嫌われる絵のその後、2月
絵を描かなくなって十数年後の去年、また絵を描くのを再開した。正確には、一昨年、月に一枚くらいのペースでスマホの画面に指で描き始め、iPadとアップルペンシルを買った去年の二月から、週一ペースで描き始めた。
今思えば、絵を描くのをやめる2年ほど前が、絵を描くことに一番真剣だったと思う。とにかく毎日手を動かしていたいと思った。その頃はタブレットなんて普及していなくて、ハイスペックパソコンに十万くらいする液タブを付けて絵を描くのが憧れという時代。こっそりA4のコピー用紙に深夜にシャーペンで下絵を描き、0.3ミリボールで(これがすぐにインクが詰まって描けなくなってイライラした。)ペン入れし、それを昼間の空いた時間にスキャナで取り込んで、やっすい板タブで色をつける。
先日、仕方なく仕事で久々に板タブでファイルに直接コメントや指示を書き込んだが、それだけで相当イラつくレベルで使いにくかった。これで背景がビタっと入った一枚絵を何枚か仕上げていたんだから、十数年前の自分がいかに執念深かったのかとクラクラした。あの頃はとてもジタバタしていた。絵で食って生きたいと思いながら、どうしても無理だと理解もしてきていた。突き破れない。何度どんな絵を描いても、描いても、自分の絵には他の商用の絵と比べて如何ともし難いくもりがある。
くもり。
絵柄や技術とはこれはまた違う話だった。
くもり、としか言いようがない。どんなに光を意識しても、光源、線画の色、その太さ細さを反省してみても、彩度明度をいじっても、どこかどんよりとした垢抜けなさ。
もうこれは、自分の絵柄の一部なんだろう、と納得した。こういう絵なのだ。仕方がない。それで躍起になるのをやめた。それでも知り合いから頼まれた絵で少しお金を貰ったりもしていた。そして、その2年ほどあと、「身の丈に合わない」と思って描くのをやめた。
去年絵を再開した時、まずはその頃描けていたくらいまで戻ればいいと思った。自分の中ではその頃が一番絵を描くことに真摯だった。あの頃も充分自分の描きたいシーンくらいは描けた。あの頃が画力的に自己ベストだった。あの頃のレベルで描けるようになれば御の字だ。年もとった、時間もない、あの頃描けたほどに描けるようになるのかわからないが、とりあえず目指してみよう。
それから一年。
週一ペースでしか絵なんかとても描けない。連れ合いも私がiPadに向かっているのをひどく嫌がるので、土日すら結局人目を避けて描いている。
道具の進化という恩恵は死ぬほど感じた。iPadに直接アップルペンシルで線を引ける、というのは、洗濯板が洗濯機に変わったくらいの違いだった。便利すぎる。位置ズレもほとんどない。タブレット自体を回して好きな方向から描ける。前はPhotoshopなどの高価なソフトウェアがないとできなかったことが、無料アプリでできる。感動した。
でも、自分としては一年で「確かに上達した」と実感できたことが何より驚いたし感動した。正直、自分の中で画力マックスを更新したと思う。来年はもっといい絵を描けるようになっているかもしれない。
あのころどうしても拭えないと思って諦めた「くもり」も、少し薄れてきたようだ。
もしかするといつか晴れるかもしれない。