真実の扉
夕食後に声を掛けてきたリラは、私を修道院の離れに連れて行った。
「ここなら、誰にも聞かれずに話ができます」
修道院の離れは、言わば雑多な場所である。普段使いしない道具や大きな農工具などを格納する物置小屋や、修道院の水源を支える井戸、それに井戸が近いこともあって汚れが伴う作業スペースとしても利用されており、たとえば豚や鶏といった動物の血抜きなどが行われているとのことだった。
離れにはヨルの農作業を手伝う際に一度だけ立ち寄ったことがある。その時も、食堂や寝室といった居住スペースからはかなりの距離があり、辺りを鬱蒼とした雑木林で囲まれているため、滅多に人が出入りすることはないという説明を受けていた。
リラからも、基本的にここに来る者は誰もいない、日中に水を汲む担当か、農作業で道具や水を使うヨルぐらいだと教えてくれた。
そもそも、本来は夜間の外出——修道院の建物から出ることは固く禁止されている。謹慎明けにまた規則破りとは、私も悪くなったものだと思った。
「率直に申します。フランの件から手を引いて下さい」
リラは、私の目をまっすぐ見据えた。手に持ったランプの灯りが、その真剣な表情を照らしていた。
「……理由をお聞きしても?」
私は何をについては明言せず、敢えて曖昧に聞き返した。
「ご存知の通り、フランは体調が悪いわけでも、何か疾患を抱えているわけでもありません。また、ナズナとヨルとの関係も、致命的に悪いわけではありません」
「ですが、問題はあります」
「多少のわだかまりはあるでしょう。しかし、お互いにすれ違っているだけで、そこに怒りや、憎しみなどはありません」
リラは淡々と述べる。言っている内容自体は私もそれほど違和感は無い。ナズナやヨルはフランのことを気遣っているし、フランもまた彼女たちについて悪く言うことはない。「すれ違っているだけ」というのは、私も同感だった。
「それでは、リラには解決できると?」
私は敢えて、意地が悪い言い方をした。
「これまで解決できなかったあなたに、フランの問題が解決できると?」
「いえ、私には無理です」
私の皮肉っぽい言い方に、リラは正面から応じた。
「そしてそれはカノン様も同様のはずです。はっきり申しましょう。カノン様にも、彼女の問題は解決できません」
「……やってみなければわかりませんよ?」
「聡明なあなたであれば、既におわかりのはずですが?」
私は質問に答えなかった。無言のまま、リラの言葉を待った。
「そもそも、解決できなくて当然なのです。そこに問題などないのですから」
「リラ、やはりあなたは……」
「はい。フランの調査のことは、私も存じております」
そこでリラは、決定的な言葉を口にした。同時に、リラが関係性を明かしたことで様々なことに合点がいくようになった。
「実は私も、カノン様と同じくフランの問題解決を託されておりました。フランが何か悩みを抱えていて、修道院の中で孤立しているから、彼女の話し相手になってやって欲しい、と。今からおよそ半年前のことです。その時点で、フランは既に調査を始めていました」
フランが調査——修道院長フレアの資金流用について調べるきっかけについては、私も先日本人から聞いていた。
フランは資料室の司書として書物の整理や目録の作成を進める傍ら、修道院の収支を記載した帳簿の管理も行っていた。帳簿管理にあたっては細かい数字とにらみ合う必要があるので、普段の読書で鍛えた集中力と忍耐力を持つフランが適任だった。
ある時、フランは帳簿の数字が合わないことに気付いた。
と言っても、見た目の収支は合っており、必要な領収書なども存在している。書類上は何も問題がなく、また矛盾も存在しなかった。
しかし、毎日のように細かい書類と向き合って来たフランは、帳簿上の小さな違和感を敏感に察知した。
それは、修道院の収入額だった。
修道院は巡礼者の献金や地域有力者からの寄進の他に、修道院が保有する土地の地代収入がある。広大な土地の権利を持つ修道院では、地主と同じく土地を地域の農民らに貸し出し、その対価として地代収入を受け取っていた。
フランは、その地代収入の額が月によって大きく変動していることに気付いた。
土地の対価を農作物で受け取っていた時代であれば、豊作・凶作によって納める量が大きく変わることはあっただろう。しかし、通貨で支払う時代となった今日では、地代はほぼ固定の金額であり、誤差程度の違いはあっても月毎に大きく上下することは考えにくい。
また、問題無いと思われていた領収書の中にも、宛名がおかしいものや、品目が曖昧なものが確認できた。
これらの状況証拠をもって、フランは院長フレアに対する疑いを持った。
フランは調査の中で誰が味方かわからなくなり、人間不信に陥った。
食事の場など、表舞台に出なくなったのは、それが理由だろう。
「フランの調査について知ったのは偶然でした」
リラはフランの悩みを知ろうと、正面からの聞き取りや、裏からの動向調査を行っていた。
そんな中、リラはフランが資料室でフレアの汚職に関して証拠を集めている現場を目撃する。
「現場を見られて、フランは動揺していました。自分は終わったと、そんな言葉が顔に書いてあるようでした。けれど、それは目撃した私も同じでした。まさか、あの清廉潔白な院長がそんなことをしているなんて」
動揺する頭の中、咄嗟にリラはフランに向けて言った。
——大丈夫、誰にも言わないから!
そしてリラは、フランの秘密を秘匿するだけに留まらず、彼女の行動を支援する側に回った。
リラはフランの「悩み」解決に取り組んでみせる一方で、フランの行動を黙認した。あの日、私が資料室に入るのを渋ったのは、だらしないフランを見られるのが恥ずかしいというのもあったかもしれないが、調査の現場を押さえられるのを嫌がったためだと言える。
一方のフランも、リラという理解者を得られたことは非常に心強かっただろう。周囲が全員敵に見える中で、リラの存在は暗闇の中に差す一筋の光にも見えただろう。
「それではリラは、フレア様が何をしているかご存じなのですか?」
私が問いかけると、リラは首を振った。
「詳しくは知りません。ただ、私利私欲のために資金を流用するようなお方ではありません。それは、カノン様にもおわかりのはずです」
それについては同感と言わざるを得なかった。
フレアは慈愛に満ちた公明正大な人物。それが私の感想だった。少なくとも、自分の利益のために修道院のお金を懐に入れるような人物には、到底見えなかった。
「私は、フレア様にも、フランにも、どちらにもいなくなって欲しくなかった。なので私は見守ることにしました。幸い、フレア様はフランのことを一切疑っている様子はありません。また、フランが何か証拠を掴んだとしても、『教団』の上層部が一介の修道女の告発を真に受けるとは思えません。どうせ、握り潰されるのがオチです。フランも、訴える方法がないとわかればいずれ手を引く。そうすれば元通り。そう思っていました」
状況は奇妙なバランス状態にあった。フランの孤独と引き換えに、ではあるが。
しかし、そこにイレギュラーな存在が現れた。
「そこにやってきたのが、カノン様、あなたでございます」
リラの表情は読めなかった。淡々としているようにも、憎しみがランプの灯りで反射しているようにも見えた。
「いくら修道女の訴えでも、ナンバーズのあなたが関わっていると知れば、『教団』としてその訴えを無視できない。それまで不可能だった、訴える方法ができてしまった」
「…………」
「フランは、病気なのです。真実を知らなければならないと思い込む、毒に侵されているのです」
リラは私に向かって、懇願するように言った。
「お願いします! カノン様が協力さえしなければ、フランの病気は成就することはないのです! どうか、フランの件から手を引いて下さい!」




