知識の迷宮
「……ふう」
静寂に包まれた部屋の中で、天城蓮は深く息を吐いた。
手には、試練の証でもある黒き結晶が握られている。それは、彼が《深淵の試練域》を突破し、己の限界を超えて生還した証。そこに宿る力は、確かに彼の中で目覚めていた。
ステータスは大きく向上し、スキルポイントも大量に獲得。さらに《深淵共鳴》や《虚滅刃》といった新たな力も手にした。だが――
「……まだだ。これだけじゃ、もっと強くならないと。過去の自分と決別するためにも……」
「スキルの理論をもっと知る必要がある」
戦い方を磨くだけでは足りない。力の本質を理解し、進化させるための知識が必要だ。そう確信した蓮は、魔王領の中で最大かつ最古の記録が眠る場所――
「“魔王軍最大の図書館”に行くか……」
そう呟いたとき、彼の脳裏に浮かんだのは1人しかいなかった。
*
「へえぇ……! ついに“そこ”に目を向ける気になったのね?」
執務室の奥で、魔王ルシアは嬉しそうに声を上げた。いつもの堂々とした雰囲気を保ちながらも、その口元は笑みを隠しきれていない。
「蓮が“自分から知識を求める”なんて、すごく良い傾向じゃない。……ふふ、なら私もついて行ってあげるわ。案内人として、ね?」
「え、いや、別にそこまでしてもらわなくても――」
「いいの。行くの! 久しぶりに出かけたい気分なの!」
椅子から立ち上がったルシアは、くるりと一回転してマントを翻した。珍しく浮かれた様子の彼女に、蓮は思わず目を瞬かせる。
「……ルシア?」
「何よ、その顔。私だってたまには城の外を歩きたいの。むしろ、蓮が図書館行くなら私が同行するのは当然でしょう?」
「……まあ、ルシアにしか見られない文献もあるだろうし、正直助かるけど」
「うんうん、そうそう。それに、あそこには“契約の魔導書”や“遺された始源文字”なんかもあるし、蓮のスキルのヒントになるものが絶対あると思うのよね。それに禁書コーナーはあなた1人じゃ見れないわよ?」
まるで遠足前の子どものように、ルシアは勢いよく机の上の書類をまとめると、手元の水晶球に手を当てた。
「幹部連絡。緊急ではないけれど、これよりしばらく城を空けるわ。指揮権限は副官のディルアに。あとグレイとカナルにも周知しておいて」
《了解しました、陛下》
水晶球から返ってきたのは、いつも通り冷静沈着なカナルの声。だが、その声音の中には、どこか苦笑いを含んだような空気があった。
「……カナル、今絶対『またか』って思ったでしょ?」
《……まさか》
そう言いながらも、水晶球の向こうのカナルが肩をすくめている様子が目に浮かんだ。蓮も思わず口元を緩める。
「……ほんとに、行くんだな」
「当たり前よ! じゃあ、準備するからちょっと待ってて」
そう言って、ルシアはすたすたと奥の間へ消えていった。魔王らしからぬ軽やかな足取りに、蓮は少しだけ呆れ、けれど同時に……どこか安心していた。
――彼女と共に知を深めることは、蓮にとって何より意味のある時間だった。
*
数刻後、魔王城を出発した二人は、巨大な黒龍の背に乗って空を翔けていた。図書館までは空路でおよそ一時間。魔王領の西端、霧の谷を越えた先に、その巨大建造物は佇んでいる。
魔王と言っても10代であろう見た目の美少女に後ろから抱きつかれながら、飛行しているこの状況――――すごく良いっ!
