海 5
「……!」
'どうして、俺の本当の名前を知ってるんだ?いったい、この女は何者なんだ?'
ノエルはこの問いになんと答えるのが正解かわからず悩むが、結局嘘を吐くことにした。
「何言ってんだ?ノエル・フリージア?俺の名前はガイランだ」
ノエルは目の前の女性のことを知らないため、適当に言っているだけだろう、バレるはずはないと思いそう言ったが「そう?フリージア侯爵の息子なら助けようと思ったけど、違うならいいわ」と言われ、本当のことを言うべきだったかと少し後悔するも、すぐに得体の知れない女性に借りを作るわけにはいかないと思い直し、自分の選択は正しかったと言い聞かす。
「残念だが、俺は違う」
ノエルはもう一度はっきりと言う。
「そう。じゃあ、一生その姿でいな」
私はそう言うとアイリーンに目配せをすると、彼女は意図を察し頷いたあと、ノエルの前に水で鏡をつくる。
「ぎゃあああーっ!」
ノエルは鏡に映った化け物を見て悲鳴を上げる。
「お、こ……お、う……」
おれか?これが?おれか?嘘だろ?
そう言いたいのに言葉が出てこなかった。
否定したいのに、水の鏡に映る化け物は自分と同じ行動をするし、化け物だった女性と水の妖精が「そこに映っている化け物がお前だぞ」という顔で頷いているので認めるしかなかった。
「じゃあ、私たちは失礼しますね。フリージア領地まで頑張ってください。あ、そういえば、侯爵の息子ではなかったんですよね。すみません。私の勘違いでした。海の中で幸せに暮らしてください」
眉を下げながら口角は上げ、馬鹿にした笑みを浮かべる。
「……」
ノエルは今更フリージア家の者だと認めても助けてもらえるかわからず、どうしたらいいか答えがでず、不細工な顔をしている彼女を見つめ返すことしかできなかった。
「さてと、アイリーン。私たちは昼食にしようか」
助けてくれ、と言ってくるのを待ったが言う気配がないためその場から離れる。
チャンスは何回もあげたが、全て払いのけたのはノエルだ。
自分の口から「助けてくれ」と言ってくるまでは、絶対に何もしないと決める。
「はい!」
ノエルに背を向けて荷物を置いたところに向かおうとすると、ルネとシオンが「俺たちも食べたい!」と手足をバタバタさせる。
アスターは2人のように態度に出すことはなかったが、そのかわり「私も食べたいです」オーラを出した。
私は3人の言いたいことはわかっていたが素通りする。
「……!」
嘘だろ!と文句を言いたかったが、言うには砂から顔を出すしかない。
でも、出せば「また顔を出したな!このクソども!お前らに食べさせる料理は何もない!自炊しやがれ!」と不細工な顔で言われるのが目に見えているため出ることができない。
他の2人が出ることを互いに願うが、誰も砂から出ようとしないため、そのままの状態が続いた。
そんな3人のお尻に向かってアイリーンはフッと鼻で笑い、勝ち誇った顔をしてから主人の後ろをついていこうとしたそのとき「待ってくれ!」とノエルが叫んだ。
その声に私が振り向くとアイリーンがムッとした表情をしたのが見え、可愛くてついぷっと吹き出してしまう。
そんなに海のものが食べたかったのかと思い。
「なに?」
初めて見るアイリーンの表情に気分が良くなり、さっきより声と口調が柔らかくなる。
「あの……俺はフリージア家の長男ノエルです」
「……」
'うん。知ってる。だから?なに?'
