「深淵の中で、向き合うものとは」
重く、湿った空気が肌にまとわりつく。
深淵の試練域――その名が示す通り、この地は光さえも屈折させる魔力の奔流に支配されていた。
天城蓮は、目の前に迫る異形と対峙していた。
人の形をしていながら、眼窩の奥に炎のような光を宿した魔物。
骨と肉の間に黒い霧が流れ、身体の輪郭が常に揺れている。
「“シェイドドレイカー”。影を喰う魔獣よ。実体と幻体が混ざった厄介な敵」
背後から聞こえるヴァネッサの声。
「……俺がやる」
蓮は、手のひらに収めた短剣を見つめる。魔王軍の研究部が彼の魔力に合わせて貸与した、魔素制御式の練習武器だ。
敵が動く。
瞬間、影が蓮の足元に広がった。
「――っ!」
直感が叫ぶ。身体が勝手に飛び退く。刹那、地面から突き出す黒の刃。
回避――成功。
蓮の頭の中で、何かが“開く”。
(見える……読める……!)
《世界適応》が彼の神経を駆け巡り、動作を最適化していく。
初めての戦闘、だというのに。だが、体が“この世界の戦い”を学び始めている。
敵が再び襲いかかる。
黒い腕が鞭のようにしなり、視界を横薙ぎに払った。
「速いっ……!」
だが蓮は、その軌道を読み切っていた。
しゃがみ込み、地を蹴り――跳躍。
空中で短剣を振り抜く。
命中。
だが、手応えは希薄だった。
「幻体部分か……!」
「焦らないで。実体は“心核”と呼ばれる部位だけ。そこを突かないと倒せない」
ヴァネッサのアドバイスが飛ぶ。
蓮の目が細まる。
敵の動き。波打つ魔力。どこかに――確かに存在する“核”。
――なら。
敵が再度、突進してくる。真っ黒な爪が迫る。今度は避けない。
蓮は地を滑るように前へ踏み込み、あえてその攻撃の“懐”に入った。
「ここだ――!」
魔力の流れが集中している部位――胸の中心へ、短剣を突き刺す。
爆発的な魔力の逆流。
黒煙が舞い上がり、魔物の形が霧散する。
数秒の沈黙。
そして。
「……やった、のか?」
蓮が問いかけるようにつぶやいたその瞬間。
身体に熱が満ちる。
光が、彼の全身を包み込む。
《成長条件達成》
《レベル 1 → レベル 4 に上昇》
《ステータス変動中……》
システムのような声が、脳内に響いた。
⸻
【天城 蓮】
レベル:4
HP:420
MP:550
攻撃力:37
防御力:25
俊敏性:33
知力:46
スキル枠のロック解除:2枠目に変化発生
《未覚醒スキルに変動:条件接近中》
⸻
「……っ、これが“ステージアップ”か……!」
蓮の身体が、かすかに震えていた。
喜びではない。――恐怖だ。
(たった一度の戦いで、ここまで……)
自分の“異質さ”を突きつけられた気がした。
「――怖いの?」
ヴァネッサが問いかけてきた。
蓮は小さく頷く。
「……正直、少しだけ」
「当然よ。でもね、蓮。あなたは――それでも前に進もうとしている。だから、強くなれる」
ヴァネッサの目は真剣だった。
彼女自身もきっと、過去を越えて今の自分を築いてきたのだろう。
◇ ◇ ◇
ダンジョンを進むごとに、蓮は自身の過去と向き合うことになる。
霧のように現れた記憶の幻――
学校の教室。
昼休みのざわめき。自分を避ける同級生たちの視線。
机の上に書かれた『キモい』の落書き。
忘れられない、あの日の放課後。
「お前ってさ、どうしてそんなに独りなの?」
『橘』という名の男子が、嘲るように言った。
『いや、話しかけるなってオーラ出してるの、そっちだし。自業自得?』
(……違う……俺は、ただ……)
同時に思い出す、両親の死。
中学一年の冬。交通事故で、母と父が帰らぬ人となった夜。
病院で白い布をかけられた二人の顔を、蓮は今でも夢に見る。
「――俺には、何もなかった。誰にも必要とされなかった。だから……」
足が止まりかける。
けれど、ふと脳裏に浮かんだのは、魔王ルシアの言葉だった。
『なら、私が必要とする。――あなたを、選ぶわ』
そして、目の前に立つヴァネッサの姿。
敵でも、味方でもない。
ただ、目の前で自分を見てくれている存在。
「……俺は、まだここにいる。誰にも届かなくても、自分自身にだけは……!」
蓮の瞳に再び、闘志の火が宿る。
次の戦闘では、炎を操る魔獣が現れた。
《スピリト・イグニス》――魔力で構成された不定形の火精霊。
熱波が迸り、周囲の地形さえも変形していく。
「水属性も風属性も持っていない。正面突破は無謀」
「なら、動きの予測と反応で勝つ!」
蓮は考える。
動きは流動的だが、魔力の集中は左下に偏っている。中心核の位置を読めれば……。
敵が突進してくる。その熱は肌を焼くようだ。
「今だ――!」
蓮は地を滑り込み、跳躍。剣を真下から振り上げるように突き刺す。
灼熱の爆風。
だが、敵の形は消えていた。
《レベル 4 → レベル 6 に上昇》
《封印スキルへの干渉反応を検出》
《心核の共鳴が増幅中》
思わず蓮は膝をつく。身体の中に、“別の何か”が目覚めようとしている感覚。
(俺の中に、何がある……?)
その答えはまだ遠い。
だが、確実に前へと進んでいる。
◇ ◇ ◇
その夜、ダンジョン内部の中継地点で休息を取っていたとき。
焚き火を囲む二人。沈黙の中、ヴァネッサがふと呟く。
「あなたの中には、まだ眠っている力がある」
「……感じます。何かがずっと、“ここにいる”って、訴えてる」
「たぶんそれは、過去の自分と未来の自分、両方から呼ばれてるのよ」
「……両方?」
「ええ。どちらかを否定することはできない。でも、受け入れることで――あなたは、“本当の自分”になれる」
火の粉が舞い上がる。
蓮はその言葉を、静かに胸に刻んだ。
この深淵のダンジョンは、敵を倒す場所ではない。
“自分と向き合う”場所だ。
痛みも、孤独も、後悔も。
それを抱えながら、それでも進めるか。
それが、この試練の意味だった。
蓮は再び立ち上がる。
「行こう。まだ、終わってないから」
ヴァネッサはにやりと微笑んだ。
「ようやく、戦士の目になってきたわね。“魔王の選びし者”」
――深淵の奥には、さらなる試練と真実が待つ。
だが今、蓮の歩みを止めるものは、何一つとしてなかった。
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