礼拝
ちょっとした野暮用を済ませた私たちは、改めて大聖堂で礼拝をすることにした。
「……大丈夫でしょうか?」
再び大聖堂に至る道を歩きながら、ガロ婆に向かって言った。
「私は、大主教にだいぶ嫌われてしまっているようですが……」
「なに、気にすることはあるまいて」
ガロ婆はかっかと笑いながら言った。
「ヴァネッサは敬虔な宗教指導者じゃて。奴の前で神を冒涜するようなことをしない限り、向こうも滅多なことはせんはずじゃ」
「それなら良いのですが……」
そう言いながら、あの時自分に向けられた大主教――ヴァネッサの視線を思い出す。
あれは、生半可な恨みでは片付けられない、恐ろしさすら覚えるものだった。
「それより、お前さんは本当に覚えがないんじゃな?」
「ええ。もちろんです」
私は首肯して続ける。
「いくら何でも、一度会った人間を忘れるなんてあり得ません。まして、あれだけ恨まれている相手のことを」
「ふむ。確かにのう」
ガロ婆は顎に手を当てて少し考えるように少し沈黙する。
それから、気を取り直すようにほっほっほと笑って言った。
「まあ、考えても仕方あるまいて。何かあれば向こうから仕掛けてくるじゃろうよ」
「私は別に仕掛けられたくはないのですが……」
話しているうちに、大聖堂の正門前に到着する。今度は先程のような人だかりはできておらず、入り口は空いていた。
「ところでお前さん、礼拝の作法は大丈夫かえ?」
「問題ありません。一応、私も『教団』の聖職者ですので」
「ふむ。そうじゃったな」
にやりと笑うガロ婆を尻目に、私はコートのフードを下ろし、大聖堂の門の前に立った。ガロ婆の先を歩いたのは、後からガロ婆の見よう見まねで切り抜けたと思われたくないという、小さな見栄のためだった。
門の前で、無言で祈りの言葉を呟いた。発声はしない、口だけ動かすもので、あまり形式ばらない簡易的な祈りの儀式である。
それから私は門を潜り、建物の中に足を踏み入れた。建物内は広い身廊が広がっており、奥には祭壇と、外から差し込む太陽光で輝くステンドグラスがあった。通路の脇には火が灯った蝋燭と木製の長座席が並んでおり、まばらに老若男女様々な巡礼者が座り、両手を握り締めて一心不乱に祈りを捧げていた。
そんな彼ら、彼女らの姿を横目に見ながら、私は中央の通路をゆっくりと進んだ。床は石製で、赤い絨毯の上からでも足を踏み締める度にコツコツと足音が鳴った。
しばらく歩き、祭壇の前まで来たところで、私は床に膝をつき、両手を胸の前で握り締めた。それから目を閉じて、誓いの言葉を述べた。
「――すべては、我が父のために」
少しの間を置いてから目を開けたところで、祭壇を見上げた。祭壇には木製のテーブルがあり、その上に棺が置かれていた。我が「教団」、パクス・リュミエール教団において棺は再生の象徴であり、奇跡の顕現でもあった。その棺の向こう側で、女性の司祭が目を閉じて棺の上に手をかざしていた。聖遺物である我が父の遺骨が納められているとされる棺に向かって祈りを捧げる者に祝福を与える儀式の一つである。
私は祭壇に目を向けたまま数歩後ろに下がり、振り返ってここまで来た通路を戻り始めた。私の横を、同じく祭壇に祈りを捧げようとする巡礼者の列が通り過ぎる。
入り口を抜けたところで、眩しい光が戻り、思わず目元に手をかざした。
「お疲れ様です。こちらへどうぞ」
そこに、入り口の横でテーブルを構え、その向こう側に立つ修道士から声を掛けられた。
私は無言で荷物袋から印刷された紙の巡礼証明書を取り出して修道士に手渡した。修道士は慣れた手付きで紙に印章を押すと、その証明書を私に戻した。巡礼証明書は文字通り巡礼したことを周囲や地元の教会に対して証明するための書類であり、経由地やコロンのような聖地で証明の印章を押してもらって完成する。私の場合、巡礼はあくまで名目なので必ずしも必要ではないが、これも何かの縁ということにしておこうと思う。
「ほっほっほ。まだ若いのに見事なものじゃったぞい」
私のすぐ後ろで、ガロ婆の笑い声が聞こえた。
「……ありがとうございます」
私は振り向きながら、素直に応じた。見ると、ガロ婆も私と同じく、巡礼証明書に印章をもらっているところだった。
「それで、先程話されていましたが」
私は歩きながら、ガロ婆に話の続きを振った。
「彼女――ヴァネッサ・レーンでしたか。彼女も私やあなたと同じ?」
