轟け関節
初めまして、阿吽と申します。
どうぞごゆっくりお読みください。
私はこんな貧弱な形をしているから、真面目そうだなんてよく言われる。体重は身長に対しての健康的な水準を10キロ以上も下回り、蒼白いこの肌からは体調が優れていないのかと屡々問われる。あとは口数が少なくて眼鏡もかけている。
ここまで三拍子も四拍子揃っており、細かく自分の容姿を挙げていくと、真面目そうと言われる理由にも、確かに頷けるかもしれない。
"がりべん"とかいうあだ名が小学生の高学年から続いている。初めて聞いたときはあんまり意味が分からなかったが、同じクラスの中の成績の良い、賢い子に対しても使われていたので、会話の流れからぼんやり意味がわかった。周りもあだ名がついている子が多くて、のっぽ、でっぱ、うちゅうじん、でぶ、おでこなど、体のことをいじるものが多かったように思う。うちゅうじんは何が宇宙人なのかはわからない。
一方私のあだ名は、がりべんのがりが華奢な体を彷彿とさせるガリガリからくる表現かと思って、少し嫌だった。そうなると、べんは勉強の勉だろうか。ガリガリの勉強できるやつ、略してがりべん。
でもこれは同じクラスの――体が大きい子だったので、きっと違うのだろう。ちなみに私にがりべんと言う名がついてからはその男の子はゆきだるまになった。
*
母は今日も火曜サスペンス劇場を見ている。リビングで5人掛けL字型の黒いソファに凭れて、好物の煎餅を砕き咀嚼する音が玄関まで聞こえてくる。きっと飲み物は烏龍茶だろう。
「ただいまぁ」
「由紀か?おかえりぃ」
いつも通り玄関の戸は施錠されていない。そして、テレビの音量が大きい。
山奥に住んでいるわけではないが、そこそこ田舎にある住宅地区だ。最寄り駅まで歩いて30分、大体の移動には車が必須、近くに駄菓子屋があるがコンビニはない。溝とか叢、田圃や畑を眺めて、細い道を通った先に家がある。さっきまでそんな場所を下校してきた私にとっては、かなり喧しかった。
だけど、テレビの音量以外は特に直してほしいところなどない良い母親である。
「お母さん今日仕事休みやったん」
「そうよ、だから午前中に家のことしてサスペンス見てるんよ」
「あそうなん、終わったらこの前のあれみようよ」
「なんやろあれって」
「先週やってたやつやん、ヤンキー漫画の実写映画よ」
「ああ、あれな。見よかぁ」
学校が終わると、部活も特にしておらず、今日も真っすぐ家に帰ってきた。
父は土日休みのようだが、母はシフトで休みが決まっているので学校から帰ると居るときと居ないときがある。家の外に車があるかないかでわかる。
うがらいを済ませて、スウェットに着替えてリビングに行く。少し離れて座り、残り半時間ほどで終わるサスペンスを一緒にみた。少し見ていると、見覚えのある展開に『これ前もやってた?』と聞くと、『お母さんは五回目かな』と言った。
*うがらいとは、手洗いと嗽を表現した我が家の造語
サスペンスが終わって、録画していた例の映画を再生する。
実はこの映画を見るのは二回目で、確か一回目も母と見た気がする。かっこいい俳優さんたちが不良の学生の役で、ひたすら喧嘩ばっかりする。たばこをすったり、大きいバイクに乗ったり、他校へ殴り込みに行ったり――。
前に見たときは3年前ぐらいだっただろうか。小学生だったのによくこんなの見たなと思うほど、結構グロテスクなシーンもあった。でも、かっこいいとかぞくぞくする気持ちが強くて、此の手の作品は好きだった。
「ねぇお母さん」
「なに?」
「このさ、喧嘩の前に手ならすやん?ぽきっぽきって。あれできる?」
「あかんで由紀。あれしたら指太なら」
「あそうなん?太なんの?」
「太なるらしいで、知らんけど」
「へぇ‥‥」
知らないのかよ、と内心思いながら、母譲りのこの手は確かに人から褒められ、綺麗だそうだ。『指細くて長いね!』『ピアノとかしてるの?綺麗な手!』と小学生のころから周りによく言われていた。
自分では生まれてずっとこの手と付き合ってきてるので、別に人と比べてどうとかそんなこと思ったことないが、綺麗と言われて嫌な気持ちはしないし、良いことだなと思っていた。母の手に目をやるとやっぱりよく似ている。
そんな、指が太くなってしまうのは嫌だなと思いつつも、関節がなるって痛いのかな。自分でもならせるのかな。ほんとに太くなるのかな。一体どんな感覚なんだろうという思いが、ふつふつと興味がわいてくる。やらない方が良いとか、あんまり人がしていないことに背徳感にも似た感情を抱く。行動に移すまでは時間がかからなかった。
