくも、同じだよ」
フランは半分ほど残ったパンに噛り付いた。リスのように口いっぱいにパンを頬張りながら口を動かした。
しばらく時間をかけて口の中身を飲み込んだ後、満足したように一息吐いた。
それから、にやりと笑って言った。
「ぼくは、必ず真実を突き止める。たとえ、どんな結果が待っていようとも」
「フラン……」
「けど心配しないで。カノンさまを巻き込むつもりはないから。訴えも、ぼくがやる。他の人ならともかく、あの潔癖な大主教さまなら話ぐらいは聞いてくれるかもしれない」
「それなら、何故私に打ち明けたのですか?」
「……何でだろうね。知っておいて欲しかったから、かな?」
そうして、フランは少し冗談めかしながら、にやりと笑って言った。
「ぼくという人間が、フランという修道女が、間違いなくここにいたということを、ね?」




