ワタシの会議と論争
ワタシの中で会議が行われた。
Aのワタシは、ちょうどなにかを探している。何を探しているのかわからないために、頭をかいたり、腕組したり、鼻を掻いたり、無意識の動作をする。頭の中の「くるくる」である。
Aは、常に行き場を探している。行き場を見つけるために、やりたいことを探しているのだ。こいつが会議に出ると、周りからは何も考えていない「能無し」に見える。なぜなら、質問をされても答えるだけの何かに行き着いていないからだ。
次に、Bのワタシだ。
Bは、目的に向かって進み集中しているワタシだ。
熱中しているため、声をかけられても返答できない。他の存在に目移りしないのだ。ただ、Bは物を創ることにはたけており、時間や空間の存在を忘れている。この会議では、人の話を聞き、パソコンに打ち込んむ手助けをしてくれる。議事録員の役目を果たす。
もちろん聞いて入るが、判断はしていない。あることをそのまま落とすロボットのようなワタシだ。
3人目のCのワタシは、計画を固めていく役割だ。
徒然なるワタシの取締役である。こいつがいないと、まとまっていかない。
ただ、こいつはなんでも行動で、あやまった計画を設定する場合が多々ある。
その相棒がいないと、判断をみやまり無駄な時間を浪費する。
まさに、この文章のようだ。
4人目のDのワタシは、計画の是非を確認する役目を担っている。
文章を書き上げるのに、この表現はいいのか?もっとこうしたらいいのではないか?
常に疑問ばかりで、どれが読みやすい文章なのか考えれば考えるほどわからなくなり、みればみるほどパニックに陥ってしまう。
5人目のEは、全部やめて徒然なるままに書けばいいんじゃね。
と、なんとも怠慢野郎だ。
「やってみなきゃ、わからね」と言う思考で、失敗もないし成功もない。
Eは、A〜Dのワタシすべてを兼ね備えている。なんとも憎たらしい万能タイプだ。
周りからもちやほやされ「よくそんなアイデアがでたね」と称賛される。
こいつは、褒められても「徒然じゃね」と平然としている。
こんなワタシ達が、文章を書いているわけだが、問題が発生する。
それぞれが、ボイコットを起こすのだ。
Aは、何も考えたくないと訴え、
Bは、集中させろ一人にしてくれと訴え、
Cは、そんなことはいい行動するんだと訴え、
Dは、どれも違うと訴え、
Eは、全部徒然じゃねと訴える。
これでは、拉致があかない。
ごちゃまぜに混ぜ合り、そこで現れるのがFとGだ。
Fは、怒りとし全ての会議をぶっ壊す。
Gは、心配や不安ごとばかりで会議をぶっ壊す。
Fは、ワタシだけの怒りで収まれば他人にぶつけ喧嘩をふっかけ、
Gは、ワタシはこんなに心配しているのよと他人に心配を押し付ける。
ワタシの中の会議がワタシ以外の会議として始まるわけだ。
こうなるといよいよ、他人との論争が始まる。
FとGの夫婦喧嘩。会社の仲間との小競り合い。
どこかで聞いたことの有る「そんなことできるわけがない」や「お前は、馬鹿か」などの心配や怒りの悲鳴が湧き上がる。
まさに、世の中の大人たちの戦争の縮図が始まったのだ。
この戦争に終止符を撃つべく編み出されたのが「原発」であり「インドラの矢」だ。
人は、痛い目を見ないと戦争をやめようとしない。
強烈な「苦しみ・痛み」により、「ごめんなさい」と学ぶのだ。
謙虚で優しい「懺悔」くんを、Gくんとしよう。
小さい子供たちは、お互いがお互いを傷をつけたら素直に「ごめんなさい」と言い、仲直りの握手をする。
Gくんのワタシがいるときは、戦争をしようとせず「食い止めよう」とする。
Gくんと仲良しなのが、お母さんやお父さん、兄弟、姉妹、家族、人々・生命の幸せに感謝するHくんだ。
A〜Gの自分は学びがあり感謝するワタシすべてに微笑みを浮かべるHくん。
こいつから生まれる徒然なるままに「A〜G」の良い面を活かせば、ワタシの会議も文章も最後はハッピーエンドでまとって終わる。
他に、会議をまとめる方法はないようだ。
そもそもまとめる必要もないのかもしれない。