翌日、二時間目の英語の授業で小テストを受けている時だった。中学から始まった英語の授業は全く理解できず、適当なことを書いて早々とシャープペンを置いた。静かな教室に紙と芯が、紙と消しゴムが擦れる音がいろんなところから聞こえる。終わったのは私ぐらいか。
ところでがりべんなんて、よく言ったものだ。中学が始まって、勉強なんて全く楽しくない。小学生のころから、テストでいい点数なんてとったことがない。授業も全然わからない。ただ、黒板に書いてることをノートにうつしているだけ。話だってそんな聞いていない。ぼぅっとしている。真面目でもなければ、がりべんでもない。
まだ、テスト終了まで15分以上もある。
(よし‥‥‥いまちょっと試してみるか‥‥)
昨日の夜、頭でイメージしていたことを無言で実行する。
右手を軽く握って拳を作る。左手はそれを包むようにして手のひらを指の関節に押し付ける。
(とりあえず人差し指から‥‥)
ぎゅうっとゆっくり力を込めると、曲がった第二関節が真っすぐになっていく。
そして、徐々に手の力を緩めた。思わず首を少し傾げる。
(‥‥ならない?と言うか思ってたより痛い‥‥‥?)
何度か試みたが痛い。他の指も試してみたが同様に痛い。関節がなるなら、第一関節もやってみてはどうだろうかと試みたが、こちらはより痛みが強く感じた。
再び人差し指の第二関節に戻ってきた。
昨日の映画のシーンを思い出す。
なんだかもっと勢いがあったのではないだろうか。腕全体が動いていなかったか。ばきっぼきっと。肘が上下に動いていて。私は今、手首からしただけをゆっくりと動かしている。
(‥‥ちょっとやってみるか‥‥‥‥)
胸を張って堂々とするのはさすがに可笑しいので、机のしたでひっそりと、でも腕の可動域を十分に保てる空間を作って試みる。
(うぅ‥‥やっぱり痛いけど‥‥ふんっ!えいっ!)
宙を舞う蚊を叩き潰すような力の込め方で、両手を中央に寄せる。
その時、手元に痛みと少しの快感が瞬間走り去った。ぽきっとも、ばきっとも、ごきっともとれるような、弾ける音に聞こえた。骨っぽい音だ。
そして、思いの外大きな音がなってしまい、自分でも少しうるさく感じた。手元の作業に夢中になっていた私は下を向いていたが、辺りを見渡す自信がなかった。少し冷や汗もかいた。首筋や背中がじんわり熱い。たぶん顔も赤くなっていそうだ。
徐に顔を正面の黒板の方へ向けると、先生は教卓で椅子に座って本を読んでいた。視界に映る範囲で何人かこちらを見ている気がする。時計の針は5分ほどしか進んでいなかった。
まだ、人差し指がじんわり痛む。でも痛みより、音が大きかったことへの驚きの方が多くて、なにより恥ずかしかった。これ以上は授業中にやるのはよくないと判断して、残りの時間はまたシャープペンを握りなおした。
*
「ってことがあったんよ、これがお母さんが指をならし始めたきっかけ」
「そうやったんかぁ。でも指太ないな?」
「なぁ。あれからいまでも、ならすことが当たり前になっているけど、若干節が太いかなと思うぐらいでそんなに気にならんわなぁ」
「あぁ確かに‥‥若干太いかも。でも綺麗。あと、ママはがりべんって呼ばれてたのはびっくりした」
「そうやろ?でも小テスト中の一件があってから同級生からは、がりべんって呼ばれなくなってね。結局卒業するまで成績もクラスで中くらいだったし」
「そうなんや、そのあと何て呼ばれてたの?」
「それはね‥‥‥‥」
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
もし宜しければ、☆印で評価をつけて頂けると参考に思います。
皆さんも学生時代に変なあだ名をつけられたことはありますかね。
私は作中の主人公のように真面目そうな外見ではないので、がりべんなんて呼ばれていませんが、本名をよくいじられていましたね。全然気に入っていないですが、そのあだ名って大人になった今でも覚えているもので不思議です。嫌だから記憶に残ってるんでしょうね。
皆さんもあだ名やその由来などありましたら、ぜひコメントお待ちしています。
※大喜利ではないのですが、皆さんが想像する主人公はどんなあだ名か、もし思い浮かんだ方がいらっしゃれば教えてください☆
何卒宜しくお願い致します。