「そう。奴もナンバーズじゃ。正確には元、じゃがな」
ガロ婆は杖を突きながら、私の横に並んで言った。
「何かの事件をきっかけに降格させられたと聞いておるわい。ナンバーは、確か十じゃったかな?」
「降格、ですか……」
降格という言葉に、胸の奥がずきりと傷むような感覚が思い出される。
それにしても、ガロ婆はナンバーズのことを色々知っている。
いや、知り過ぎていると言っても良い。
私は、ふと気になったことを口にした。
「……ガロ婆は、私のことをどこまで知っているのですか?」
「何も知らぬよ。肝心なことは何も、ねぇ」
ガロ婆はひっひっひと、意味ありげに笑った。
「お前さんについて知っていることは、カノン・アルカナという名前。ナンバー十三という肩書き。そして冒険者リズペットの従者ということぐらいじゃ。ナンバー二だった頃も、カンナという名前だった時も、あたしはよく知らぬよ」
「通常、他ナンバーズの情報は伏せられます。なのに、あなたは知り過ぎている」
「それはあたしが隠居してやることがないからじゃよ」
ほっほっほと笑いながら、ガロ婆は続ける。
「茶を飲みながら人の噂話を聞くぐらいしか、やることがないんじゃて」
「そういうものですか……」
個人的には、「誰の」噂話を聞いたらナンバーズの情報を得られるのか、というところが気になるのだが。
「詰まるところ、他人にどれだけ関心があるか、ということじゃよ。お前さんが何も知らぬというのなら、お前さんがそこまで関心を持たなかったということじゃ」
それは、その通りかもしれない。
かつて私は、自分の主人について何も知らないまま、盲目的に付き従っていたことがある。彼女が何者で、何を考えているか。彼女に従う上で、それらは不要な情報だと切り捨てていた。
いや、それは今の主人――リズに対しても同様だ。
私は、リズペット・ガーランドという人物のことをよく知らない。
彼女の人柄はわかっていても、彼女が何者で、どこから来たのかはわからない。
同じナンバーズでも、たとえばノアはかなり広い情報を保有している。それはノア自身がギルドマスターという立場にあることも一因だろうが、彼女自身が様々な情報――たとえば同僚の名前や素性に関心を持っていることが大きいだろう。また、関心の強さで言えば私を「先輩」と仰ぐルーチェは、私に関することだけやけに詳しかったこともあった。
彼女たちに比べると、私はあまりにも他人に対して興味がないと言わざるを得ない。
「じゃがのう、カノンよ。あたしは何も、それが悪いことだとは思わんよ」
ガロ婆はこちらを見てにやりと笑った。
「情報を持ち過ぎることが判断を迷わせることもある。知らぬ方が良いことまで知ってしまった者の結末が惨劇である例など、枚挙に暇がないわい」
「しかし、知らなければ結末がどうだったかを知ることはできません」
「ほっほっほ。否定はせんよ」
ガロ婆は笑いながら、おもむろに立ち止まった。それから振り返って、私の方を見た。
「お前さんに、全てを知る覚悟があるのならな」
「……私は」
「――おっと、大事な答えは胸の中にしまっておくもんじゃよ?」
言いかけた私を制して、ガロ婆はかっかっかと笑う。
やはり、食えないお人だと思った。
「それはそうと、お前さんは修道院に用があるんじゃったな?」
閑話休題と言わんばかりに確認した後、手に持っていた杖をある方向――この先にある十字路の右側に向けて突き出した。
「ほれ。この道を曲がって進んで、突き当たりにあるのが修道院じゃ。目立つ建物じゃからすぐにわかると思うぞい」
私はガロ婆が指し示した杖の方向に目を遣った。その先にはいくつかの小屋が並んだ奥に、一際大きな建物が立っているのが見えた。その佇まいは、事前に調べてきた修道院の特徴と一致するものだった。
「わかりました。ありがとうございます」
私はガロ婆に向かって頭を下げた。
「ガロ婆のおかげで、道中安全に過ごせました」
「ほっほっほ。あたしも若い者と話ができて楽しかったぞい」
「それで、ガロ婆はこの後どうされるので?」
「あたしもこの辺りにちょいと用事があってな。少しばかり滞在する予定じゃて」
「では、またお会いできると良いですね」
そう言って、私は右手を差し出した。
「我らが父なる神の思し召しがあれば、すぐにまた会えるじゃろうて」
ガロ婆は私の手を握り返し、にやりと笑った。




