第一話「赤ちゃんからのニューライフ」
何も感じなくなって、どれくらい経ったのだろう?
ずっと目は開かず、身体は動かせず、五感の全てが何も感じない。
それなのに、時間が経っていることだけは理解できる不思議な感覚。
俺は生きているのか、死んでいるのか。
そんなことすらも分からない。
目を瞑った時に見えるあの黒さも、
光を見つめた時に見えるあの白さも、
何一つ感じない。
ただ、時間の経過だけはわかった。
感知は出来ない。
だが、理解はできる、不思議な感覚。
気分は、最悪。
身体が、頭が、自分のものなのに、動けない無力感。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
精神か、心か、魂か。
俺は今、思考している場所で叫び続ける。
身体を、頭を、また動かそうとして。
声は外界に届いているのか、そうでないかも分からない。
でも、この叫びをやめた時、俺は消える。
そんな予感がした。
その叫びは、何十年か、何年か、何ヶ月か、何週間か、何日か。
いつまでやり続けられていたかは、わからない。
ただ、その叫びをやめた時。
俺の意識が、散り散りになっていくのを感じた。
抗う力はもうない。
ただ、残ったものが一つ。
約束を守れなかったということ。
その内容をもう覚えていないのに、ただ、ただ、守れなかったという事実だけが、最後に残った。
もう、意識が、曖昧だ。
もし、もし、次があるのなら、
俺は、今度こそ約束を・・・・・。
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寒い。
それは突然やってきた。
どこか暖かい所にいたと思ったら、いつの間にか周りにあるナニカから押し出される形で、外に出されていた。
外?
そう考えた理由は、この寒さからだろうか?
目は、開かない。
だが、以前より目に何かが映っているのはわかった。
明るさの判別は出来ている?
明確に何かと判断は出来ないが、何かがいるの分かった。
何かが聞こえる。
水が耳に入ってるようで、近くにいるのに声が遠く聞こえるあの感覚。
ここまでやってみて、気づく。
俺は目覚めている。
だが、感覚が曖昧だ。
(いっ!!)
身体を超えるほどの大きな手、なのだろうか。
それが俺の身体を叩き、身体の表面に猛烈な痛みを走らせる。
なんだ、誰だ、なんなんだ?!
怒りより疑問が湧き出てくるが、目の前は見えないし、身体は自由に動かせない。
だか、何者かが俺を叩くのをやめない。
状況はわからず、抵抗も出来ず、痛みは続く。
俺に出来る事は何もない。
頭ではそう判断していたが、身体は知っていたようで自然と行動していた。
「ふんぎゃっ、ふんぎゃっ、ふんぎゃぁぁぁぁ」
この歳になって、なんて情けない泣き方だろう。
だが、口から何の言葉も出ないし、手も足も動かない。
ただ、ただ、泣くしか出来ない。
だが、それを功を奏したのだろうか。
叩かれる行為は止まった。
それでも残留する痛みが、俺の涙を止めてくれない。
・・・・・・それにしても、よく泣くな?俺。
全然止まらないんだが。
泣きやもうにも、まぁ止まらない。
こんなに泣くのなんて、赤ん坊の時以来ないってくらいじゃないか?
というか、今の俺は、赤ん坊なのでは?