ノエルが名前を名乗った理由は数分前の私の発言が原因だとわかっているが、それはそのときだったらそうすると言っただけで、今は違う。
何よりさっき否定したのに、化け物とわかった瞬間、実は俺が侯爵の息子です、と言われても遅い。
侯爵は立派な人だが、ノエルを見る限り子育ては失敗したみたいだ。
人のことを化け物と言ったり、嘘をついたり、自分の言葉に責任をもたなかったり、困っているのに助けてくれとも言えず、助けられるのを待つ。
'うん。誰が見てもクソ男だ'
そう思うと、つい嬉しくて笑みが溢れる。
私は誠実な男よりクソな男の方が好きだ。
なぜなら、容赦なく利用できるからだ。
誠実な男を利用するとなると、ほんの少し良心の呵責に苛まれるかもしれない。
そんな思いをするかもしれないなら、クソな男を使った方がいい。
クソなら利用しても良心は痛まない。
次期フリージア侯爵はノエル。
これは間違いない。
小説でもそう書かれていた。
ノエルを助ければ、父親だけでなく彼が産んだ子供も更にその子供も、未来永劫金づるにできる。
一生縛り付けてやる!
これからの互いの家の関係をどうしていくか頭の中で決めていくが、まだ大事なことを言われてないので、先にそれを言わせてから続きを決めることにした。
「信じられないわ。だって、あんたさっき否定したでしょう?」
いくらいい金づるになるとしても、助けてくれとノエルに言わすまでは絶対に手を貸さない。
それで金づるを捕まえ損ねたとしても、仕方ないと諦めればいい。
そもそも、そんなことにはならないと思いながらノエルの方を見る。
魚人の姿で「俺が息子だ!」と言っても誰も信じない。
私以外は。
ノエルもそれがわかっているから私を引き留めた。
本来の階級はノエルの方が上だが、今は違う。
私の方が上だ。
ノエルは今まで侯爵という名のお陰で誰かに頭を下げるということをしないで生きてきた。
生まれてはじめて頭を下げなければいけない状況になったことにノエルは葛藤するが、一生このままの姿で生きるよりはいいプライドを捨てる方がいい。
眉間に皺を寄せ、口を固く閉じる。
まるで苦虫を噛み潰したような表情で、そんなに嫌なのかと思いながら、私はノエルのつむじを見ながら言葉を待つ。
「助けてくれ」
小さな声で言う。
「なんて?よく聞こえなかったわ。もっと大きい声で言ってくれるかしら?」
聞こえていたが、わさど言う。
嫌々言いました、みたいな態度では助けられない。
理由はむかつくから。
ノエルはもう一度「助けてくれ」と言うが声の大きさはさっきと変わらないため「聞こえなかったから、もう一度言って」と言う。
そのやり取りを数回繰り返すと、とうとうキレたノエルが大声で「助けてくれって言ってんだろ!」と叫ぶ。
「おい。助けてくれ?言い方間違えてないか?人に頼むときの態度はどうするのか、侯爵様から教えてもらわなかったの?私が女だから舐めてんのか?クソガキ」
どの世界でも女は男より劣っていると思い込んでいる者はいる。
元の世界でもいた。
女は男がいないと駄目、守ってやらないと駄目だ、と!
それなのに男の自分が女に助けを求めるなど恥ずかしいのか知らないが、きちんと頼めない。
腹が立つ。
侯爵の息子だからと手加減していたが、ノエルとはこれから長い付き合いになる。
毎回これでは腹が立って、いつか爆発するかもしれない。
今のうちに躾した方がいいだろ。
とりあえず、今日は腐った根性から叩き直すことにした。
「え、いや、その、そんなことは……ない……です」
ノエルは鬼の形相で睨まれ、怖すぎておしっこが少しでてしまった。
「なら、きちんと言えるよな。次間違えたら、海の底に沈めてやるからな」
私はノエルの肩を強く掴む。
「は、はい!」
ノエルはようやく理解できた。
この女には絶対に逆らってはいけない、と。
「じゃあ、言ってみな」
「た、助けてください。俺を元の姿に戻してください。お願いします」
さっきまでの態度とは打って変わり、頭を深く下げお願いする。
「そこまで言うなら仕方ないわね。いいわ。助けてあげる」
私はノエルの態度に満足する。
その言葉を砂の中から聞いた3人は絶対いま悪魔のような顔をしているな、と見なくてもわかっていた。