冗談はさておき、いくら美少女から抱きつかれてるとはいえ安全装置も無くそのまま飛行してるので,恐怖心を完全に消し去ることは難しかった。
「……この風、悪くないわね。蓮、怖くない?」
「いや、飛行は慣れた。というか、ルシア、やけに上機嫌じゃないか?」
「ふふん。だって“蓮とのお出かけ”よ? もう楽しくて仕方ないわ」
そう言って笑うルシアの横顔は、普段の冷静沈着な魔王ではなく、どこか年相応の少女に見えた。
銀の髪が風に舞い、金の瞳が陽を反射して輝いている。その横顔に、蓮はふと見とれた。
「……そういう顔、できるんだな」
「え? 何か言った?」
「いや、なんでもない」
赤くなりそうな頬をそっと押さえ、蓮は視線を遠くの雲に向けた。
それはまるで、嵐の前の穏やかな時間。
だが彼の中には、確かな期待と高揚が渦巻いていた。
新たなスキル、新たな知識、そして――
この世界で“自分が何者なのか”を知るための、次の一歩が、確かにそこにあるのだと。
やがて視界の先に、黒き尖塔が連なる巨大な建造物が姿を現した。
「――あれが、魔王軍最大の図書館、《黙示の書楼》よ」
ルシアの言葉に、蓮はごくりと喉を鳴らした。
深淵の次に待つのは、知識と記憶の迷宮。
そして、そこに眠るのは“力の真理”――。
黒龍の背から降り立った蓮とルシアは、目の前にそびえる巨大な建造物を見上げた。
「ここが……《黙示の書楼》か」
漆黒の石で造られたその図書館は、まるで時の流れを拒むかのように静かに佇んでいた。無数の尖塔が空へと伸び、重厚な扉が訪問者を迎えている。
「ようこそ、蓮。ここには魔王軍の歴史、魔法、スキル、そして禁忌の知識までもが収められているわ」
ルシアの言葉に、蓮は小さく頷いた。彼の目的は、新たなスキルの習得と、深淵の試練で得た力の理解を深めること。
扉が静かに開き、二人は中へと足を踏み入れた。内部は外観以上に広大で、天井まで届く書架が無数に並び、魔力を帯びた光球が柔らかな光を放っている。
「まずはスキル関連のフロアへ案内するわ。ここから西翼の第三層へ向かいましょう」
ルシアの先導で、蓮は図書館の奥へと進んだ。途中、彼の目に一冊の本が留まる。
『影術大全:初級編』
彼のスキル《影渡り》に関連する内容かもしれない。蓮は本を手に取り、ページをめくった。
「影を媒介とする転移術の基本は、影の深度と質に依存する。深い影ほど遠距離転移が可能であり、質の高い影ほど精度が増す」
この記述に、蓮は自分のスキルの応用可能性を感じた。影の質を高めることで、より遠くへ、より正確に転移できるかもしれない。
さらにページを進めると、
「影の記憶を辿ることで、過去の影に接続し、時を越えた転移が可能となる」
この一文に、蓮の心は高鳴った。過去の戦場や出来事に影を通じてアクセスできる可能性が示唆されている。
「蓮、興味深い本を見つけたようね」
ルシアが微笑みながら声をかける。蓮は本を閉じ、再び歩き出した。
次に彼の目に留まったのは、『魔装の理論と実践』という書物。《魔装展開》の深化に役立つかもしれない。
「魔装は使用者の魔力と意志により形状が変化する。攻撃特化型、守備特化型、速度特化型など、状況に応じた変形が可能である」
この情報は、蓮の戦術の幅を広げる手助けとなるだろう。
さらに進むと、『思念刃の応用技術』という本が目に入る。《思念刃》と《深淵共鳴》の融合スキル《虚滅刃》の理解を深めるため、蓮は手に取った。
「思念刃は使用者の精神状態に大きく影響される。怒りや悲しみといった強い感情を込めることで、刃の威力と精度が増す」
この記述から、蓮は自身の感情を制御し、スキルに反映させる重要性を再認識した。
ルシアは蓮の様子を見守りながら、彼の成長を感じ取っていた。
「蓮、あなたは確実に力をつけているわ。これからも共に歩んでいきましょう」
蓮は静かに頷き、再び書架へと目を向けた。
黙示の書楼の静寂な空間に、蓮の足音が響く。彼の目は、スキルや魔術の書物から、次第に内政や君主論に関する書籍へと移っていった。
『魔王領統治概論』
『領主の心得:民を導く術』
『内政術入門:繁栄への道』
蓮はこれらの書物を手に取り、ページをめくる。彼の表情には、戦闘時とは異なる真剣さが宿っていた。
「蓮、内政や君主論に興味があるの?」
ルシアが微笑みながら尋ねる。
「うん、興味がある。領主になりたいと思ってる」
蓮の言葉に、ルシアは驚きつつも嬉しそうに笑った。
「なら、領主にしてあげるわ!」
蓮は目を見開いた。
「本当に?」
「ええ、あなたならきっと立派な領主になれるわ」