×××××××××××××××××××××××××××××××××××
「あぅぅ」
「〇〇〇、〇〇〇〇〇〇ー!」
「あぅーう」
「〇〇〇、〇〇〇?」
「あぅぅー!」
「〇〇〇〇〜!!」
喋れない。
自分が赤ん坊だということに気づいてから、しばらく経った。
見えないものが見えるようになり、
聞こえるものも区別ができるようになり、
身体はジタバタするくらいには出来るようになった。
だが、以前のようにはいかない。
階段から落ちる前は間違いなく、高校生の肉体だったのに。
今では自分一人では何も出来ない生命体に成り果てた。
以前と違う点は、他にも色々ある。
俺のことを見てくる人が違うのだ。
「〇〇〇〇〇〜?〇〇〇〇〇〜?」
「あぅぅ」
「〇〇〇〇〇〜〜〜!!」
先程からめちゃくちゃ笑顔で、俺によく話しかけてくれる五歳ほどの男の子。
何を話しかけてくれてるかは、まだわからない。
だがおそらく、兄ちゃんだろう。
茶色ふわふわヘアーの活発少年。
好感度メーターがあったらカンスト間違いなし。
よく頬をスリスリしてくるし、キスもしてくるし、俺の排泄事情やメーデーにはいち早く大人を呼んでくれる。
愛情通り越して、たまに頬を噛みついてきて泣かされることはあるが・・・。
それでも家族の中で俺が一番好きな人間だ。
他の家族はというと、なかなか距離感が絶妙である。
「あぅぅー!」
「・・・・・〇〇〇〇」
「あぅぅ」
「・・・・・」
我がダディは、兄ちゃんと打って変わって、冷めた対応である。
茶髪ハードボイルドヘアーで寡黙なダディ。
俺が見ることが出来る人間は誰かに抱っこしてもらってる時か、ベットで寝っ転がっている時に覗き込んでもらう時しかない。
その中でダディは、俺がめちゃくちゃ頑張って声をかけても、塩対応である。
ジッと俺のことを見て、ボソボソ何やら口を動かして、去る。
これがほぼ毎日行われており、笑顔を向けられた事は一度もない。
おまけに身体に触られたことも一度もない。
食事の時、何やら話す兄ちゃんを見て笑顔を見せることはあるのに、俺が同じことをしても何もない。
俺の中でダディはわからないことが多い人物だ。
「〇〇〇〇〇、〇〇、〇〇〇〇〇〇〇」
「あう!」
「・・・・・〇〇〇〇」
「あーう」
「〇〇、〇〇〇〇〇〇〇」
「うーう?」
「〇〇〇〇、〇〇〇〇〇〇、〇〇〇〇〇〇」
そして、マミィは明らかに疲れている。
くすんだ青髪に、痩せこけた頬。
おまけに目の下にはクマさんがいるのに、俺には無理して笑いかけてくれている。
食事、排泄、お風呂など欠かさず、俺に行なってくれているマミィ。
だが、言葉がわからなくても感じ取れる。
俺と接する事を恐れているようなのだ。
俺が何かを誤って物を落としてしまうと、必要以上に驚く。
俺が感情を制御出来ずに泣いてしまうと、血相を変えてやってくる。
俺が話しかけると、笑いながら答えてくれるが、いつも眉毛はハの字だ。
何より、俺の身体を触れる時に、割れ物を触るようにするのだ。
おそらく、俺には何かしら原因があるのだと思う。
だが、わからない事には原因の解消もしようがない。
せめて、マミィには元気でいてほしいから。
食事はほどほどに。
泣いて呼ぶより、言葉にならない言葉を中心に。
マミィが話しかけるまで、話しかけない。
マミィにとって、ストレスをかけないように気を遣って過ごすこととしている。
マミィが俺のことをどう思っているかはわからない。
でも、俺のことを恐れながらも育ててくれる。
それだけであれば、充分だ。
他には、昼間の時にしか見かけない小太りの若い茶髪の女性と、その娘と思われる長い髪を後ろに結ってる茶髪の小学生ほどの女の子が俺のことを世話してくれている。
人物はさることながら、それぞれが着る服装も、俺から見える家の全てが階段から落ちる前には見覚えのない物ばかり。
ここまですれば気づく。
俺は転生したのだ、どこかに。
中学時代、ラノベやウェブ小説を読み漁っていた経験から察するに、異世界転生の線が濃厚だ。
だが、時代遡行した上での転生の可能性も捨てきれない。
魔術や魔物とか見れたのなら確信を持てるのだが、身体の自由は愚か、言語の全てがわからない以上、考察はここまでだ。
転生は間違いない。
であれば、俺は⬛︎⬛︎⬛︎としては死んだのだ。
あの子との約束を守ることなく。
・・・・自分の死を自覚するというのは、心にくるものがある。
生前にやり残したことばかりが思い出されて、後悔ばかりが頭を駆け抜けていく。
だが、赤ん坊として今日まで生きてきた事実が、その自分の死の実感を薄れさせているようだ。
かつての記憶は駆け抜けた後に、霧散していき、違うことを考えてしまっている。
・・・・もう、⬛︎⬛︎⬛︎には戻れない。
なら、切り替えよう。
ここで呼ばれている〇〇〇〇〇として、生きていこう。
それがここまで育ててもらってる〇〇〇〇〇としての礼儀だろう。
ただ、⬛︎⬛︎⬛︎の心残りだけは持って行かせてもらおう。
・・・・もうその約束がなんだったのかは覚えていない。
ただ、俺はここに誓う。
今度こそ、約束を破らない。
この世界で誰かとした約束は必ず成し遂げる。
それは何があってもだ。
そして、約束した相手を笑顔に出来たらいい。
それだけは生前出来なかった、そんな気がするから。