第6話:マリノ王国の姫 ― 面倒な縁の始まり ―
初めてドラゴンを倒してから数日。
異世界で生きていくか、元の生活に戻るか――俺は揺れていた。
刀で肉を裂いた感覚。絶叫。飛び散る血しぶき。
あの光景は今でも鮮明に思い出せる。
「普通の生活に戻るなら今しかない」――そう考えては打ち消す。
理由は単純だ。
叶うはずがないと思っていた夢が叶ったのに、ここで引くなんてもったいない。
だが、このまま力を使い続けて王にでもなれば、もう二度と元の生活には戻れない。
悩んだ末の答えはこうだ。
この間稼いだ金で、城に家具や調理器具、着替えを揃える。
つまり――俺は異世界での生活を続けることを選んだ。
* * *
白のYシャツに着替え、数日ぶりに異世界へ転移する。
「昼過ぎなのに寒っ。……この格好は無理があるな。コートは現地で買うか」
日本とこっちの世界の時間は完全に同期しているらしい。
あの駄女神……絶対そのへんも勝手に弄ったな。便利だから助かってるけど。
「今日は城の模様替えの予定だったけど、まずは散歩でもするか」
そう呟き、城以外は森しかない土地を歩いていると、洞窟が見えた。
「ん? 森だけかと思ってたけど洞窟もあるのか。どうせすぐ行き止まりだろうけど、覗いてみるか」
軽い気持ちで近づいた洞窟の入口には――
「…………」
「…………」
「…………」
武装した見知らぬ三人組。剣を構える男、杖を持つ女、レイピアを握る女。
しかも全員、俺に敵意むき出し。
(やば……どうする? 逃げても城が近い以上、また会うかもしれないし。話すしかないか)
「あ、あのー……ここで何を?」
「…………」
「…………」
返事なし。むしろ殺気が増した⁉ 特に男と杖の女、めっちゃ怖い。
「あのですね! 俺は危害を加えるつもりは――」
「……リアーヌ、アベル。武器を下ろしなさい。この方は嘘を言っていません」
「かしこまりました、お嬢様」
「はいよ」
(おい……“お嬢様”とか言うな。王族とか姫とか、絶対面倒だろ)
「まずはご無礼をお詫びします。本当に申し訳ございません」
真ん中の女が深々と頭を下げる。続いてメイド風の女性も頭を下げ、男は――
「悪かったな、坊主」
(坊主って……見た目そんな変わらんだろ)
「あっ、はい。別に気にしてませんから、顔を上げてください」
「ありがとうございます。――自己紹介がまだでしたね。私はミナ・マリノ。右の男性がアベル、左の女性がリアーヌです」
(マリノ……? 確か近くの国の名前……嫌な予感しかしない)
「姫様の紹介にもあったが、俺はアベル。半獣人で、今250歳。人間で言うと25歳だな」
頭には耳、背には尻尾。なるほど、見た目は人間でも半獣人ってやつか。
……寿命、人間の十倍かよ。
「私はリアーヌ。お嬢様のメイドを140年ほど務めています」
淡い水色の髪。どう見ても十代後半にしか見えないのに――
「140年⁉ いや、どう見ても16か17歳だろ」
「ははは。こいつ、人間換算で19歳だぞ。……あ、やべ」
リアーヌさんの視線が鋭く光り、アベルが慌てて口を閉じた。
年齢ネタはどこの世界でも地雷らしい。
「……私はハーフエルフですので、実年齢は380歳。人間換算で19歳、ということになります」
尖った耳を見せるリアーヌさん。なるほど、魔法が得意そうだ。
そして、一番喋ってほしくなかった真ん中の人が爆弾を投下する。
「ご存じかもしれませんが、私はハイヒューマン。年齢はリアーヌと同じく380歳。そして――マリノ王国国王の娘です」
(出たよ! 本物の王族、しかもお姫様! 絶対面倒な展開!)
「そ、そうですか……。最近こっちに来たばかりで、勉強不足で申し訳ないです」
「お気になさらず。私はただの娘であって、女王でも王妃でもありませんから」
……威張らない姫様か。周りの二人も否定しないし、思ったよりまともかもしれん。
「そのような方が、どうしてこんな場所に?」
「実は最近、『ボハニアに見慣れない服の男がいた』『その男がギルドマスターと親しげだった』という噂が流れてきまして。一応、私達が偵察に来たのです」
(……それ、完全に俺じゃん)
もちろん名乗る気はない。トラブル確定だし。
「……そういえば皆さん、お昼は? よければ俺が用意しますけど」
「おい坊主、何が目的だ?」
(まずい。……正直に言うしかないな)
「遠回しな聞き方はやめます。俺はボハニアの様子と、あなた方がここにいる理由が知りたいんです。それと――自己紹介が遅れました。白崎宗司です」
「お嬢様、いかがなさいますか? ソウジ様には――あえてお答えになられていないこと、完全にお気づきのようです」
少し沈黙の後、姫様は微笑んで言った。
「それでは――お言葉に甘えて、お願いしてもいいでしょうか?」
「ええ。少しお待ちを」
材料が揃っていたので、ホットケーキを焼くと――
「な、なんだこれ! めっちゃ美味いぞ!」
「本当ですね! こんなお料理があるなんて!」
「おい坊主! おかわり!」
「あっ、ソウジさん。私もお願いします」
(……うるさ。これ、俺の分残るのか?)
――さっきまで命の重さに悩んでいたはずなのに、
人と飯を囲むだけで、世界はこうも変わるらしい。