ルシアの言葉に、蓮は少し戸惑いながらも頷いた。
「どうして領主になりたいの?」
ルシアの問いに、蓮は静かに答えた。
「まだ召喚されて間もないけど、ここで居場所を作ってくれて感謝してる。だから、少しでも魔王領を良くしたいと思うんだ。今の俺じゃなんの役にも立てないけどさ……」
ルシアはその言葉に目を細め、優しく微笑んだ。
「ありがとう、蓮。貴方がいてくれて私は本当に幸せよ」
図書館の探索を終えると、ルシアは満足げに肩を回しながら振り返った。
「ふふ、いっぱい歩いたわね。そろそろお腹も空いたんじゃない?」
「ああ、少しだけだけど、腹減ってきた」
「じゃあ、特別に私が選んだ昼食をご馳走してあげる。ついてきて!」
そう言って、ルシアは魔王とは思えぬ軽やかな足取りで書楼の出口に向かう。蓮は少しだけ肩をすくめながらその後を追った。
数分後、二人は魔王城の中庭に面した開放的なテラスに出た。陽光が差し込み、白と黒の大理石の床が柔らかく輝いている。そこにはすでにテーブルが設えられ、銀製の食器と、湯気を立てる料理の数々が並べられていた。
「これは……かなり豪華だな」
「当然よ。あなたは特別戦力だもの。それに、さっき“領主になりたい”なんて素敵なこと言ってくれたお礼も兼ねて」
ルシアが笑顔で椅子を引き、蓮も向かいに腰を下ろす。
テーブルには、彩り豊かな前菜の盛り合わせ、香草でローストされた獣肉、蒸し焼きにされた地中の野菜、それに黄金色のスープと焼きたての黒パンが並ぶ。甘い香りのジュースも冷えていた。
「……すげえな、これ全部用意してたのか?」
「ふふ、私が命じたら数分でできるのよ。魔王軍の料理長、優秀だから」
蓮は黙ってスープを口に運ぶ。濃厚ながらも優しい味が広がり、胃の奥から温まるのを感じた。
「うまい……」
「でしょ? この野菜スープは私のお気に入りなの」
ルシアは満足そうに頷き、器用にフォークとナイフを操りながらロースト肉に口を運んだ。魔王でありながら、その仕草はどこか上品で、そしてどこか……可愛らしい。
蓮も無言で食事を進めながら、ふと問いかける。
「……ルシア。さっきの話だけど、本当に俺を領主にする気なのか?」
「本気よ」
ルシアは即答し、グラスを置いた。
「あなたなら民に信頼される。内政に興味があるっていうだけでも貴重だけど、そこに“感謝”があるなんて、そうそうないわ」
「……でも、俺は人間だぞ。魔族の領地で、うまくやっていけるかなんて──」
「大丈夫。あなたは“私の信任者”であり、“魔王軍直属の特別戦力”。しかも、“異界の来訪者”。これだけの肩書があれば、周囲は文句言えないし……それに──」
ルシアは微笑みながら蓮を見つめた。
「私があなたを守るわ」
その言葉に、蓮の胸が不思議と温かくなる。
「……ありがとな」
「ううん。こちらこそ、ありがとう。あんなふうに想ってくれるなんて、私にとっても奇跡みたいなものよ」
ルシアの頬がほんのり紅く染まり、彼女は恥ずかしそうに視線を逸らした。
「それに、領主にするって言ったけど……いきなり全部任せるなんてことはしないから安心して。段階を踏んで、まずは書類仕事や、担当区域の視察なんかを通して、少しずつ慣れていけばいいのよ」
「……うん、助かる。未知なことばかりだからな」
「ふふ、それもこれから覚えていけばいいのよ。あなたのその誠実さがあれば、きっと素晴らしい領主になれるわ」
その後の食事は、戦やスキルの話から離れ、街のこと、文化のこと、民の暮らしなど、実に穏やかな話題で満たされた。
ルシアは時折笑いながら蓮に料理を勧め、蓮はその一つひとつに丁寧に応じた。
まるで、古くからの友人のように。
あるいは──どこか、家族のように。
気づけば、昼下がりの光が少し傾きはじめていた。
「……さて、そろそろ戻りましょうか。幹部たちもそろそろ不満顔になってきてるかもしれないわね」
ルシアがいたずらっぽく笑いながら席を立ち、蓮もそれに続く。
けれど、彼の胸の中にはしっかりと残っていた。
自分がこの世界で“生きていける”という実感と、
そして──この場所をもっと良くしたい、という静かな情熱が。
それは、まだ言葉にするには早すぎるものかもしれない。
だが確かに、蓮の中に芽生え始めていた。
次に彼が歩む道が、戦場か、それとも民の暮らしの中か。
それを知る者はまだいない。
けれどこの昼食は──
その未来への第一歩だった。
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