第二章 兄の夢
第二章 兄の夢
さて、金田には6歳違いの兄がいた。雄一と言う名前だ。
この兄は、金田少年とは違い、小さい時から神童の誉れ高く、両親も兄自身も、医者になるのは間違い無いと確信していた。
兄の口癖は、「俺は青白き天才だ!」だった。その兄が、弟の誠二の前で、熱く自分の理想を語った事があった。
それは、雄一の単なる理想論だったのかもしれないが、兄の雄一は人工生命体の創出を夢みていたのだ。それも、クローン等のような有から有を生むのではなく、完全な無機物のみから有機物を合成し、最終的に人工生命体を造り出す事をである。
兄の夢はしかし、敵わなかった。
絶対に合格間違い無しと、先生も太鼓判を押すほどの成績を誇っていた兄が、何故か日本最難関とされるT大医学部の入試に失敗。それを恥じてか、誠二が中学1年の春休みの時に、自宅の裏庭で縊死してしまった。
その原因は未だにはっきりしないが、弟の誠二には、受験失敗後に、兄が燃え尽きたのだと感じていた。試験前から兄のそれなりの不審な言動があったからである。
両親は、もう、泣いたり叫んだりの毎日であったが、その事もあって、誠二には勉強の事を、もうとやかく言わなかったのだ。金田少年が空手道場に通えたのも、敢えてこれ以上勉強をさせないという両親の強い思いがあったのであろう。
だから、中学3年生の4月、同級生になったばかりのガールフレンドの田中江美を初めて家に連れてきた時も、大いに喜びもてなしてくれた。
田中江美は秀才で美少女だった。兄に比べ、頭脳の点ではるかに見劣りする誠二には、金田の両親には、過ぎた彼女に思えたのだろう。
その田中江美だが、彼女は、2学期になってみて、金田誠二の内面の変化にいち早く気付いていた。それに、金田誠二が自分に対して少々腹を立てているように感じたのでそれとなく聞いてみると、
「だって、江美ちゃん、僕が交通事故で入院した時に直ぐに見舞いに来てくれんだやろう」
「ごめーん、その時は、お祖父さんが亡くなって、葬式でモタモタしていて忙しかったもんで、ごめーん。
この借りは高校へ行ったら必ず返すからぁ…」と、それだけ言ったあと、
「ところで、ねえ、金田君。高校は、石川県のS大学付属高校へ一緒に進学しない?」と、誘いを掛けてきた。
「そんな、難しい高校、僕の今の成績じゃ、受かる訳無いやろうが……」
「ううん、金田君、夏休み中に猛勉強して、もの凄く成績が上がっている筈よ」
「んな馬鹿な。だってこの前の中間模試でも、結局、全校中、23番しか取れなかったじゃないか、
S大学付属高校へ行くには、最低でも学年で江美ちゃんのように、常時、3番以内に入ってないと合格は無理な事ぐらい江美ちゃんも知っている筈やろう……」
「でもねえ、数学の鈴木先生が言っていたんやけど、金田君、この前の数学の模試の問題で一番難しい第5問を全問正解していたのに、第3問だけは非常に簡単な問題にもかかわらず、総て空白で回答してあったて言っていて、首をかしげていたそうよ……。
この私だって、第5問は全問正解できなかったんやから、もしかしたら、金田君、わざと点数を落としたんじゃないかって?」
……これは、確かに田中江美の言うとおりであった。
金田誠二は、既に、数学の問題を見ただけで、回答がスラスラと頭に浮かぶようになっていたのだ。しかし、いきなり当該事実をテストで皆や親らに見せるのには、兄の死の事もあり、両親に過大な期待を再び抱かせる事になるのを危惧して敢えてそうはしなかったのだ。
「危険だ!田中江美は、既に、俺の頭の変化を見抜いている」
これは、ある意味、金田には恐怖であった。金田の計画では年度末までに徐々に成績を上げていき、やがては県内の有名進学校か、彼女の言う石川県のS大学付属高校に進むつもりでいたからだ。
だが、何度も言うように、田中江美は、既に俺の頭脳の変化を敏感に感じ取っている。
金田は、自分の頭脳が毎日毎日飛躍的に進歩しているのを感じるとともに、兄の思想にも、徐々に理解を示し始めていた。
兄は、結局、人工生命体を作り出してこの世の神になろうとしていたのかもしれない。
それは、超極々一部の限られた人間にのみ可能な事で(今までのところ世界中の誰もがまだ成し遂げていないからだが……)、科学界や医学界の究極の真理にまで辿り着く事を意味する。
金田は、しかし、何となくだが、兄の思想に共鳴し始めていた。
究極の科学、人工生命体の創出か!
