資料室のネズミ
「資料室、でございますか……?」
翌日、朝食を終えて部屋に戻った私は、リラに一つ相談した。
「はい。修道院には貴重な資料も多く保管されていると聞きます。この機会に少し拝見できればと思ったのですが」
修道院に滞在して二日目だが、早くも私は手持ち無沙汰になっていた。これまではリズを始めとして誰かしらと一緒にいることが多く、また元々個人での楽しみ方を知っている方ではないので、今回のように静養に努める時にやるべきことを持ち合わせていなかった。かと言って、暇であることを理由に修道女としての仕事があるリラたちをいつまでも拘束しているのは忍びない。
そこで私は、修道院の資料室に目を付けた。
修道院は教団のみならず、国家や都市の歴史資料保管の責務も負っている。大抵、資料室ないしはそれに類する部屋はあるであろうと踏んでいた。私の世話を担当してくれているリラにとっても、下手に動き回られるよりはどこかの部屋で大人しくしてくれていた方が安心だろう。
「そうですか……資料室……うーん」
しかし、リラは歯切れが悪く、はっきりと難色を示した。
「ああ、もちろん書架の公開が禁止されているのであれば無理にとは言わないのですが」
「いえ、禁止はされていない、のですが……」
否定はしつつも、やはりリラは煮え切らない態度だった。真剣な顔で、何やらぶつぶつと呟きながら考えを巡らせているようにも見えた。
そこまで悩むぐらいなら遠慮しよう。そう思った矢先、リラが意を決したように言った。
「――承知致しました。ご案内、致しましょう」
「あの、無理はしなくて大丈夫ですので……」
「無理ではございません。せっかくのカノン様からのお申し出なのです。可能な限りお応えするのが、私の務めでございます」
力強く言った後で、リラは私の案内を始めた。
なるべくリラたちの手を煩わせず、ついでにちょっとした暇つぶしになるかと思ったのだが、余計に負担をかけてしまったのかもしれない。
自分の判断に少し後悔しつつ、私はりらの後ろに付いて歩いた。歩きながら、リラは終始無言だった。時折ぶつぶつ呟きながら、何かを考えているようだった。
資料室は寝室がある建物の一階部、その奥まったところにあった。
「それでは、カノン様はここで少しお待ち下さい」
資料室の目の前に立ったところで、リラが言った。
「それは構わないですが、何故ですか?」
「申し訳ありません。もしかしたらネズミがいる可能性がございますので」
「? ネズミぐらいは特に気にしませんが……?」
「とにかく。少しだけお待ち下さい。すぐ、戻りますので」
有無を言わさぬ言い方で、リラは疑問を封じると、部屋の中に入っていった。
リラの背中を見送った後、資料室のドア横の壁に背を預けながら、少し思考を巡らせる。
あれは、何かを隠している時の顔だ。少なくとも、本当にネズミがいるわけではないだろう。それは確実だった。
しかし、それなら私をここで待たせる必要はない。見せたくないのであれば、単に入れなければいい。ただそれだけのことだ。
そうなると、この先にあるのはあくまで文字通りの見せたくないもの、つまり、見られても支障はないが、単純に困るようなものだ。その例で考えられるのは、たとえば何か恥ずかしいもの、などだ。
しかし、資料室にある恥ずかしいものとは一体何だろうか。
繰り返しになるが、嫌なら下手に案内したりせず、素直に駄目だと言えば良い話だ。その点、リラの言動と行動には明らかな不一致が見られる。
思考がループし始めたところで、リラが入った後のドアを眺める。リラが入ってから、少しだけ時間が経っている。待っているように言われたものの、中で何をやっているかはすごく気になる。
ただそれでも私はよそ者なので、修道院の作法があるなら従う他ない。
そう思いながら、もう少し待つ決断をした、ちょうどその時だった。
部屋の中から、短く甲高い悲鳴が聞こえた。若い女性――リラのものだった。続けてどさどさっと何かが床に落ちる音が響く。
「リラ!」
私はすぐさまドアを開き、真っ暗の室内に向かって叫んだ。部屋の中からは返事がない。
私は部屋に入り、壁に手を付きながら中を歩いた。室内は暗く、入り口から差す光より奥は見通せない。貴重な資料が置かれていることも十分考えられるので、私は目を凝らしながら、慎重に先を急いだ。
立ち並んだ本棚の向こう側で、仄かなランプの明かりが灯っているのが見えた。私は歩く足を早めた。
「大丈夫ですか!?」
本棚の向こう側を覗きながら、私は叫んだ。視線の先には、ランプに照らされて、修道服の女性が倒れている。その周辺には本が散らばっており、何冊かは女性の身体の上にも乗っていた。
服装を見て一瞬リラかと思ったが、背丈も髪型も異なっている。おそらく別人だろう。
「……カノン様……」
そう思った直後、奥から声が聞こえる。目を向けると、部屋の床に割座で座るリラの姿が、ランプの光に微かに照らされていた。
「声が聞こえましたが、ご無事ですか?」
「は、はい。私は大丈夫です。ですが……」
そう言って、リラは目の前で倒れる女性に目を遣る。
「この方は一体……いえ、話は後ですね。とにかく外に連れ出さないと」
「いえ、それには及びません」
「えっ?」
それはどういうことか。聞き返そうとしたところで、リラは倒れている女性に身体を寄せた。
そして、おもむろに頬を叩いた。手加減などなく、ぱんときれいな音が室内に響いた。
「リ、リラ?」
「ほら、さっさと起きなさい! フラン!」
そう言って、リラはもう一度、その女性の頬を叩いた。
これも反応がない。そう思った直後、女性の身体がもぞもぞと動き始めた。
「んっ……」
女性は一つ呻き声を上げたかと思うと、ゆっくりと身体を起こした。それにより、彼女の上に乗っていた本がばらばらと床に落ちる。
「……ああ、リラ。おはよう」
フランと呼ばれた女性は、少しずれたメガネを直しながら、ゆっくりとした口調で言った。
「おはよう、じゃありません!」
それに対して、リラは強い口調で言った。
「資料室で寝るなと、ちゃんと自分の部屋で寝なさいと、いつも言っているでしょう!」
「だって、つい忘れちゃうんだもの」
「だってじゃありません! それに、今はお客様がいらっしゃっているんですよ!」
リラの言葉を受けて、フランはようやく私の存在を認知したようで、ちらりと視線をこちらに向けてきた。
「……へえ、あなたがナンバーズさまねぇ」
納得したように言うと、フランは口角を上げてにやりと笑った。
「はぁ……だから資料室はあまりお見せしたくなかったのに……」
リラは頭を掻きむしりながらぼやいた。
なるほど。彼女の言う「ネズミ」とは、資料室に巣食う修道女のことだったのだ。
「……もういいわ。こちらは昨日からこの修道院に滞在なさっているカノン・アルカナ様です。フラン、あなたもご挨拶なさい」
「ほーい」
そう言って、フランはゆっくりと立ち上がり、全身の服に付いた埃をぱんぱんと払った。
「そんじゃ、改めまして。ぼくはフランって言いまぁす。この修道院では主に資料室の司書を担当してまぁす。本のことならお任せ下さいな。よろしく〜」
やや間延びした口調で言い終えると、フランは呆気に取られる私の手を取り、両手で握った。
「カノン様に向かって何という……」
視線の端では、リラが頭を抱えていた。