兄は、その人工生命体の創出ができるぐらいまでの科学や医学が進歩すれば、それだけの技術があれば、死んだ人間の蘇生も可能になる、と自分に熱く語っていたのを思い出していた。まるで、ゾンビ映画のような話をである。
よし、俺は、兄の意志を継ぎ、人工生命体の創出より更に一歩進んだ、死んだ人間の蘇生実験で医学的成功を収めるのだ、と金田の考えは、急激に過激化していった。
まあ、そのためにも、最終的には兄の受験したT大学医学部への進学は必要不可欠あった。
だが、最初からあまりに良い成績を取ってしまうと、再び、両親の期待も兄以上に大きくなるであろうからと、高校3年までに徐々に成績を上げて行こう。そんな遠大な計画を建てていたのだった。
しかし、田中江美の言ったように、この自分の頭脳の激変を、万一、田中江美が見抜いているのなら、敢えて成績を落とす必要もない。お互い、S大学付属高等学校へ進学すればそれでいいのかもしれない……。
田中江美が、S大学付属高校への進学にこだわるのにはそれなりの意味があるのだと言う。
つまり、田中江美の父親は不動産会社の社長をしており、S大学付属高校のある石川県金沢市に高級マンションを2棟所有。万一、進学高で有名なS大学付属高校に合格すれば、その内の1棟のマンションの一区画に住んでそこから高校に進学してもいいと言ってくれていたと言うのだ。
「ねえ、一緒に、S大学付属高校に行こうよ。高校へ行ったら、この前の、病院へのお見舞いが遅れた、例の借りをキッチリと返すからさぁ…」
前にも言ったように、この田中江美の言う借りを返す、と言う言葉には実に重大な意味があるのだが、この駄文を読んでおられる方々も、もう一度ここでこの言葉の意味の裏を憶測してもらいたい。
ところで、田中江美について、書き忘れたが、勉強のみならずスポーツも万能で、中学のバレーボールクラブのキャプテンでもあったのだ。才色兼備と言うが、もうそれ以上の存在であったのだ。
背も高くしなやかで美しい黒髪をしていた。そして、透き通るような色白でもあった。スタイルも抜群である。
その彼女に憧れる男子生徒は沢山いたのだ。が、既に金田誠二という公認の恋人がいるので、他の誰もが指をくわえて見ているしかできなかったのだ……。
その日、つまり、田中江美が、金田誠二の頭脳の変化をズバリ指摘し、一緒にS大学付属高校への進学を誘った日、金田は、田中江美と帰る途中で、またもや奇妙な幻覚に襲われた。
自分の足首が、アスファルトの硬い道路の中に、ズブズブと埋没していくような幻覚を覚えたのだ。
「あ、足が動かない!」
そう叫んで、道に倒れかかるのを、田中江美が脇から力づくで支えてくれた。
金田は、アスファルトのドロドロの泥沼の中から、必死で足首を引き抜いた。だが、その行為を横でじっと見ていた田中江美は、怪訝そうな表情であった。道路のアスファルトが泥沼のようにグニャグニャになる訳など絶対に無い筈だからだ……。
金田は、自分の不可解な動きを、自分の頭の中では十分に理解していた。多分、田中江美には変に思われているだろう。しかし、まずはこの幻覚というか、幻想から脱却しなければならないのだ。なりふりなんか、構ってはいられない。




